2023/6/18

【対談】不安な時代こそ「時間をかける」ことを見直そう

NewsPicks編集部
ネットを使って効率的に情報を入手し、SNSで自分の気持ちや考えをいつでも発信できるようになった現代。
だが、誰ともつながっていないと孤独を感じたり、何かを深く理解する機会が減っているような気がしたりする人も増えているのではないだろうか。
そんな時代のコミュニケーションについて、評論家の與那覇潤さんと、臨床心理士の東畑開人さんが対談した。
與那覇さんは昨年、『過剰可視化社会』(PHP新書)で、SNSによって「見えすぎる」ようになった現代社会の問題について論じた。東畑さんは『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書)で、現代のコミュニケーションを新しい視点で捉え直した。
昨年話題になった新書を出した2人が、「聞く」と「聴く」を入り口に、現代のコミュニケーションについて語った。
記事は2023年2月にNHK文化センター青山教室で行われた対談をもとに構成しました。
INDEX
  • シンプルに「聞く」のは意外と難しい
  • 「同調圧力」が生まれる理由
  • 「誰にも聞いてもらえない」不安
  • 建前も本音も、両方「自分」
  • 河合隼雄と村上春樹
  • 人間の「アプリ化」が進んでいる
  • 安心感が「過去を背負う」基盤になる
  • お金と意味は、似ていて違う
  • 時間をかけることにも意味がある

シンプルに「聞く」のは意外と難しい

與那覇 東畑さんが昨年出された『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書)がベストセラーになり、『中央公論』誌の「新書大賞2023」でも5位に入るなど好評です。
カウンセリングのプロが「きく」技術を教えるというコンセプトからは、相談者自身が気づいていない秘められた本音、心の奥底に眠る無意識の声を「聴く」技術を想像しがちですよね。
しかし東畑さんは、普通に「聞く」ことこそがいま大切で、相手が発する言葉をそのまま聞くだけでいいんだと説いています。
深く「聴く」ではなく、シンプルに「聞く」。あえて、一見すると難易度が低そうに見えかねないテーマに絞って、1冊書くと決めた理由をうかがってみたいのですが。
東畑 河合隼雄さん(心理学者。故人)が「こころの声を聴く」と言ったように、確かにカウンセラーには、クライエントがまだ言葉にできていない心の声を深く聴くんだという問題意識があります。
でも、クライエントの態度の「裏にある意味」を解釈することに必死になると、クライエントが実際に目の前で「言っていること」が聞けなくなってしまうことがあります。
つまり「聴く」を追求しすぎて、「聞く」を失う事態がときに起きる。
こういうとき、カウンセリングは危機に陥っているし、それは日常の人間関係でも同様です。深読みしすぎて、素朴に聞けなくなっているときってありますよね。
なので、まずはちゃんと聞く。ディープリスニングの前に、きちんとヒアする。
深く「聴く」のはその後でいいんだ、ということを書いてみたかったんですよね。
與那覇 興味深い。いまの東畑さんのお話には、人間の「感覚と主体性」についての大事な視点が入っていたように思います。
人間の「五感」という呼び方をよくしますが、この基礎的な5つの感覚には能動的なものと受動的なものとがありますよね。
たとえば視覚は、見る人がコントロールできる能動的な感覚です。我々はある程度まで、「見たいものだけ」を見ることができます。
例えばウェブサイトを閲覧する時、「この辺はもう知ってる知識だからいいかな」と飛ばして、面白そうなところだけをじっくり見たりする。
これに対して聴覚で、「聞きたいことだけを聞く」のは結構難しい。嗅覚はもっと受動的で、「嗅ぎたい匂いだけを嗅ぐ」ことは普通できません。
その意味では、「見る」は能動的で、「聞く」は受動的な営みです。
東畑さんがおっしゃっているのは、カウンセリングの世界ではこれまで、「きく」行為をなるべく能動的な方向で理解しようと。そうしたバイアスがあったということですよね。
カウンセラーが面接を通じて、クライエントの心をのぞき込み、「おそらくあなたは、本当はこう思ってるんじゃないですか?」みたいな「聴く」が重視されてきたと。
それに対して、東畑さんは今回、カウンセラーに限らず多くの読者に「もっと受動的であれ」と促している。こう理解してよいですか。
東畑 そうですね、ちょっとずらした視点からお答えすると、美学には五感を「高級感覚」と「低級感覚」に分ける考え方があるそうです。
高級感覚は「視覚・聴覚」で、低級感覚が「嗅覚・触覚・味覚」。伝統的には、高級感覚の方が人間的な感覚であり、低級感覚は動物的な感覚とされてきました。
この分類を参照すると、確かに同じ聴覚でも「聞く」は受動的な分、むしろ動物的なのかもしれない。逆に「聴く」の方が高級で人間的、という評価もあり得る。
しかし重要なのは、人間は動物的な部分が脅かされると、つまり低級感覚がしっかり機能していないときには、実は高級感覚もおかしくなってしまうんです。
ご飯を食べられない、ご飯をおいしいと感じられない状態で、「夏目漱石を読んで論ぜよ」とか言われてもしんどいですよね。
そう考えると、低級感覚の方こそが、私たち人間にとっての生活のベースじゃないかと思うんです。うつの体験がある與那覇さんは、振り返ってどう思われますか。

「同調圧力」が生まれる理由