2023/8/21

【遠山正道】価値観が逆転する。きたる「ピクニック紀」に備えよ

NewsPicks Brand Design editor
 SNSの普及や多様化により、企業から顧客にアプローチする手法は急増した。それにもかかわらず、顧客から好かれ、信頼関係を築けている企業は一握りではないだろうか。

 顧客に愛される企業になるために、どんな顧客コミュニケーションが求められるのか。

 スープストックトーキョーなど多くのファンに支持されるブランドを展開するスマイルズの遠山正道氏と、LINEを活用し顧客と企業の双方向コミュニケーションを叶える「Liny」を展開するソーシャルデータバンクの伊藤俊輝氏が、語り合った。

ビジネスの起点は「自分」

伊藤 スープストックトーキョー(以降スープストック)をはじめとして、遠山さんが創り上げたブランドはたくさんのファンに愛されていますよね。「便利だからお店に行く」というよりは、「好きだから行く」という人が多いと感じるんです。
 顧客との親密なつながりを作るために、遠山さんは何を大事にしてきたのか。今日はそこをぜひお伺いしたいと思っています。
遠山 私自身が大切にしているのは、シンプルに「自分のやりたいことをやる」ということです。
 世の中のニーズとか成長領域なんてものは置いておいて、「自分事」として始めることが何より大事だと考えています。
 そもそもビジネスというのは、利益が出ないと継続できない厳しい世界。だからこそ、自分たちの根っこに「なぜやるのか」という明確な答えがないと、つまずいたときに踏ん張れないんです。
 お客さんにも、ビジョンを真摯に追う姿勢は伝わるものです。企業のまっすぐな思いを感じて、応援してくれる人が増えていくのではないでしょうか。
伊藤 非常に共感できます。一方で自分の思いを貫くことで、顧客を“置いてけぼり”にしてしまうことはないのでしょうか? 
遠山 起点は自分たちの思いですが、もちろんお客さんを蔑ろにするわけではありません。
 むしろ私たちの場合、「お客さんとつながりたい」という欲求は、大前提として持っているんですよ。放っておいてもお客さんのことが気になって仕方ないというスタッフが、たくさん集まっています(笑)。
 たとえば、お客さんの特徴をメモしているスタッフもいて。
 以前、ある店舗に、毎日のように来店して「野菜と鶏肉のトマトシチュー」を注文してくださる方がいたんです。そんなに通ってくれるんだから、来店スタンプを貯めればお得になるのに彼は興味がないようで、カードを渡しても次回持ってこない。
 そこであるスタッフがそのお客さん用のカードをつくってレジ脇に置き、他のスタッフと共有してスタンプを押してあげていました。スタンプが20個貯まったところで、「こちらでスタンプを貯めておいたので、今日は無料になりますよ」と伝えたそうです。
 それを聞いたお客さんは、特別感動するわけでもなく、いつも通り淡々とトマトシチューを食べたそうなんですが(笑)。でも、それでいいんですよ。それこそスタッフが自分事として、好きでやっているんですから。

目先の売上に惑わされていないか

伊藤 私たちが手掛ける、LINEを活用し顧客と企業の双方向コミュニケーションを実現する「Liny」も実は、便利で面白いものをつくってみたい、目の前の困っている人を助けたいという、私の個人的な思いから始まったツールなんです。
 というのも大学院生の頃、家庭教師をしていた友人が、LINEで生徒の勉強の進捗を管理していたんです。ですが生徒数が増えて、埒が明かなくなってしまって…。
 ちょうどその頃LINEのAPIが解放されたこともあり、彼のために生徒一人ひとりの学力や志望校、勉強の進捗、会話の履歴などをひと目で確認できる、そんな仕組みをLINE上に作ったんです。そうしたら、すごく喜んでもらえて。
 同じような悩みを抱えている人がいるのではないかと改良を重ねて作り上げたのが、当社のLinyなんです。
遠山 まさに自分事から始まった事業なのですね。
 Linyを使うと、企業は顧客とどんなやりとりができるようになるんですか?
伊藤 たとえば遠山さんが、美容院を経営しているとしましょう。顧客が数十人であれば髪質や来店頻度、前回の来店でどんな施術をしたかということもどうにか覚えていられますが、顧客が増えればさすがに把握しきれなくなりますよね。
 そこでLinyを使って、その人の属性や髪質、施術内容などを管理してもらう。すると、最適な時期に来店を促す連絡や予約の受付、リマインドもシステムに任せられます。
 それにより生まれた時間で「髪型をうまくセットできない」とか「次の髪型に迷っている」といった顧客相談に、LINEで乗ってあげられる。そうしたやりとりも、Liny上に顧客情報が整理されていることで、非常にやりやすくなります。
 結果的に、お店と顧客の信頼関係が築け、ファンになってくれる人も増えてくると思うのです。
遠山 いいですね。スープストックのようなファストフードではそこまでのやりとりを日常的にはできないので、そんなコミュニケーションには憧れますよ。

「ピクニック紀」の到来?

遠山 ただ、特に伊藤さんが身を置くマーケティング領域は、緻密に数字を追うことが求められる世界ですよね。自分の「思い」とか「価値観」なんて、悠長に言っていられない領域というイメージもあるのですが。
伊藤 それはおっしゃる通りです。マーケティングの世界では、短期間でどれだけ顧客数や売上を伸ばせるかという数字がゴールになりがちです。
 そのため、手っ取り早く売上や来店客数を増やすための、一方的な情報発信に時間を割いてしまっている企業が少なくない。
 こうした数字を追うほどに、「この事業を通して誰を幸せにしたいのか?」という本質や、顧客一人ひとりとの温かみのある接客といった観点は、後回しにされてしまいやすいのです。
遠山 難しい問題ですね。 企業が手掛けるデジタルマーケティングの中には、コミュニケーションとは言えないものも多いと感じます。メルマガなどで全く興味がない情報が送られてくると、正直煩わしい。
 一方で、売上や成長をビジネスの第一義とする潮流は、大きく変わりつつあると感じています。
 以前、ある大学で講演したとき、学生たちに「成功と安定、どちらを選ぶか」と聞いたことがあるんです。すると、ほとんどの学生が「安定」を選びました。
 ただ、話を聞いていくと、彼らが単純に安定志向というわけでもなくて。
 むしろ利益を最大化するために他者を蹴落としたり、成長のために自分の大切な価値観を蔑ろにしたりすることに、嫌悪感を持っている。その先にある成功には、どうやら興味がないということなんです。
伊藤 なるほど、興味深いですね。
遠山 まもなく、こういう価値観を持った世代が消費の主役になる。「なぜ利益を最大化する必要があるんですか?」といったピュアな問いを投げかけてくる、そんな世代がマジョリティになるんです。
これからやって来るそんな時代を、私は「ピクニック紀」と呼んでいます。
伊藤 ピクニック紀……? それはどんな時代ですか?
遠山 ピクニックは、気の知れた仲間で集まって、自然の中で楽しい時間を過ごす行為ですよね。
 つまりピクニックには勝敗がないし、壮大なビジョンはおろか、目的さえもない。重要なのは、「気持ちがいいか」とか「心が豊かになるか」といった視点です。
 これからは、そんなピクニックのように「協調」や「幸せ」を大事にする価値観が主流になると考えているんです。逆に「競争」や「成功」といった考え方は、時代遅れになっていくのではないか。
 その時代には、現在の売上一辺倒のマーケティングのあり方も、様変わりしているかもしれませんね。

デジマにも人の温かみを

伊藤 なるほど、非常に共感できます。そんな時代にマーケティング領域において価値が高まると考えているのは、顧客との個別のコミュニケーションです。
 モバイルオーダーやセルフレジが普及して、買い物するにもご飯を食べるにも、人と接する必要がなくなっている。そんなときにこそ、ちょっとした幸せを感じられるような、温かみのある接客を提供することは、より重要な意味を持つのではないか。
 そのマーケティングを行うツールとして、LINEほど幅広い層に親しみのあるものはないと考えているのです。
遠山 たしかに高齢の人でも、LINEなら使えるという人は多いですしね。Linyは具体的に、どんな領域で利用されているんですか?
伊藤 本当にさまざまな業界です。美容院や飲食店は想像しやすいと思いますが、不動産業界でマンション探しの顧客とのやりとりのツールとして使われていたり、人材採用のための情報配信や先行連絡に活用されていたりしています。
 ビジネスだけでなく、暮らしの中に浸透して使っていただいている例もあります。とある自治体は、Linyを通してLINEで観光情報を提供したり、地元の人に行政サービスや気象・防災関連の情報を配信したりしている例もあるんです。
遠山 幅広いですね。そういえば私も、よく行く軽井沢の八百屋のLINEを友だち登録しているんですよ。正直、一斉に送られてくるキャンペーン情報はあまり見る気にならないんだけど、「まだ今日開いてる?」と聞けたり、「採れたてのトウモロコシが入ってますよ」と個別に教えてもらえたりするなら、確かにいいなと思いますね。
伊藤 ええ、まさにLinyをそういう風に使ってほしいんです。やはりLINEは、テレビCMなどのマス広告と違い、1対1の人間同士のツール。そう考えればLINEは単なる広告のツールではなく、顧客とつながる接点と捉えるべきだと思うのです。
 LINEを通して、まるでなじみのお店に帰ってきたかのような感覚と人の温かさを感じられるコミュニケーションを、デジタルマーケティングでも実現する。Linyを通してそんな世界をつくるべく、サービスをより磨き上げていきたいと思います。