空気を読まない「鈍感力」は善か悪か ビジネスにおけるメリットと捉え方の変化の背景
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心理的安全性を追い求める鈍感力なら、ますます拡大することを願います。
自分も鈍感でもっと言うと頓珍漢な方ですが、他人に"鈍感"とか言ったり決めつけるのはいかがなものかと、感じてしまいます。
背広の肩に手を寄せたらサッと受け取る
ポケットを探ったらライターをシュボッ
ガキ大将を称える。ボスにYes一択!
ボケに向かってナンデヤネン
なんとか道、守破離の守
一本締めでパンッ!
ぶぶ漬け伝承
校歌斉唱
どれも、他人に言われてする事でなく、最後は自分で決めてした事。流された決断も自分でした事と一旦は決めておくと話がシンプルになりそうです。
ただ、強烈で何ともし難い圧力に負けて決断してしまうこともあり、軽視することはできません。空気に支配されたり、(悪)仲間意識から来る敏感は、"安全"を獲得する唯一の選択肢としか思えない防衛反応だったりします。スキルや学歴・地位獲得、民族意識、派閥、O尊O卑、無反応、常識や躾の押し付けも同類の弱さによって決断実行した側面も有るかもしれません。
心理的安全性を高めて、
自主性・決断のストレスを少しでも軽減し合えるといいですね。世界中の仲間と協調的で、善良さが自然と発揮できると素晴らしいです。変化や多様性を一層楽しめるようになります。現に、そういう価値観を追い求め、多様なプラクティスが運用されてる所があります。
心理的安全性を追い求める鈍感力なら、ますます拡大することを願います。
注目のコメント
鈍感か敏感か二者択一じゃない。
幸せな気持ちになるなどポジティブな感情を生むことには敏感で、嫌な気持ちになるなどネガティブな感情を生むことには鈍感。
これがいいですね。そう考えていると無意識のうちにそれぞれに対する感度が変わってきますよ。対人関係も変わります。鈍感な人間と敏感な人間というものがいるわけではなく、鈍感な部分も敏感な部分も両方持ち合わせているもので、相対する事態や相手によって鈍感になったり敏感になったりするものです。人は自分が不快や不安な気持ちになったりする場合に敏感になるだけです。両極端になってしまうことが問題なのであって、当然善悪で分けるべきものでもありません。
夫婦でも恋人同士でも相手のちょっとした行動をきっかけに憤慨したり嫌いになったりする場合がありますが、その一点をもって相手を全否定するのは過敏な反応です。自分だって誰かに不快や不安を与えている場合もあるのに、誰もがそれには鈍感なものです。
SNSの中にも自分の不快に過敏で、そのために自分が周囲を不快にさせていることに鈍感な奴がたくさんいます。北野武さんと立川談志さんとの会食。遅れて登場した武さんは、胡座をかいている太田光の横で、さっと座布団をどけて、畳に正座で挨拶を交わした。
by爆笑問題太田さん
「鈍感なジブン」と「敏感なジブン」を、TPOで上手く使い分ける人こそホンモノ。