広島市長「核抑止論は破綻、直視を」被爆78年の平和宣言
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広島、長崎の悲惨さを見て核廃絶を願う国家指導者もいれば、これだけの破壊力を持つ兵器であるがゆえ持ちたい、と考える国家指導者も世界には一定数いるはずです。北朝鮮はその典型でしょうし、米国に対抗する数の核を持つべく量産に励む隣国もたぶんその一つと見て良いでしょう。パキスタンが核を持っていれば国家分断の憂き目を見ることはなかったとして核開発に励んだ同国の故カーン博士はおそらく後者に属していたのでしょうし、ウクライナがブタペスト合意を信じて核を放棄していなければ、ロシアの侵攻に会うことはなかったに違いありません。かつてのイラクにしても同じです。
そういう意味で、核が他国による自国の侵略を抑止する手段として今なお生きているのは間違いなさそうに感じます。唯一の被爆国の国民として、あるいは一人の人間として平和を願う気持ちは人後に落ちぬつもりですが、我が国が他国に侵略されて再び悲惨な目に合うことを避けるため、現下の世界情勢の中で如何にして守るかは、現実的な問題として捉える必要がありそうに感じます。
<追記>
核抑止力はもともと核保有国間にのみ存在する概念で、核を持たない国にはありません。核保有国同士が相互確証破壊で安定すれば、核を持たない国は逆に不安定な立場に置かれます。ブタペスト覚書を信じて核を放棄したウクライナをロシアが侵略しているのに、覚書の当事者で核保有国でもある米国、英国が直接手を下してウクライナを守ろうとしないのがその証左です。そういう意味で英米ロ間の核抑止力は正に働いているわけで、それを直視しないと今の世界は語れないように思います。両親が広島出身ということもあり、原爆に対しては強い感情が湧きます。
現実的にすぐ消えてなくなるわけでもなく、世界のパワーバランスを保つために必要!と主張する国家元首がいるのも事実。
核を持たずにここまできた日本は、ロールモデルとしてもっと存在感を出したいものです。