2023/6/8

ついに「実行フェーズ」へ。データ活用で医療はどう変わる?

NewsPicks Brand Design editor
 予防医療やより良い治療の提供を目的に、利活用の必要性が叫ばれてきた医療データ。
 一方で、医療機関側がデータ活用の動機を持ちづらいなどの背景から、医療に関わるデータは各医療機関、各個人にほとんど閉じたまま。
 山のような医療データと、それを活用するためのテクノロジーは存在するものの、“実行フェーズ”になかなか移せていないのが現状だ。
 そんな状況を打破すべく、数々の民間企業が動き出していることをご存じだろうか。
 本インタビューでは、医療分野で異なる事業をおこなう5名が一堂に会した。
 民間企業だからこそ発揮できる価値はなんなのか。医療データ活用を構想のまま終わらせず、“実行”に移すために求められるものとは。議論の様子をお届けする。

医療現場は“困っていない”?

──医療データを利活用する気運は高まっており、一般病院における電子カルテの普及率は57.2%(2020年)まで増えました(注1)。一方で、患者視点では医療データ活用によるメリットを感じる機会は、正直あまりありません。
 こういった医療データ活用の現状に対して、皆さんはどのような課題意識を持っていますか?
田尾(デロイト トーマツ 医療機関もヘルスケア関連企業も、これまでは「自らのサービスをいかに高めるか」という思考が強く、自分たちでデータを囲い込む傾向にありました。
 よって、予防から疾患の認知、情報収集や診断、治療、予後モニタリングなどのプロセスにおいて、用いられるデータも関わるプレーヤーもバラバラ。
 一連の“患者体験”が分断されてきたのです。
 医療機関のデータが電子化されたとしても、“患者視点”に立ったサービス設計ができていなければ、患者としては価値を実感できる機会が少ない。この観点には課題意識を抱いています。
先崎(日本アイ・ビー・エム) 共感しますね。私は日本アイ・ビー・エムで電子カルテ事業に携わっていますが、田尾さんの指摘は医療機関のシステム構築の観点にも通じています。
 というのも電子カルテは、医療機関の要望に応じて、事細かにカスタマイズされるケースが大半です。
 各医療機関にとっては最適化された状態で使える利点がある一方で、システムやデータは標準化されていません。
 それが、医療機関同士や企業と医療機関のデータ共有の障壁になってきた側面も大いにあるのです。
武藤(インテグリティ・ヘルスケア) そもそも医療に関するデータは、①大規模な病院が保有するデータ、②クリニック(開業医)が保有するデータ、③患者が保有するデータの3つに大別できます。
 この3つを整理して考えた方が、議論しやすいかもしれません。
 まず一つ目の病院が保有するデータの共有が進まない理由は、率直にいえば病院が“困っていない”からだと考えています。
 特に大きな病院であれば、治療は院内で完結できる場合がやはり多い。これまで病院が担ってきた「診察」と「治療」の提供を維持するだけなら、データを外部と共有する必要もないですからね。
根橋(エムスリー) 私が所属するエムスリーでは、企業の健康経営を推進する事業も展開しているのですが、企業の健康経営支援に必須の健診データにおいても、標準フォーマットの不在は障壁になっています。
 大きな企業だと、社員が200ほどの医療機関で別々に健診を受ける場合もあり、それに伴い診断結果のフォーマットも200パターン、なんてケースもあるくらい(笑)。
 そんな状況では、社員の健診結果を長期的に活用しようとは思いづらい。実際に経済産業省の調査では、従業員の健診データのデータベース化を実現しているのは大企業でも約4割(注2)。
 日本は、企業に所属していれば基本的には健康診断を受けることができる、世界でも非常に稀な国です。そんな宝の山のような健康診断データが存在しているのに、これは本当にもったいない話です。

あなた自身が持つデータに価値がある

──「困っていない」ステークホルダーに向けて、医療データ活用を促していくのは難易度が高いですよね。どのように推進していくべきなのでしょうか?
武藤 確かに病院が保有するデータ活用のハードルは高いですし、道半ばです。
 一方で、電子カルテの普及や医療情報の標準規格FHIRの導入、プライバシー保護の強化など、すべきことは明確で、着実に前進していると言えます。
 一方で見落とされがちなのは、患者自身が保有するデータです。
 実は、患者自身が測るデータは、非常に価値が高いのですが、ほとんど有効活用されていません。
 たとえば血圧値。医療機関ではその瞬間の数値しか測れませんが、患者が自宅で測定することで値の推移がわかり、データとしての価値が一気に高まります。
 高血圧との合併症のリスクなども、血圧値の推移がわかれば予測しやすくなるはず。
 こういった患者個人が持つデータと、病院や開業医が持つデータを掛け合わせることは、予防や治療を前進させる上で、大きな可能性を秘めていると思うのです。
先崎 そうですよね。実際、弊社が参画しているプロジェクトでも病院や製薬企業、PHR企業と組んで、医療・健康データを連携し分析・活用する取り組みが出てきています。
 また、医療データを活用する価値として、希少疾患や難病の早期発見があります。
 たとえば、デロイト トーマツが事務局を務め、武田薬品や日本アイ・ビー・エムなどが共同で取り組んだ希少疾患の遺伝性血管性浮腫(HAE)の事例です。
 HAEは皮膚や消化管が腫れる病気で、喉が腫れると窒息のリスクもある疾患です。しかし、患者の数が極めて少ないため、長年の経験を持つ医師ですら、この病気には気付きづらい。
 日本では、初発から確定診断までに平均15.6年(注3)もかかっていて、診断率は約20%(欧米では70%以上)というのが現状です。
濱村(武田薬品工業) 武田薬品も、HAE患者さん向けの製品を提供してきました。
 HAEの診断率が低いとの課題意識は持っていたものの、製薬企業の知見だけでは解決が難しく、もどかしい思いをしてきました。
 そこで複数の製薬企業や医療デジタル企業、患者団体、医療従事者が参加した「一般社団法人遺伝性血管性浮腫診断コンソーシアム」の設立を支援しました。
 アカデミアや医療従事者が持つ病気に関する見識、IT企業が持つテクノロジー、私たちが持つ製薬に関する知見、医療機関や患者団体が持つ危機感などを掛け合わせることで、この課題を解決に近づけたいと考えたのです。
先崎 このコンソーシアムでは、実際にアメリカの医療機関から収集したEHRデータ(電子健康記録)を使い、HAE疑いの人をスクリーニングするAIを研究開発しました。
 HAE患者に共通してみられる症状や病歴・薬歴などの特徴をAIが抽出し、類似の特徴を示す人を潜在的な患者として抽出します。
 最終的な診断は専門医が行いますが、これを国内のある大学が保有する電子カルテデータで精度検証したところ、当初想定していた以上に希少疾患の患者を絞り込むことができ、未診断患者の発見につながる可能性を示すことができました。
濱村 この事例では、ステークホルダーを横断して医療・健康データを収集・分析することで、より良い治療を提供できる可能性を示すことができ、患者さんに貢献するための素晴らしい連携になったと考えています。
 裏を返せば、医療・健康データの利活用で得られるはずのベネフィットは、今も日本に数多く埋もれているはず。
 こういった事例を世に出していくことが、「医療データ活用が進めば、こんなこともできるのか」という発見につながり、データ活用の価値が伝わるのではないかと考えています。

求む、より良い医療の共創者

田尾 このようなステークホルダー同士の共創を推し進めたいとの思いで、今日参加いただいている4名と共同で医療データ利活用のあるべき未来像、課題および解決策をまとめたホワイトペーパーを制作しました。
 コンサルティングファームであるデロイト トーマツは、患者と医療機関や製薬企業を横断した医療データを一元化するためのプラットフォームを保有しています。
 このプラットフォームを起点に、私たちが医療に関わるステークホルダー同士を結ぶカタリスト(触媒)の役割を担い、より一貫性ある患者体験提供に貢献していきたいと考えています。
根橋 医療データの一元化は、個人の人生においても、より豊かな意思決定につながりますよね。
 出生直後からのライフログである健康データ、労働期の健診データ、医療機関受診時の電子カルテデータが個人ごとに一元的に可視化されれば、病気の予測や適切な生活スタイルが導き出されるはず。
 そういった世界を実現できるよう、私たちも貢献していきたいと思います。
武藤 冒頭で「データ活用ができなくても病院は困ってない」と言いましたが、広い視点に立てば、HAEのように患者が最終的に困っている潜在事例は数多くあるはずです。
 たとえば腹痛の場合、医学的に原因疾患は100以上挙げられるはずですが、医師も診察経験がない疾患は想定できず、100以上の原因疾患全ての鑑別は、もはや人知を超えています。
 ですが、そういった鑑別を得意とするAIがデータを分析すれば、より的確な治療法も今後生み出されるかもしれません。
 このように埋もれたデータを活用することで、不幸な運命に翻弄される患者の数を減らしていけると、大きな期待をしています。
注1)出典:厚生労働省「電子カルテシステム等の普及状況の推移」
注2)出典:経済産業省「健康・医療新産業協議会 第7回健康投資WG 事務局説明資料①」
注3)出典:Iwamoto K, Yamamoto B, Ohsawa I, et al.The diagnosis and treatment of hereditary angioedema patients in Japan: A patient reported outcome survey. Allergol int. 2021 Apr; 70(2):235-243)
※濱村氏は武田薬品所属ですが、今回の対談に関しては個人としての参加となります。