為末大の未来対談
機械と人間が作る「ハイブリッド」な関係とは?
2015/2/19
元陸上プロ選手の為末大氏が、科学・技術の各分野をリードする第一人者に、今後5年から10年後の「未来像」を聞いている。
今回、為末氏が対話するのは、日立製作所中央研究所の矢野和男氏。矢野氏が2014年に上梓した著書『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』では、「ウェアラブル・センサ」のデータを人工知能に解析させることで、これまで決して知りえなかった人間の行動や組織の成否などをめぐる「法則」を明らかにした。人間・組織・社会の「新しい法則」を、為末氏が尋ねていく。
第1回:ウェアラブルセンサが導く、人間の「新たな法則」
第2回:ビッグデータの活用で、スポーツに変革が起きる
“ミクロな科学”でその場だけの法則性を見出す
為末:第1回と第2回で、ウェアラブル・センサや人工知能を駆使することで、これまで見えなかった人間行動の法則というべきものが見えてきたというお話を聞きました。今回が矢野先生との対話の最後の回。そこで、未来に向けた話を進めていきたいと思います。
2020年から2025年ごろにかけて、矢野先生の研究分野はどの程度まで進んでいて、どんなことが見えてきている感じになると思っておられますか?
矢野:これまで、われわれ人間は固定的な法則のようなものを重視して、その法則にみんなで従うことをしてきたわけです。でも、こうしたウェアラブル・センサがあって、リアルタイムに分析できるインフラが整備されれば、そういう法則性のようなものを自分たちで常に見出しているようになるかもしれませんね。一般的な解でなく、個別な解を常に更新していくわけです。
そのためには、知りたい課題や、知るためのデータをどんどん入力していくことが必要になります。私としては、知識を必要としている人と知識をつくる人がもっと小さなサイクルで回るような社会の仕組みをつくっていければと思っています。ある種の“ミクロな科学”が駆使されるような…。
為末:これまでは、情報を収集してから解析するのにも何年かかかって、「どうもこれは正しいらしい」という結論が見えてきた頃には時代が変わっていたということは、どんなことにも見られた気がします。でも、これからは、日々ずっとデータを入力しながら今年は今年の、来年は来年の法則を見出すという感じになるのでしょうか。
矢野:そういう感じになると思います。例えば医療の世界でも、今はまだ一つの治療法が確立されるまでの期間が長いですよね。技術によってもっと短期間になる可能性は出てくるでしょうし、そうなれば革新的なことも起きる気がします。医療にかぎらず、組織のあり方などについても同じだと思います。
「科学的根拠のある占い」が誕生する
為末:具体的に、2020年から25年ごろ、「こんなことに技術が活用されて、人の生活を変えている」といったもので、見えてきていることはありますか?
矢野:「今日のためのアドバイス」のようなサービスを皆さんが活用されているかもしれません。毎朝、皆さんは通勤前、携帯電話やスマートフォンを開くのが当然のようになっていることと思います。そこで朝、「今日は新しいお友達をつくってみてください」といったアドバイスが、その人に向けて示されるというものです。
為末:占いみたいですね。でも、ビッグデータから導き出されたものだから、根拠はあるわけで(笑)。
矢野:確率的に「今日はこれをするのがふさわしい」というのが出てくるようなイメージです。「こういう条件のとき、これを行う人と行わない人では、これだけの有意差がある」といった根拠を示すわけです。
為末:面白いですね。なんだか、もうかりそうなにおいがします(笑)。
人間は行動を決める責任者でなければならない
為末:新しい技術を考えると、ネガティブなほうに転ぶという可能性についても考えておかなければならないと思います。どんなことが考えられるでしょうか?
矢野:ビッグデータについても、ウェアラブル・センサについても、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場した独裁者「ビッグ・ブラザー」が国民に対して敷いたような監視社会が起こりえるのではないかとはよく言われることですね。
為末:さきほどの“根拠ある占い”も、多数の人がそれを信じるようになったら人間がある種のシステムの中の一部になってしまうような感じがします。「今日はこれをするとよい」といったアドバイスを根拠を持って出されると、それに従ったほうが楽だし、それに従おうとする人は多い気がします。
矢野:そうですね。私は、ウェアラブル・センサのデータから自分用のアドバイスが出る仕組み「ライフシグナルズ」を開発して既に5年活用しています。はじめのうちは「アドバイスが出ても、最後に決めるのは自分だ」という態度をとっていました。ところがこの仕組みを2年、3年と使ううち、慣れてきたこともあるのでしょう、疑わずにデータの言うことに従うようになってきました。データとの関係も時間とともに変わるものだと思っています。
為末:ご著書の『データの見えざる手』(草思社刊)には、人が活動するためのエネルギーの“予算”を使い尽くすと、それ以上の活動ができなくなるか、やりたくなくなると推測されると書かれていますよね。例えば、そういったデータの結果に従うということですか?
矢野:ええ。でも、自分の人生や一日の生活には、選択肢がいっぱいあります。最後は自分が決めないと何も起きないわけです。それと同時に、どっちが良いとか悪いとかということは、そんなに単純に分かるものでもないというのが、これまでの私の実感です。
すべてコンピュータの言ったことに事細かく従うようになるのであれば、人間が機械の一部に組み込まれるような社会を想像してしまいますが、実際はそこまでは行かないと思うんですよね。「今日は為末さんと会うから、そのときこうしてみよう」と、意思をもって決定するのはやはり人間である私です。最終的に結果としての責任を取るのも人間です。
今後は、機械が得意なことと、人間がやるべきことの選別がもっとはっきりしてくるのではないでしょうか。何を課題としていて解きたいのか。それを設定するのはやはり人間でしかありません。“登山者”である人間が、“シェルパ”であるコンピュータの言うことを参考にしながらも、最終的には自分で責任を取るといった形になるのではないかと思います。
為末:チェスの王者のガルリ・カスパロフも、「ハイブリッドな手法」を提唱していました。記憶などの部分はコンピュータに頼るけれど、「なんとなくこういう感じがよいのではないか」という直感的な部分は人間が行い、その合わせ技が発揮されるような関係性を保つのがよいというわけです。
人間の持つべき能力も変わってくる
為末:ビッグデータを人工知能が解析するといった技術がそろってきたとき、今までとは違うスキルを持っている人が重要視されているのではという気もします。どういう能力が必要になってくるでしょうか?
矢野:まず、これは現代でもすでに言えるかもしれませんが、人間とコンピュータでは得意とするところが違いますので、その違いを分かっていることが重要です。
データが入っていない領域に対して、コンピュータは何も言ってくれません。その領域は、やはり人間が切り開く必要があります。ある種の直感や、過去のいろいろな経験はそこでは役立つと思います。
一方で、コンピュータがデータをたくさん持てば、出てきた結果はある程度、根拠があるものとして解釈すべきことになると思います。そういう見識を持つことも、重要な能力になるのだと思います。
為末:アシスタントのように使いこなす能力を持つことが大事になるわけですね。
対談を終えて――為末大
人間は、直感的に「こうではないか」と思って抱く認識と、「データ的にはこうである」という事実の間にズレがあるのかないのかを確かめてみたいという根源的な欲求がどこかにあるように思います。これまでは、それを「達人」と呼ばれるような人物に尋ねていたわけです。ところが、その答えをデータが出してくれるようになった。これはすごいことだと思います。
例えばウサイン・ボルトのような飛び抜けて力のある選手の動作をデータにとって解析しても、他の選手はなかなか真似をすることができませんし、真似しても同じ成果は出ません。しかし、ボルトほどではないが成績を残す選手30人ぐらいの動作をデータにとって解析すれば、応用不可能な部分は多くあるものです。スポーツの世界でのデータ活用の可能性も改めて感じました。
今回の第3回でも触れましたが、自然現象におけるエネルギー保存則のようなものが、人間の行動にも当てはまるという点は興味深かったです。つまり、人間が1日に使えるエネルギーの総量とその配分の仕方は法則により制限されていることがデータ解析で分かってきたということです。
これに関連して、日本のスポーツ界には「気持ち次第でパフォーマンスは無限大になる」といったことが言われてきました。でも、この法則からすると、根性論でやると選手の体は破綻してしまうということになります。意欲によって多少は増減するとは思いますが、リソースには限界があるということを前提に作戦を練る必要があるということを改めて実感しました。日本のコーチング自体にもとても大きな影響を与える研究成果だと思いました。
(構成:漆原次郎、撮影:大澤誠)