2023/4/21

【VR】幸福と快楽の極地を求めて

ChatGPTが登場してからやや鳴りを潜めている印象のメタバース。瞬く間に世界中の人々に活用されるようになったAIに比べると、仮想空間はまだまだ日常に浸透しているとは言い難い。

人々は今どのようにこの世界を楽しんでいるのだろうか?

今回はNewsPicksトピックスの藤井直敬さん、古田清悟さん、町あかりさんがVRコンテンツの現状と可能性を議論。

開発者、プロデューサー、演者それぞれの立場からテクノロジーによる新しいエンターテインメントの在り方を想像する。

[NewsPicksトピックス]
藤井直敬「現実とは?」
古田清悟「Pたちの裏アカ」
町あかり「町あかりの「すごい人はやっぱりすごい!」」
【参加者プロフィール】
藤井 直敬
東北大学医学部卒業。同大大学院にて博士号取得。1998年よりマサチューセッツ工科大学(MIT)、 McGovern Institute 研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター所属。2014年ハコスコを起業。主要研究テーマは、適応知性および社会的脳機能解明。主な著書に『つながる脳』(毎日出版文化賞 受賞)『ソーシャルブレインズ入門』『拡張する脳』『脳と生きる』など。 2022年、ECメタバース「メタストア」ローンチ https://meta.hacosco.com/
古田 清悟
元東北新社プロデューサー/ディレクター 「情熱大陸」「ガイアの夜明け」「NHK特番」などの多数のテレビ番組を演出するほか、多くのデジタルプラットフォームで映像制作や運営戦略を担当。いち早くAKB48のARライブ企画を実施し好評を得た。現在、テレビ番組と共にNewsPicks「WEEKLY OCHIAI」をはじめデジタルコンテンツを制作。また地域でも実店舗運営とデジタル施策を実施。著書に『日本代表・李忠成、北朝鮮代表・鄭大世~それでもこの道を選んだ~』 (光文社)
町あかり
1991年、東京都出身。作詞・作曲・衣装制作、全てを自分で手掛けるシンガーソングライター。2015年にメジャーデビュー。楽曲提供やイラストデザイン、紙芝居制作など幅広く活動中。2022年に日本コロムビアからアルバム「総天然色痛快音楽」リリース。昭和の歌謡曲を愛し、書籍『町あかりの歌謡曲ガイド』『町あかりの『男はつらいよ』全作品ガイド』(青土社)を刊行。
INDEX
  • ●メタバースの成功要件は「目的」
  • ●VRエンタメは突破口を見つけ出せるか?
  • ●境界と時間を超えて
  • ●AIはVRエンタメをどう変える?

●メタバースの成功要件は「目的」

 VRについての情報、特にVRのエンタメの情報って、探すのもかんたんじゃないし、情報が少ないように感じていて。いまエンタメのVR・メタバース活用の現状がどうなっているのか、すごく知りたいです。
藤井 「情報が少ない」というのは、本当にそのとおりですね。そもそも、毎週たくさんのアーティストがイベントを開催してるという感じではない。ボリュームはまだまだ少ないんです。
 ここでまず最初に重要なのが、うまくいっているメタバースの事例にはほぼ全て「目的」があるということです。メタバースを用いたエンターテインメントで一番成功しているのはゲームなんです。代表的なゲーム「Fortnite(フォートナイト)」は、全世界で4億人が登録している。ゲームは「その世界に行ってプレイする」という明確な目的がありますよね。
 その次に成功例として出てきたのが「その時、その場所に行かないと楽しめない」という性質をもつエンターテインメント。つまり、メタバースはあくまでも場所にすぎない。「その時、そこに行くと楽しめる」ということ自体は、リアルのイベントとあまり変わらない。
 メタバースの使い方はそういったものにほぼ限定されていて、日常的に使えるものは今のところほとんどありません。目的のない空間を作っても誰もいない。誰もいないメタバース空間って、すごく寒々しさがあるんですよ。あの寒さを感じると、「別にいかなくていいんじゃないかな」と思う。必要がない、目的がないなら当然行かない。だから目的を持たせるというのが開発者側の大きな課題です。
 目的以外の成功の要因は、固いファン基盤を持っているVtuberやアーティストなど、コンテンツに力がある場合。そうすれば人が集まるという、まあ、当たり前の話ですね。これがエンタメのVR活用の現状だと僕は認識しています。
 ここ最近、メタバースで世界中の人が参加する盆踊り大会のようなものをやりたいと思っているんです。そういう「今いる場所」を超えられるメリットがあるのかなと考えていました。
藤井 それはもちろん。たとえば町さんが「100万人を集めたライブをやりたい」と言ったら、メタバース空間ではすぐにできてしまう。リアルだと「100万人が入る箱(会場)はない、島を買うか!?」みたいな話になってしまう(笑)。もしリアルでもメタバースでも体験が同じであれば、メタバースのほうが効率的で物理制限がないのは間違いありません。
 演出側からしても物理制限がないのはメリット。たとえば「会場にでかいスクリーンを作りたい」「物を飛ばしたい」「花火や炎で演出したい」という演出を、物理的・金銭的な制限なく実現できます。
古田 それはそうですね。テレビ側の人間としてすごくわかります。
 でも、うまくいっている例がまだそこまでないというのは、VRゴーグル(ヘッドマウントディスプレイ)のハードルが高いというところにあったりするんでしょうか?
藤井 ハードルが高いかどうかはわからないですが、値段的には大体5〜6万円。大学生だとちょっと高いけど、社会人だったら買えるかな……ぐらいです。まだ性能が十分ではないから、性能が上がると値段が上がる。でもみんながそれを買うから下がる、というところで、最近は4〜5万円くらいでバランスしています。
 ただ、全員がヘッドマウントディスプレイをつけてエンタメを見ているかというと、実はPCで見ている人もけっこういる。そうすると「あれ、じゃあ会場にカメラを置いて、普通に動画配信サイトで配信すればいいじゃん。VR空間である必要はないじゃん」みたいな話にもなります。しかもヘッドマウントディスプレイで見ると、自分の視点からしか見ることができない。一般的なライブの中継だと、カメラが何台もあって。 ズームやスイッチングが行われて、いろいろな視点で見るべきものを見せてくれますよね。それがヘッドマウントディスプレイだと、自分のいる場所、自分の視点でしか楽しめないので、ライブ会場に行って見るのとほぼ同じなんです。
Unsplash/Vinicius "amnx" Amano

●VRエンタメは突破口を見つけ出せるか?

藤井 僕の問題意識は、「なんで現実が持っている制限を、このメタバースでも感じなきゃいけないのか」というところ。本当は自由なはずじゃないですか。でも結局客席から見ている映像になってしまうとするなら、僕らはこのメタバースという技術をうまく使えていないんじゃないだろうか。
古田 僕も2013年にAKB48とARを掛け合わせたコンテンツを制作して、近いことを感じました。その時、テレビの演出に対して「視点が限られている」という閉塞感を持っていたんです。そこでARの技術を知って、AKBのメンバーがいて、ユーザーが自分で視点を選べて、ARでどの視点からでもそのアイドルのライブを見れる……という実験コンテンツを展開しました。当時生放送でやって、そのARライブを見るためだけのアプリが30万ダウンロードくらいされたんです。今よりも技術的にできることは少なかったですが、同時接続性と視点の自由さは、エンタメの突破口としてあるなと感じていました。
 個人的に今日みなさんにお聞きしたかったのが、「同時接続」というポイントなんです。映画は同じ映画館にいる100人と感想を共有できる場。テレビはそれを広げて、5000万人が同時に全国で何かを見たときの共有感を得られるようになった。テレビのシステムやテクノロジーはどんどん発展して、たとえばこないだのW杯なんかでは、全世界で数億人が同時接続したという見方ができると思うんです。
 この「数の論理」と楽しさが、実はリンクしているんじゃないか。サッカーやプロレスを同時接続で楽しんでいるとき、サッカーやプロレスの内容ではなく、「これを数億人で見る」というのが目的になっているんじゃないか……と最近思うんですね。集合していることが楽しさであり目的である。であれば、VRやメタバース空間では、人類史上初めて、10億人が同時接続する、その楽しさが生まれるんじゃないかと。
 すごくいいですね。私は昭和という時代がすごく好きなんですけど、昭和の一時期のテレビというのは、「みんなが同じ場に集まって同じものを見ている」状態だったわけなんですよね。その中で国民的ヒット曲や作品が生まれていた。そういう大衆性に憧れている気持ちがあります。さっき話した盆踊り大会も、世界中の、何百万人、何千万人、何億人みたいな数が集まって、同じ場を共有できる可能性がある。
Unsplash/Kelvin Zyteng zyteng
古田 そういう、人をめちゃくちゃ集めさせる集合性の楽しさですよね。それを僕はハイパーメジャーみたいなものと捉えています。とんでもない数の人がいて、とんでもないムーブメントが起きているぞという感覚。一方で、VRにはスーパーニッチの方面にも可能性があると考えています。今度は逆に、俺だけが知っている謎の現象があるという感覚。
 いまのVRエンタメは黎明期なので、ハイパーメジャーなのかスーパーニッチなのか、どっちにも振り切れず、設計がないままなんとなくそれっぽいものが作られている、演出上多くなっていると認識しています。
藤井 やっぱり、この新しいプラットフォームをうまく使えてる気が全然しないですよね。できることはいっぱいあるけど、制作側はわからず試行錯誤の状態がある。360度の映像配信も、結局360度映像を配信しても、ユーザーが見たいところって30度くらいに限られているということがわかってきた。「360度見るよりも近寄りたい」というユーザーのニーズがあっても応えられない。いちはやく360度コンテンツを制作してきたアダルト業界は、もう360度をやめている。180度に制限して、その範囲で破綻がなく、かつ近づけるように配信している。こういった明確な目的があるほうが、テクノロジーは正しい使い道を見つけるんでしょうね。漠然と自然を写しているだけじゃいつまでたっても技術は進歩しない。
 それから視聴側・参加側の楽しみ方もよくわかっていない面がある。メタバースでは、自分が主体的に動かないと、「映画館でいいじゃん」となってしまう。参加しなくてもいいんだけど、参加できることが既存のメディアに対して大きな違いとしてあるから、コンテンツに対する意識をユーザー側も変えなきゃいけない。その変化に時間はかかりそうです。
古田 コミュニティーとテクノロジーの相性ってありますよね。生放送に向いているものもあれば、メタ空間に向いているものもある。プロレスブームを思い出すと、当時優秀なプロデューサーが「プロレスとテレビというテクノロジーの相性がいい」と気づいたんだろうなと思うんです。同じ感覚で、どういうコンテンツがVRに合うのだろうか、というのは作り手として常に考えています。
 さっき藤井さんがおっしゃったように「目的」が重要だとするなら、原始的な欲望が向いているかもしれない。戦いや、歌や、男女の出会いといったものですね。とりあえず1万人くらいで合コンをしてみちゃうとか。アバターでもシルエットでも顔写真でもなんでもいいけど、「会う」という目的で人が集まってくる……。一方で、すごくニッチなんだけどニッチなコミュニティーの中ではみんなが知っている場所を再現して、みんなで集まってみよう、ということができるかもしれない。それは地方の温泉街だったりするかもしれない、というように想像が広がります。
Unsplash/Larry Costales

●境界と時間を超えて

藤井 僕はずっとリアルとバーチャルの融合を考えています。たとえば僕が今いるハコスコカフェは、リアルでは熱海にある掘っ立て小屋です。そばの電柱に広告を出して、「リアル入口」という道案内を出してる(笑)。その下のQRコードを読み込むと、メタバース空間でのハコスカカフェに行くことができる。
古田 面白い(笑)。
藤井 これは、リアルの空間とオンラインの空間をどうつなげるか、どう境界を曖昧にするかという試みです。古田さんがやっていたAKBのARライブも、リアルの空間にアイドルを召喚するという発想ですよね。
 一方で、最近知った企画が僕にとってはすごく面白くて……知り合いが佐賀空港でアクリルスタンド(アクスタ)を使った企画をやっているんです。佐賀の名産品や名画のパロディをアクスタで再現したものなんですが、色んな人がやってきて写真を撮りまくっているんだそう。今、「推し」文脈の中で、アクスタが人気らしいですね。佐賀空港に自分の好きなキャラクターのアクスタを持ってきて、そのコーナーで撮影をして盛り上がっているといいます。
 それって僕には、VRチャットの世界でアバターと一緒に写真を撮るような感覚。VRの世界が現実に流れてきているような、リアルからオンラインへという方向性ではないものを感じたんです。どっちからどっちにどう持ってきてもいい。自分が体験したい・消費したいコンテンツであれば、どっちで体験してもいいじゃんという世の中にこれからなっていくと僕は思います。だから、VRやメタバース=ヘッドセットをつけてVR空間で何かをやること、と捉えてそこに囚われていると、チャンスが減ってしまう。
 魅力的なコンテンツはみんな参加したいから、町さんがやってみたい盆踊りも、VRスペースだけじゃなくて、リアルスペースで踊ってる人たちもなぜか混ざっていると面白い。どっちにいるかわからないけど、気がついたら世界中の人がいて、楽しく踊ってます……みたいなものを作るべきだと思いますよ。
 すごく素敵ですね。VRのゴーグルをつけながら自宅で踊っている人の映像も共有できたりしたら、さらに楽しいんじゃないでしょうか。そうしたら人混みが苦手な方や身体が不自由な方、生まれたての赤ちゃんだって参加できちゃいます。バリアフリーにも繋がりますね。
 コロナ禍でリアルライブをずっと休止していて最近再開したシンガーの友達が、「リアルのお客さんがすごく減ってしまった」と悩んでいて。でも聞いてみると、どうやら配信ライブのチケットは売れていて、足した総数はそこまで変わっていないようなんです。地方の人や、時間の調整がつけづらい人は、リアルでのライブが再開しても配信でライブを楽しみたいと思っている。リアル参加の人も配信参加の人たちも一緒に楽しめたら……。
藤井 今までのライブは、どうしても同期性の問題がありました。リアル会場だけだった場合は、同時にそこにいないとダメ。配信でもそのタイミングでオンラインで繋がっていないと、みんな一緒に楽しむことは現状できない。どうやるのか方法は知らないですが(笑)、みんな非同期で好きな時間につながっているんだけど、なぜかみんな一緒にいる、というコンテンツができたらいいんじゃないかなと。
 そういえばメタバースのプラットフォーム「cluster (クラスター)」には、全てのユーザー行動データを記録して、あとから再生できる機能がありました。そうなれば、そこはいわば「空間のタイムマシーン」なんですよ。アーティストだけでなく、客の反応も全部保存されている。そういう技術を利用すれば、不可能ではないかもしれない。
古田 最高ですね。エンターテイメントの業界は、論理的に作り上げていくのが得意。それがゆえに、最近みんな真面目になっていって、作り手側だけで完結しているような空気を感じているんです。でもプロレスでいえば、プロレスを見ているときの楽しさは、試合の精度だけではなくて、「良かったね」といったん横にいるおっちゃんと酒を飲んで、また試合を見る、というところにもあるんだよなと。コンテンツの中と、そこを楽しんでいる場を行ったり来たりしているはずで、その境界の曖昧さがエンターテイメントの本質なんだと僕は思っています。コンテンツそのもののクオリティももちろん評価されて、そこを求める自分もいるけれど、本質はそこではない。 「なぜかみんな一緒にいる」を内包した設計ができるときっと面白いエンターテイメントになりますよね。
 そこに加えて、「時間軸」というのはすごく面白いし発明ですね。その発想はなかったので、僕もこれまでの常識に囚われている部分がありました。実験、してみたいですね!
藤井 同じコンテンツを、500年分の人が同時に見ている。笑いのツボは100年ごとにズレてるかも(笑)。
Unsplash/davide ragusa
古田 興味深いです。僕は「Weekly Ochiai」でさまざまなエンターテイナーや政治家に出演してもらっているうち、時代の変化を感じることがありました。5〜6年前はライブ感が重要だったと思うんですね。今は、ライブ感そのものよりも、「大勢のトークよりも、1対1」のほうが重視されているような時代に変わってきているんじゃないでしょうか。それはコンテンツが持つアーカイブ性とリンクしている気がする……と、最近つらつらと考えています。今の時間軸の話は、どういうコンテンツが一番熱量を生むのかを改めて考えるきっかけになりました。
藤井 ライブという生モノとして提供するのか、時間をかけて消費する形で提供するのかで、出し方がきっと違いますよね。僕らはここ数年で、非同期かつ、ライブでないものを見る消費の仕方に慣れてきた。そういう視聴者の変化が、古田さんの感じている変化なのかもしれません。
古田 テクノロジーの進化でいうと、最初に町さんが言っていたような、「数万人を同時に集めることができる」というところが大きかった。けれどコンテンツを作っていくうち、どういう軸で、どう熱量を生むか――「どうすれば擬似空間上でブランディングを感じてくれるのか」というポイントが僕の中で大きくなっています。

●AIはVRエンタメをどう変える?

 VRエンタメが「なんでもできちゃう」としたら、普通のライブハウスやコンサート会場でできないめちゃめちゃなこともやってみたいです。例えば大好きな作曲家の筒美京平先生を召喚してカバーを歌うとか、「男はつらいよ」の渥美清さんの前でトークショーするとか。
藤井 「渥美清さんが来た!」と緊張しながら歌っている町さんを見るのは面白いかも。近いことが2019年の紅白歌合戦でありました。AIで作られた美空ひばりさんのアバターが紅白に「出演」し、「歌唱」した。あの企画には批判が殺到して、よくない部分も多かったんですが……「ああ、渥美さん、町さんのライブに来てくれたんだ」というものができたらいいですよね。
古田 藤井さんは、AIとエンタメについてはどういう可能性を感じていますか?
藤井 そうですね……。僕らが消費しているのはたぶん「物語」だと思う。物語は、映像や音楽という形で誰かが語っているもの。これまで一番価値があったのは、今ここで語られて、その瞬間消えていってしまうものでした。そんな物語を、AIが上手に語ってくれる時代が来ている。その時のコンテンツの手渡し方、物語の手渡し方は、今までと違う次元が広がる可能性があると思っています。
 たとえば、町さん自身でも見分けがつかないAIアバターがライブをやる、ということが、5〜10年したらできちゃうはず。町さんが「あれ、私ここでライブやったっけ? でもどう見ても私じゃん……」と思ってしまうような(笑)。そういう時代が来た時、「作り手」とは、何をどう作ることになるのだろう、と考えるのは面白いですね。
 それから100万人を集めたライブを行うとして、それを「あなた1人のためのライブ」というパッケージにすることも可能なはず、100万人が見ているけど、最後のアンコール曲はなぜかひとりひとりのリクエストに応えていて、「私のためのライブだ」と思わせる……そういうことは間違いなくできちゃうんですよ。その世界が実現したときのエンタメでできることはまだまだいっぱいある。
 そういう世界でエンタメを作ることって、ワクワクしますね。エンタメを楽しんでいる時間は、平和じゃないと生まれないですよね。技術が発展して、みんなが思う面白いものが生まれていくのは、平和の道のひとつでもあると感じます。
古田 実験をたくさんしたいなあ。VR・メタバース空間において、AIが及ぼす影響は大きそうですね。
藤井 大きいです。まず、区別がつかなくなりますよね。いまは現実と非現実の境界がどんどん溶けている。現実の世界でも、物理的な身体に依存しないコミュニケーションが増えてきていますから、VR・メタバース空間でさらに「見える・聞こえる・会話ができる」ということが成立すれば、リアルと全く同じになります。そんな状況下で、区別がつかない人格をもつように見えるアーティストが出てきたら、そういう世界で僕らはどう生きていくのか。僕のトピックスの「現実科学」は、そういう問題意識を中心に話しているものです。
古田 面白いです!
藤井 アイドルが出演した360度の映像を見ていると、たまに「目が合った」と感じる瞬間がある(笑)。アイドルはカメラに向かって目線を投げているだけで、偶然なんだけど、それが起こるとすごく自分に最適化された体験に感じるんですよね。AIによって、その体験をいつでも作れるようになる。そうなれば、ユーザーをとりこにする……ある意味麻薬性のある、アディクテッドな状態が作れるのかもしれません。
古田 「Weekly Ochiai」の終わったあとの雑談で、「自分の趣味や思考が全部データ化されるようになって、目と耳が覆われて、どの快楽が自分に一番いいかを分析されて、自分に最適化された快楽的なコンテンツが自動生成されたら」という話が出たことがありました。それって、言うならばデジタルドラッグだし、快楽の極地ですよね。
藤井 ある意味ディストピア。映画「マトリックス」的な世界観ですね。
古田 ディストピアでも、本人は幸福の極地にいる。AIと個人最適化と映像の組み合わせは、そういうところに行き着くと感じています。そうなったら法規制が出てくるのかもしれませんが、怖くもあり、注視したいところでもありますね。
今回の対談いただいた方々は以下のトピックスを連載中です。