Vol.68 他者の行動を変えさせるためにできること/『いまを生きる』
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先日、寳幢寺の松波龍源先生と対談させていただいた時に出てきた「今を生きる」という言葉。この言葉を深めるために、(めっちゃ安直に)ロビン・ウィリアムスの映画でお馴染みの『いまを生きる』を読み返してみました。
僕らはそれぞれに「今」という時間が与えられているはずなのに、勝手に他者の「今」を、自分の「過去」とつなげて考えてしまう。そこに思考のバグが発生するのではないか。
懐かしきストーリーを振り返りながら、今週のトピックスではそんな解釈を綴ってみました。
やっぱり『いまを生きる』いいね。
注目のコメント
状況によりますが、ひと通り話し合って、最後は子供の選択。結果は良くても悪くても子供に返って来る。その事を本人が自覚しての事なら良いんじゃないかと。
親は我が子が絶対的に可愛い。
我が子がそれを分かっていてくれさえすれば、大抵は何とかなるかと。
時代はいつの世も、否応なく変化し続けます。子供にとって親の人生はエピソードとして、何かの時に役に立てば、それで良い。
自分の親もそうだったけど、何はともかく
幸福であれと願うのみですね。「今を生きる」、因果じゃなく果因という考え方がある。確かに、まず結果を出してなぜそんな結果になったのかを振り返るのは有益だなと思いました。子供も他人にすぎない。親は親の今を生きることが大事だと言うこと。それはまるで子供には期待してないような冷たい印象を与えますが子供は子供の人生だから…ってことなのかなと。今を生きるというのは自分の好きなことをやれという意味で、例えばスマホ中毒の子がいるならとことんスマホをやらせて、テストで悪い点を採ったら何が原因かをその時に考える。子供が自覚できていれば親が入り込む必要はないのかもしれないなと思いました。
某アイドルグループの歌にジコチューで行こう!っていう歌があるのですが、この瞬間を無駄にはしない。人生あっという間だから周りなんか関係ない何を言われてもいいからやりたいことをやるんだ。マイペースで。的な歌詞がありますがそれが思い浮かびました。他人の心配をするのは余計なお世話だからあなたの今を生きるんだと、この記事を読んで思いました。