アメリカの職場ではなぜドキュメントも無いのに人が去っても問題ないのだろう?
コメント
注目のコメント
そうなんですよね。専門性があるから自分も相手も相互に補完ができるのです。ただ、専門性と言っても幅や広さがあるので、一概にコレっていうものは示しませんが、その専門性を無視して仕事に従事させるから現場が混乱して、本来進めなくてはいけない仕事が進まなくなっているのは事実です。お互い不幸ですよね。さらに言えば、専門性があるのにそれとは違う仕事をさせるというのが悪い対応で、それを現場で厄介として対応しちゃうと職場の雰囲気が悪化していきます。そして、専門性を度外視してナンデモカンデモ来た人やいる人にやらせるのがブラックな職場の1つとして認知されているのです。
日本の上場企業に課せられるJ-SOXだとドキュメントが凄い大事なんですよね。仕様書や設計書がないと、内部統制(ITアプリケーションコントロール)の有効性評価ができない。
何故なら、コードを読んでまでプログラム処理の確らしさ=ITACの有効性を評価しようとしないから。
ドキュメントの内容を信じるんですよね、日本は。
それに対してUS-SOXはJ-SOXよりも厳しいとよく言われますが、ドキュメントが残っているかどうかはそこまで問題にならないです。何故ならこの記事のようにコードを読みにいくから。ドキュメントがあっても完全に信用しない。だからドキュメントを残すことにあまり価値が置かれない。この話はいろんなところに通じると思います。
特に、老舗の企業だと属人状態の防止を求め、一方で効率化のための学習に考えが向かず、「誰でもできるように」ローテクであることを求める。
内部統制的な考え方だと独自システムを良しとしないっていうことを見たことがあります。
ですが効率化できることはどんどん効率化して新たなことにリソースを割けるようにした方が幸せになれるのでは?と考えます。
——————————————-
日本の時はアーキテクチャは基本的に「誰でもコードを書けるような」アーキテクチャに寄せがちだったが、こちらは、そもそも全員が専門性を持っているので、「誰でも書けるコード」に寄せることはしない。