2023/10/31

なぜ「両利きの経営」は頓挫してしまうのか

NewsPicks Brand Design Senior Editor
 同じ企業内に、コア事業と戦略事業の両立を通じて企業の成長戦略を実現する理論として、ビジネス界に浸透した「両利きの経営論」。
 一方で「日本における両利きの経営論には、誤解がある」と警鐘を鳴らすのは、両利きの経営の提唱者であるチャールズ・A・オライリー教授の日本における共同研究者である加藤雅則氏
 我々は、どんな勘違いをしているのか。両利きの経営を机上の空論に終わらせず実践に移すためには、何が必要なのか。加藤氏に聞いた。
コア事業:企業が展開する複数の事業のうち、特に中心に位置する事業
戦略事業:新規事業や、既存事業内における新サービス、プロジェクト

「分けること」が本質ではない

──両利きの経営は、コア事業の深化と戦略事業の探索を両立させ、企業の成長戦略を実現する手法として、広く浸透しました。この状況をどう捉えていますか?
加藤 両利きの経営は、特に日本では急速に広まりました。
 両利きの経営の根底にあるのは、「なぜ一度は成功をおさめた大企業が、衰退してしまうのか」という問題意識です。
 米国のように、企業の入れ替わりが激しく新陳代謝が高い国とは異なり、日本企業は寿命が長く、多くの企業が次なる成長の糸口を模索しています。そこに、両利きの経営が掲げる問題意識がマッチしたのではと感じています。
 一方で急速に浸透したがゆえに、両利きの経営の解釈に、さまざまな誤解が生まれているとも考えているのです。
 その最も大きな誤解の一つが、多くの人が「両利きの経営論=『コア事業』と『戦略事業』を完全に切り分けること」だと思っていること。実はこれ、重大な勘違いなのです。
 まずは両利きの経営の基本について、少しおさらいしましょう。両利きの経営は、「同じ企業の中で、コア事業という収益軸と、戦略事業という成長軸を同時に追求する経営」のことです。
 というのもコア事業と戦略事業では、事業の成熟度が異なるため、必要な人材から適用すべき評価軸まで、ミッションや求められる行動原理が大きく異なります。
 たとえばコア事業では計画どおりに着実に実行することが求められる一方、正解のない戦略事業では、小刻みに仮説検証をしながら、市場・顧客からの学びを得て軌道修正することが重要です。
 このように性質の異なる二つの事業を両立させるために、戦略事業をコア事業から分離させ、別々の組織運営システム(※)を用いて運用する必要性を、両利きの経営は伝えているんです。
※組織の意思決定・情報共有・課題解決のための仕組みやルール・制度
──そう聞くと、戦略事業をコア事業から切り離すことが、両利きの経営の本質に聞こえます。何が誤解なのでしょうか?
 戦略事業とコア事業の組織運営システムを分けるのは、この経営論の特徴の一つですが、それだけでは十分ではありません。
  両利きの経営の最新の定義は、「既存の経営資源や組織能力を再活用して、新しい成長領域を見出す経営理論」。これは、両利きの経営の提唱者であるタッシュマン、オライリー両教授と合意しています。
 つまり、成長戦略を実現するために、戦略事業がコア事業の資産を「再活用」できることが肝なんです。これこそが大企業ならではの強みであり、両利きの経営の本質です。
 言い換えれば、両利きの経営は「自社の強みの拡張戦略」ということもできるかもしれません。
 逆に、コア事業と戦略事業を完全に切り離して、コア事業が持っている資産や知見を共有しないのであれば、それは両利きの経営の利点を全く活かせていないことになります。
──では、戦略事業はどんな時にコア事業の資産を活用すべきなのでしょうか?
 大企業における事業創出には、「アイディエーション(着想)」「インキュベーション(育成)」「スケーリング(量産化)」という3つの要素があります。
 大企業ではいずれの要素でも、コア事業と戦略事業の協力が不可欠です。その中でも特にコア事業の資産を活かす上で強固な協力体制が必要なのは、「スケーリング」の段階です。
 戦略事業のスケーリングの段階では、顧客基盤や、工場等の設備、スケーリングのノウハウを持つ人材など、コア事業が持つ資産と組織能力が頼りになります。戦略事業にとっては、これを使わない手はありません。

まずは経営チームが一つになろう

──コア事業の資源を戦略事業が活用する。コア事業が圧倒的な売上を占める大企業で実践するには、さまざまなハードルがありそうです。
 実践はもちろん、一筋縄ではいきません。こんな状況を想像してみてください。
 これまで、コア事業と異なる組織運営のもとで育っていた戦略事業の勝ち筋が見つかり、いよいよ製品・サービスのスケーリングフェーズに入る。その際に、コア事業の生産設備や営業・マーケティング機能といった資産を使いたい。
 ですがコア事業側からしたら、自分たちの計画もあるし、そもそも「なんで見ず知らずの戦略事業のために融通しなければいけないんだ」という心理的距離もある。そうしてコア事業と戦略事業の組織の間に、亀裂が生まれてしまう……。
──確かに起こりそうなシチュエーションです。そうならないよう、どうしたらいいのでしょう?
 重要なのは、戦略事業を始める前に、企業全体が一つのチームとして目指す成長戦略のビジョンを描き、共有することです。
 コア事業も戦略事業も貫く大きな全社戦略を描き、両者で共通の目的に合意する。別々の仕事をしているようで、まるで一つのトンネルを入り口と出口の両側から掘り進めていくように同じゴールに向かう、そんな意識醸成が必要です。
 だって、そうでしょう。戦略事業を生み育てるには、時間もお金もかかります。
 コア事業が稼いできたお金をそこに注ぎ込むんだから、ネガティブな感情が生まれて当たり前。そこに両者が納得して「お互い様だ」と思えるようにするには、共通の目指すゴールが必要なんです。
 そういったゴールの設計にはまず、経営陣が一枚岩になることが不可欠。下は上を見ていますからね。
 社長が「両利きの経営をやるぞ」と言っているだけで、各部門のトップはそれを冷めた目で見ている企業もありますが、リーダーがワンチームになれていない状態で、全社が一つになるなんて無理があるでしょう。
──加藤さんから見て、経営陣がワンチームになれるかの決め手は、なんでしょうか?
 最終的にトップが決断できるか。そして、その決断に沿って他の経営陣がまとまれるかどうかだと思います。
 寄せ集めの集団とチームの最大の違いは、目的とルールが共有されているかどうか。何かを達成するには、組織の結束力と実行力が最も重要です。
 もちろんそのためには、経営チームの中で腹を割った深い対話が不可欠ですが、最後はトップがしっかり決めるべき。その決断に従えない人には辞めてもらうくらいの厳しさも、時には必要だと考えています。

鍵は「顔が利く人」と「仕組み化」

──両利きの経営をうまく推し進めるために、人材や組織の観点では何を留意すべきでしょうか?
 実は「社内に顔が利く人」の存在が、鍵を握ります。
 戦略事業の成功には、「あの人に頼まれたら断れない」というような人望のある人を、戦略事業の中に置く必要がある。
 そうすれば、コア事業のリソースを借りたいといった時に、交渉が進みやすいのです。
 したがって、外部の人材をいきなり戦略事業のトップに据えるのはリスクがあります。どうしても外部の知見が必要な場合には、右腕・左腕に「社内に顔が利く人」を据えるべきですね。
 ずいぶんウェットだなと感じるかもしれません。ですが結局のところ組織は、何を言うかではなく、誰が言うか。論理だけではなく、感情で動きます。決して組織感情を軽視すべきではないのです。
──組織の観点も教えてください。本記事のスポンサーであるScrum Inc. Japanは、アジャイルを組織に導入するための組織運営のフレームワーク「Scrum@Scale(スクラム アット スケール)」を通して、両利きの経営の実践を推し進めています。こういったフレームワークを用いて企業変革を進めるのは、有用なのでしょうか?
 ええ、スクラムのアプローチは、「組織活動」に着目している点で、非常に有用だと思います。両利きの経営には属人的な要素も多いからこそ、闇雲に進めても正解がわからず、頓挫してしまうことも多い。
 仕組み化されたフレームワークをうまく活用していくことも、有力な方法の一つだと考えています。
 両利きの経営は「知の深化・知の探索」というキャッチフレーズを通して広まりましたが、「知」という言葉は誤解を招く表現です。
 というのもこれは、頭の中で完結する理論ではなく、もっと生々しい組織の現場の実践論だからです。
 組織は単なる箱ではなく、人の感情がうごめく活動体ですから、組織変革には「これさえやればいい」といった万能薬はありません。人間の身体のように、押すべきたくさんのツボがあるのです。
 ですからそんな組織のツボを、体系的にしっかりと押さえてくれる組織運営モデルを導入しながら、組織の中に入り込んで伴走して支援してくれるScrum Inc.のような存在は、貴重ではないでしょうか。
 組織活動をデザインするという点で、私自身もスクラムの知見から色々なインスピレーションを貰っています。
 12月7日に開催されるオンラインイベントでは、両利きの経営を実現する組織設計や運営方法について、より深掘りしてお伝えします。両利きの実践に悩む経営陣や、アジャイル変革に取り組み中のリーダーの皆さんは、ぜひご参加いただければと思います。