2023/10/17

【フィンランド式】子どもの頃から「アントレプレナーシップ」を育む教育システムとは

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 日本の「教育」は世界と比較しても高いレベルを誇る。
 OECDが、世界79カ国・地域の15歳を対象として実施した国際学習到達度調査(PISA)では、「読解力」「数学的応用力」「科学的応用力」で長年にわたって上位であり、日本の教育レベルは依然高い。
 しかし、人生に対する満足感や自己肯定感、自己効力感などの項目で、日本は他国と比較して軒並み低い
 さらに「批判的に考える必要がある課題を与える」「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」といった問いにも、苦手な傾向がある。
 こうした現状も受け、文部科学省は最新の学習指導要領で「生きる力」を継続的な指針としている。
「生きる力」とは知識だけでなく「人間性」「思考力」「表現力」といった力を育み、狭い意味での学力で測れない、時代に見合った力を養うことを指す。
 一方で、「生きる力」を育めるような次世代教育は、十分に行きわたってはいないのが現状だ。
 そのため、こうした次世代の教育環境が得られるかどうかは家庭の経済状況により左右され、コロナ禍や物価高によってその格差は広がりつつある
 ではどうすれば「生きる力」を、多くの子どもたちが育める環境をつくれるのか?
 その大きなヒントになり得るのが、世界屈指の教育先進国・フィンランドだ。
 フィンランドは、独自の哲学に基づいた教育制度を採り入れ、「アントレプレナーシップ」を育むことに注力。それも、“公教育”での環境を整えているのだ。
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 そんなフィンランドの教育システムをベースに、シンクタンク系コンサルティングファームの日本総研ではアントレプレナーシップを「自分と社会の幸せを両立し、しなやかに生きるための能力・姿勢」と定義し、その普及を目指している。
 どうすれば日本で公教育、つまり義務教育で「アントレプレナーシップ」や「生きる力」を育めるのか。
 同国の教育制度をよく知るフィンランド大使館のレーッタ・プロンタカネン氏と、日本総研で教育事業を推進し、フィンランドの教育プログラムの日本版導入を進める日本総研の木下友子氏に聞いた。
INDEX
  • 「平等」と「コンティニュアスラーニング」
  • 楽しみながら学んでこそ、成果は「最大化」する
  • 最大のカギは「義務教育中の体験」
  • アントレプレナーシップこそが「生きる力」に

「平等」と「コンティニュアスラーニング」

──フィンランドの教育には、どんな特徴がありますか?
レーッタ フィンランドには2つの教育哲学があります。1つ目が「平等」です。
 親の経済力、住む地域、ジェンダーに関わらず、すべての子どもに良質な教育機会が与えられること。
 それを実現するためにフィンランドでは、小学校に上がる前のプレスクールから大学院まで、すべての学校教育が無料で受けられます。
 そして2つ目の哲学が「コンティニュアスラーニング」、つまり「一生学び続けること」です。学校教育が終わったら勉強も終わりではなく、その後も社会や家庭生活、地域との関わりを通して学び続ける。
 今はプログラミングなど、私が子どもの頃には知らなかった仕事がたくさんあります。
 つまり、40年後にどんなスキルが必要になるかも、まったくわからない。だからこそ、日々学んで成長し続けることが、時代に適応する上でとても大切になります。
木下 変化が激しいVUCAと呼ばれる時代にあって、自ら人生の意義を見つけ、ワクワクや幸せを感じながら自身で人生を切り開く力が、ますます求められています。
 フィンランドの教育は、まさにそうした力を養おうという考え方が、ベースになっていますよね。
──日本人の学力は世界的に高いにもかかわらず、そうした力につながりにくいのは、なぜでしょう?
木下 今まで日本で行われてきたのは、“なるべく取り残さずに全体を底上げする”教育で、これにより平均的な学力は高まりました。
 素晴らしい成果だと思う一方、子どもたちの良いところや個性を伸ばすことには、つながりづらかった。
 そして社会に出ると“ルールからはみ出さないこと”を求められる。そうした状況も、個が伸びにくい一因になっているのかもしれません。

楽しみながら学んでこそ、成果は「最大化」する

──フィンランド教育の哲学は、実際どのような形で学校に定着しているのでしょうか?
レーッタ フィンランド教育制度の大きな特色の一つが教科横断的な「フェノメノンベース・ラーニング」です。
 フェノメノンは現象を指しますので、「現象に基づいた学習」と訳せるでしょうか。
 世界の事象を理解するには、科目を横断した知識が必要です。だからこそ学校でも、複数の科目を横断的に学ぶようにする。
 たとえば英語の授業では、文法を学ぶだけではなく、気候変動に関する英文記事を使う。
 体育ではただ校内で運動するだけではなく、森に出かけて動植物について学び、動植物や気候の変化も観察する。
 フィンランドでは、もともと授業の進め方は学校や先生の裁量に任されており、フェノメノンベース・ラーニングを実現するうえでも学校側が工夫を凝らします。
 もちろんコアカリキュラム(日本の学習指導要領に相当)はありますが、それをどう授業に反映させるかは、先生が自由に決められる。
 だからこそ先生は、想像力を働かせ、各々が工夫をこらします。
木下 生徒を一つの評価軸で測るのではなく、子どもの特性や習熟度に合わせ、個別に先生がガイドできる教育環境になっているのもフィンランドの特徴ですよね。
 たとえば、1クラスの生徒が20人程度と少人数であったり、定期テストがなかったり。生徒への質問も、正誤の決まった問いより、そもそも問いが何かを生徒に考えさせる質問が多い。
レーッタ テストに関しては、生徒の学びの程度を知るための小さなテストはありますが、学校規模や全国規模で行うテストは基本的にありません。
 高校卒業の前に受ける試験が、初めての全国的な大規模テストになりますね。
 フィンランドの教育の根底には「学びは楽しくあるべき」との考え方があります。
 単に暗記するだけでは、ベストな成果は得られない。もちろん時には集中して難しいことに取り組む必要があるけれど、基本的には楽しく学ぶからこそ、最良の学びが得られる。
 つまり、自分は何が得意で何をすると楽しいのかを見つける場所として、学校が機能しています。
木下 楽しく学ぶのはもちろん、人生で知るべき教養を早期から押さえているのもフィンランドの教育政策の特徴ですよね。
 たとえば金融教育。金融の知識はとても難しいですし、中学生までの子どもたちはあまり学ぶ機会がありませんが、人生においてとても重要な教養です。
 フィンランドでは生涯学習の一つと捉え、銀行と人々の間でどのようにお金が動くのかを学べますし、補助金も出ていて非常に重きを置いている。
 また、先生の専門性が高いのも特徴です。
 もちろん日本の先生方も教員免許を持つ専門家ですが、フィンランドでは科目に関する知識と教育心理学などの「教える知識」の両方を、時間をかけて学びます。
レーッタ おっしゃるとおりで、先生に大きな裁量があるからこそ、相応のスキルが求められます。
 フィンランドで教師を志望する人は、これらの幅広く深い知識を大学院までの期間をかけて学びます。
 フィンランドで先生はとても尊敬される職業で、国としてその育成にしっかり投資しています。

最大のカギは「義務教育中の体験」

──日本総研ではフィンランド教育の要の一つ、社会体験カリキュラム「Yrityskylä(英語名:Me & MyCity、以降Me & MyCity)」に着想を得て、日本の子どもたち向けのカリキュラム開発を進めています。Me & MyCityとは、どのようなものでしょう?
レーッタ 「Me & MyCity」とは、社会を構成するさまざまな役割を、楽しみながら包括的に学べる体験プログラムです。
 たとえば市長、新聞記者、カスタマーサービスといった多様な仕事や、消費者としてのお金の使い方、市民の義務や権利など幅広い観点から、座学と体験学習を通じて社会の仕組みを学びます。
木下 たとえば、ある製造業の会社には、CEOと営業担当、R&D(研究開発)担当がいます。
 営業担当は顧客の事業に必要な商品の数を計算し、R&D担当に渡す。R&D担当は条件を勘案して生産までの計画を立てます。
 その後、営業は顧客と商談をしてOKが出たら、CEOと営業担当が事業計画書をもって銀行にローンを申し込みに行く……。
 こういった仕組みを就業者として学ぶだけではなく、消費者としてお金の使い方や、納税や投票といった市民の義務も体感できる。
 一人の人間が生きていくうえで知っておくべき「社会の仕組み」を、多様な視点で学べるところが、一般的な職業体験とは異なります。
 職業体験は日本にもあり、重要性は認識しているものの学校や先生、受け入れ企業の負担が大きく、限定的にしか実現できていないのが現状。
 私たちが進めている日本版「Me & MyCity」では、 日本総研がファシリテーターとなり、教育委員会や学校、自治体、企業、NPO、財団、住民を結びつける構想を持っています。
「Me & MyCity」のような次世代の教育政策を推進するには、現状のステークホルダーだけで前に進めるのは難しい面もある。
 だからこそ、公共政策とビジネスの両面に知見のある日本総研が間に入り、教育のお金の流れを変えていく。そうすることで先生と企業の負担を減らしながら、新しい体験カリキュラムを提供できると考えています。
──日本への導入にあたって、最も重要なポイントは何でしょうか?
木下 「義務教育期間中」の学びが肝になると我々は考えています。つまり公教育において、すべての子どもたちが平等に機会提供される仕組みづくりが重要です。
 そこで当社では、日本の学習指導要領としっかり整合させながら日本版Me & MyCityを開発するため、まずは地方自治体の教育委員会の方々とお話を進めています。
「カリキュラムとして、非常におもしろい」と、教育委員会の方々からポジティブな反応もいただいています。
 一方で、課題もあります。その一つが「ローカリゼーション」です。
 たとえばフィンランド版のMe & MyCityで体験できる職種には「森林管理」の仕事があります。
 フィンランドは森林が豊富にあるため、職業として重要な位置にあるからです。が、日本ではさほど身近な仕事ではありませんよね。
 逆に日本版では、社会保障や介護、年金といったテーマを含める必要があるでしょう。また、その地域ならではの産業や企業にも、フォーカスする必要があります。
 地域の特性をきちんと反映させ、Me & MyCityが地域活性と将来、地域で活躍する人材育成を担うことを私たちは目指しています。
 また、運営費用の捻出も課題の一つです。フィランドでは国・自治体の財源に頼るのではなく、財団や企業が約7割を拠出していますね。それと同様に、日本でも企業や財団も子どもたちの体験学習を支援するような仕組みをつくりたいと思います。
 そこで、NPOを運営元にしたり、地域の企業にスポンサーになっていただく形も検討しています。
 日本の先生はもちろん、フィンランド側の関係者にも議論に加わっていただきながら、日本らしいMe & MyCityのあり方を深めていきたいですね。
レーッタ 導入地域に合わせたローカリゼーションは必要ですが、それができれば、Me & MyCityはあらゆる国で機能する素晴らしいプログラムだと思います。
フィンランドに設立されたYrityskyläの社会体験施設(写真:Yrityskylä Keski-Suomi - NYT)

アントレプレナーシップこそが「生きる力」に

──日本社会にMe & MyCityを導入していくことで、どんな成果を期待していますか?
レーッタ Me & MyCityを通して、社会にはいろいろな立場と考え方があることを学び、それが子どもたちの可能性につながれば素晴らしいなと思います。
木下 私たちが目指す一番の成果は、日本のすべての子どもたちが、義務教育を終えるまでに「アントレプレナーシップ」を身に着けられることです。
 日本では、アントレプレナーシップが“起業家精神”と捉えられますが、私たちはもう少し意味を広く取って「自分と社会の幸せを両立し、しなやかに生きるための能力、姿勢」と定義づけています。
 まさに“生きる力”とも重なります。自己肯定感と幸福感を持ち、社会とつながりながら、自律的に人生を切り開いていける。
 そんな人たちが、地域社会を回す世界をつくりたい。そのカギになるのが、まさに義務教育期間における良質な「体験」であると考えています。
 家庭環境や地域の格差に関わらず、すべての人が体験を通じて学ぶ機会を得られる教育の仕組みづくりを目指したいですね。
 ただ現状では、費用だけでなく企画・運営の面も含め、負担が学校に集中しています。
 それを、地域のさまざまなステークホルダーがコミットし「地域で教育を支えるモデル」をつくり、支える形にシフトできればなと。
──日本版Me & MyCityの、具体的な導入計画を教えてください。
木下 特定の地域とそれぞれ話を進めていき、5年で5つ以上の体験施設を設け、学校での事前事後の学習を含めてカリキュラムを展開することを目標にしています。
 フィンランド版が15年で13拠点だったので、ほぼ同じペース。将来的には、どこに住んでいてもMe & MyCityの体験機会が得られるよう、全国的に拠点を設けたいですね。
※日本総研の教育への取り組みについてはこちら
──ビジネスとしては、どう捉えていますか?
木下 フィンランドではNPOが運営していますので、日本でも同様のビジネスモデルを考えています。
 当社では「自律協生社会」をつくることをビジョンに掲げています。自律協生社会とは、各々がエッジを尖らせながら力を合わせ、共に生きる喜びや人間的な豊かさを享受できる社会です。
 つまり我々がビジネスとして利益を回収するのではなく、「教育」における自律協生社会をつくるためのいちプレーヤーでありたい。
 だからこそ、地域や国をつくる根幹となる「教育」を、企画や運営面で支えたいんです。 それには、赤字にならない程度のNPOとなり、持続可能な状態の構築が重要となります。
 もしこの記事を読んだ方で「一緒にやりたい」とか「こんなアイデアを持っている」といった方がいれば、ぜひお声がけいただきたいですね。
左からフィンランド大使館の秋山氏、レーッタ氏、日本総研の木下氏と青山温子氏。フィンランド大使館内で行われたインタビューでは教育の現状や未来などについて、熱いディスカッションが繰り広げられた。
レーッタ そうですね。ぜひ、失敗を恐れずチャレンジしてほしい。フィンランドは“失敗しても、全然OK!”という社会。たとえ失敗しても、それをベースに調整していけばいい。
 そうやって試行錯誤を繰り返すことにこそ、真の価値があります。まさに、アントレプレナーシップにも通じる考え方です。
 だからMe & MyCityも、日本に合わせて勇気をもって変更してもらえればなと。
 たとえ最初は100%じゃなくても、後からどんどん変えていけばいい。ぜひ試行錯誤をしながら、日本にジャストフィットしたMe & MyCityを、作り上げていただきたいですね。