【最新研究】私たちには「静寂(無音)」が聞こえている
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夜、天井を見上げているときにやってくる静けさ。
その静寂を、私たちは音として聞いているのでしょうか?それとも音が欠如している状態を「静寂」だと認識しているのでしょうか?
よくよく考えてみるとわからないこの疑問への答えが、「音の錯覚」を利用した巧妙な実験により明らかになりました。果たして、私たちが感じている「沈黙」とは何だったのでしょうか?ぜひご覧ください。静寂が聞こえている、という考えは哲学的です。静寂では鼓膜が振動しない。体の細胞も振動しない。この静寂を聞こえていると考えるか、音を認識していないと考えるのか。
人は、考え事をしていると、雑音が聞こえなくなります。この時には、静寂が聞こえているわけではありません。考えれば考えるほど、静寂の深みにはまりそうです。>>表現者としては興味深い記事です
動物やヒトが外界を感じ知るための多種類の感覚機能のうち、古来の分類による5種類、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。
「静寂(無音)」の中で私たち人間が感じる感覚は
それぞれ様々であり、多種多様だと感じます。
少なからずもご縁がある
木村敏行氏の
https://newspicks.com/news/8682460?ref=user_7775269
のコメントで
ジョン・ケージの有名な作品に「4分33秒」という曲?
が気になり探求したところ
そのインスパイア―は
友人のロバート・ラウシェンバーグによるいわゆる「白い絵画」
Robert Rauschenberg "White Paintings" 1951
検索すると真っ白い3枚のキャンバス。
https://kousch.info/white-painting/
ジョン・ケージの有名な作品「4分33秒」が友人のロバート・ラウシェンバーグによるいわゆる「白い絵画」からの影響を受けたものであれば
それは視覚による
「静寂(無音)」になり得ます。
>>私たちクリエイターは
何かを伝えるために日々その感覚を様々な媒体や自分自身のスキルで
発信しています。
そこには少なからずも「五感」が不可欠なのです
いつか昔の既視感(デジャヴ)で
五感を互換と例えた情景があったように
私たちの感覚は互換(置き換えられている)
意味のある「静寂(無音)」ではなく
時には意味もなく「無音」の世界へひっそりしみじみと
入り込むことも 表現者にとっては必要。
その空白ともいえる(静寂)×沈黙をより深く楽しむ(論じて)
みること。時は金なりを言い換えるなら
沈黙は( )なり
この( )を「静寂(無音)」と定義告げられるなら?
読者の皆様はなんと?お思いになられるのでしょうか?
>>余談
ChatGPTがなかなか回答を導いてくれない
その合間(沈黙) あっという間に回答を出してくれるその瞬間よりも
その間に最近愛着を感じます
その「静寂(沈黙)」がなんだんだろう?と考えると
それは次の指示へつなげるプロンプトにもなり得る
不思議ですね
沈黙(静寂)とはAIも思考する上で必要なんでしょうね。
無音の中から新しい気づきを得ました。
(今日も素晴らしいコメント皆様ありがとうございます)