たった一度の人生を変える勉強をしよう

【1時限目】手と足を使って考えよう─シミュレーション能力を身につける─

「考える」とは一体、どういうことか?

2015/3/29
暗記中心の「勉強」は、もはや役に立たない。では、かわりに何を学べばいいのか? 世の中のさまざまな問題を学習する「よのなか科」の生みの親である藤原和博氏が、中高生とその親のために書き下ろした新刊、『たった一度の人生を変える勉強をしよう』(朝日新聞出版)をNewsPicks上で毎日掲載します(第0章、1章を無料公開。第2章以降は有料となります)。

授業の進め方について

まず、本書の構成について簡単に説明しておこう。たとえば、この 時限目では「シミュレーション能力」を身につけることになっているよね。でも、ほとんどの人は「なんでシミュレーション能力なんだ?」とか、「そもそもシミュレーション能力って、どんな力なんだ?」という疑問を持っていると思う。

そこで、それぞれの授業の冒頭では、ぼくが「学ぶ理由」についてお話しします。つまり「シミュレーション能力とはなにか?」とか、「なぜシミュレーション能力 が必要なのか?」みたいなイントロダクションだよね。

きっとみんなも、数学の問題を解きながら「これがなんの役に立つんだ?」「こんなの社会に出てからどれだけ使うんだ?」と疑問に思ったことがあるんじゃないかな。たしかに、なんのためにやっているのかわからないまま進める勉強は、苦痛以外のなにものでもありません。

だからとにかくこの本では、最初に「学ぶ理由」をはっきりさせる。シミュレーション能力からプレゼンテーション能力まで、なぜそれが必要なのかをしっかり理解してもらう。その上で、ぼくが「よのなか科」でおこなってきた授業を、紙面上に再現する。みんなに、まるで本物の授業を受けているように、考えてもらうわけだ。

いまからはじめる1時限目から最後の5時限目まで、すべてこの流れでいきますので、よろしくお願いします。

すべては「知ること」からはじまる

それではさっそく1時限目をはじめよう。この「よのなか科」は、「情報編集力」を身につける授業であり、もっとシンプルにいうなら「考える力」を身につける授業なんだよね。暗記する力でもなく、機械的に処理する力でもなく、自分のアタマで考える力。

じゃあ、「考える」ってどういうことだろう? 誰だって、毎日なにかを考えながら生きている。勉強以外でも、好きな食べ物のこと、好きなアイドルのこと、ほしいシューズのこと、今夜放送されるドラマのこと、明日の天気のこと、たくさんのことを考えている。

でも、ここに「考える力」はあまり使われない。おなかが空いたとか、あの服がほしいとか、明日雨が降ったらどうしようとかって話は「考える」というより、「感じる」とか「思う」に近い感情だよね。いま、ぼくが問題にしている「考える力」は、もっと深くて、もっと頭を使うもの。

そこで最初に、この授業の根っこにある「考えるとはどういうことか?」について、見ていくことにしよう。

たとえば、「うどんを世界の人に食べてもらうにはどうしたらいいか?」という問題があったとする。このとき、みんなの頭からはいろんなアイデアが出てくると思います。「鰹(かつお)ダシの風味が苦手な外国人は多いから、ダシを変えてみよう」「うどんの上に乗せる天ぷらを、フライドチキンにしたらどうだろう」「フォークでも食べやすいように、麺を細くしよう」みたいにね。

じゃあ、これがうどんじゃなくって、「からすみ」だったらどうだろう? すぐにアイデアが出てくるかな? そう。たぶんほとんどの人は「からすみってなに?」「そんなの食べたことないよ」という感想じゃないかと思います。ちなみに、からすみはボラという魚の卵(卵巣)を塩漬けにした食べもの。お酒のおつまみとして好まれていて、日本三大珍味のひとつとされています。

うどんのPR作戦だったらたくさん「考える」ことができるのに、からすみのPR作戦については、ほとんどなにも浮かばない。これってすごく大切なポイントで、ぼくらは自分が「知ってること」については、いろいろ考えることができるんだけど、自分が「知らないこと」についてはほとんど考えられないんだ。

だって、考えるための「材料」がないわけだから。江戸時代の人に「インターネットのおもしろさを述べなさい」といっても、なにも答えられないのと同じだと思ってもらうといい。

つまり、なにかを「考える」ためには、かならず「知る」というステップが必要になる。知らなければ、「調べる」という作業が必要になる。しっかりと調べて、たくさんの情報が揃ったところで、ようやく「考える」ことができるというわけだ。

まずは知ること。調べること。「考える」は、すべてそこからはじまります。

※続きは明日掲載します。
 たった一度の_本とプロフ (1)