2023/4/19

【超絶技術】町工場のレコードプレーヤーに世界が驚愕した理由

フリーランス 記者
経営危機に陥った家業の町工場を、高品質・高付加価値製品の部品メーカーとして復活させた由紀精密(神奈川県茅ヶ崎市)の大坪正人・代表取締役は、会社のミッションとして「ものづくりの力で世界を幸せに」という言葉を掲げています。

同社は、ネジ工場から「研究開発型町工場」に生まれ変わり、航空宇宙や医療機器の分野に進出。ついには、ゼロベースから自社開発したアナログレコードプレーヤーまで発表しました。

なぜ、そこまで「新しいこと」にこだわるのでしょうか。キーワードは、「夢を持って世界一の仕事をすること」でした。(第2回/全3回)
INDEX
  • 精密金属製コマに超高級機械式腕時計
  • 世界を驚かせたレコードプレーヤーの秘密
  • 「パーパス経営」に通じるミッション
大坪正人(おおつぼ・まさと) 1975年神奈川県生まれ。1998年東京大学工学部産業機械工学科卒業。2000年東京大学大学院工学系研究科産業機械工学専攻修了。同年、3次元プリンターサービスのインクス(現ソライズ)に入社。高速金型部門で開発を担当し、世界最高速で金型を作る工場を立ち上げる。06年、祖父が創業した由紀精密に常務取締役として入社。13年代表取締役社長に就任(現在は代表取締役)。経営危機に陥っていた由紀精密を、電気電子業界から航空宇宙業界や医療関連業界にビジネス転換し、V字回復を実現した。17年10月由紀ホールディングスを設立し、代表取締役社長に就任(現職)。

精密金属製コマに超高級機械式腕時計

航空宇宙や医療機器の最先端分野で精密金属部品を手掛ける由紀精密には、知る人ぞ知るもうひとつの顔があります。それは、同社が誇る設計と切削加工技術を注ぎ込んだマニアックな“逸品”の数々です。
たとえば、2011年にパリで開催された航空宇宙機器の国際見本市で、技術サンプルとしてノベルティ配布した「SEIMITSU COMA」。ステンレスの棒材から削り出して、何種類もの試作の末にたどり着いたという直径10ミリ、高さ15ミリの小さな金属製のコマは、その真円の精度の高さから、まるで静止しているかのように3分間以上、回り続けます。
まさに技術の粋を集めた精密加工のコマは業界に衝撃を与え、翌年から「全日本製造業コマ大戦」が始まるきっかけにもなりました。
(提供:由紀精密)
あるいは、2014年に発表した「超高級機械式腕時計」も、時計好きをうならせる製品です。日本を代表する独立時計師である浅岡肇氏との共同開発で、機械式時計のなかでも、もっとも高い技術が必要とされるトゥールビヨン機構を搭載した製品を、すべてオリジナル設計で製造しています。
切削加工する精密部品は130超で、販売価格は800万円を超えます。世界最大の時計見本市「バーゼル・ワールド」で評判を呼び、ヨーロッパでも由紀精密の名前が知れ渡ることになりました。これをきっかけに、ヨーロッパの時計メーカーとの取り引きも始まったといいます。
(提供:由紀精密)
金属の切削加工メーカーが、なぜコマ? なぜ時計? という疑問も出てきそうですが、大坪さんには経営的な合理性よりも大事にしていることがあります。
「高品質な時計といっても大量生産はできませんから、大きなビジネスになるわけではありません。それでも、そうした製品を展示会に出品することで、『こんな高性能な時計が作れる会社なんだ』と思われるようになりました。それが重要なんです。つまり、自分たちの技術が使われるマーケットを、自分たちで作り出したいという思いがあるのです」

世界を驚かせたレコードプレーヤーの秘密

経営者は、どうしても短期的な利益にだけ目を向けたくなるものです。ところが、大坪さんは「面白い!」と思ったものは時間とコストをかけて挑戦することに重きを置いています。世界を驚かせた自社開発のアナログレコードプレーヤー「AP-0」も、そのひとつです。
アナログレコードプレーヤー「AP-0」(提供:由紀精密)
「レコードプレーヤーは、オーディオ業界ではもっともメカニックな技術が必要とされるものです。じつはこのプロジェクトは、当時、開発部の部長をしていた永松純(現・由紀精密取締役社長)が、自分が納得のいく音が出るレコードプレーヤーを作りたくて、社業と並行して社内の有志で1年くらいかけて隠れて開発していました。そして、ある程度できあがったところで私に報告してくれたんですが、その実物を見ると、とても面白かった。そこから、由紀精密のオリジナル製品としての開発が正式にスタートしたのです」
レコードプレーヤーは、レコードの表面にある溝の凹凸を針が拾って音を出します。AP-0は、その凹凸を正確に電気信号に変換することにこだわりました。「シンプルな構造なだけに、どこまで変換のノイズを減らすことができるのか。エンジニアとして、とても面白い経験でした」と大坪さんは言います。
開発にかかった年月は2年半。2020年6月から予約を受け付けたレコードプレーヤー「AP-0」は、すべてのパーツに削り出しの精密部品が使われ、商品価格は200万円(税別)という自動車が1台買えてしまうレベルでした。それでも、音質の素晴らしさがオーディオ業界の専門家から高い評価を受け、複数の専門誌の表紙を飾ることにもなりました。
(提供:由紀精密)
なぜ、AP-0がそこまで評価されたのでしょうか。その秘密のひとつは、レコードを載せて回転させるためのプラッターにあります。
レコードプレーヤーが、レコードの情報を電気信号に変換する際、プラッターが振動してしまうと、余計なノイズが音に入ってしまいます。そこで、このノイズを極限までなくすために、由紀精密はプラッターを磁石で宙に浮かせる構造を採用しました。オーディオ業界の常識を覆す、新しい試みでした。
「『音質』というのは人によって好みが違いますが、このプレーヤーでは『正確に電気信号に変える』という技術的な点に特化したことが、一般的なオーディオメーカーとのアプローチの違いになったと思います。その道のプロの人たちからも認められる製品をつくることは、その業界で会社の名前を知ってもらうことになります。おかげさまでAP-0はたくさんのメディアに取り上げられ、多くの人に由紀精密の名前が知られるきっかけになりました」

「パーパス経営」に通じるミッション

大坪さんは、町工場の“音”と“映像”をサンプリングした音楽プロジェクト「INDUSTRIAL JP」の仕掛け人でもあります。2015年にスタートしたこの取り組みは、2017年に世界最大級の広告祭「カンヌライオンズ」でブロンズを受賞したほか、文化庁メディア芸術祭で優秀賞、グッドデザイン賞で金賞、東京アートディレクターズクラブのADC賞でグランプリを獲得するなど、大きな注目を集めてきました。
これもまた、“本業”とは関係なさそうなプロジェクトですが、すべての取り組みに共通するのは、自分たちを含めた中小製造業者の存在を世の中にアピールすることです。
「技術を人に知ってもらうことは、とても大切なことです。SEIMITSU COMAも機械式腕時計も、自分たちの精密切削加工の技術力をアピールし、あっと驚かれるものづくりをしたくて始めたプロジェクトです。こうした取り組みで興味を持ってもらって、ものづくりの面白さや製造業を知るきっかけになればと思っています」
工場音楽レーベル「INDUSTRIAL JP」の公式サイト
一方、こうした取り組みは、作る側にとっても大きなモチベーションになっています。世界に類を見ないレコードプレーヤーづくりも、開発部長だった永松さんがプランを温め、若い社員たちと一緒につくりあげました。従業員一人一人が「ものづくり」に情熱を傾けることができる企業文化が、由紀精密には根付いているのです。
由紀精密は、会社として「ものづくりの力で世界を幸せに」というミッションを掲げています。大坪さんは、その意味をこう解説します。
「どんな会社で働きたいかなと考えたとき、世界を幸せにできる会社がいいなと思うんです。現実の世界には、幸せを阻害する要因がたくさんあります。エネルギーの奪い合いで戦争が起きたり、環境破壊が進んでいたり。それに対して、私たちはものづくり企業として、いい製品をつくり、いろんな社会課題の解決に貢献していきたい。そのために、他社とは一線を画した世界で唯一の技術を持つ会社になっていく必要があるんです」
近年、「パーパス経営」という言葉が世界的に注目を集めています。パーパスとは日本語で「存在意義」。企業経営は利潤だけでなく、社会に対する存在意義を明確にして、どう貢献するかを重視すべきだというものですが、由紀精密が掲げるミッションは、このパーパス経営の考え方に通じるものです。
実際、由紀精密が手掛ける事業には、ものづくりへの思いと社会課題の解決というテーマが根底に流れています。スペースデブリ(宇宙ごみ)を除去するための技術開発に取り組む宇宙ベンチャー「アストロスケール」を支援する設計開発や、あるいは、高齢者の背骨手術の負担を軽減するための脊椎インプラント部品の設計製造もそうです。
日本人の体格に合うサイズで設計された脊椎インプラント(提供:由紀精密)
いま大坪さんは新たな挑戦を始めています。目指すのは、日本のものづくり文化を復活させ、継承していくこと。大坪さんは2017年、ものづくり企業に特化した持ち株会社「由紀ホールディングス」を設立し、自ら社長に就任しました。日本で失われつつある“技術”を束ねて磨いていくことが、これからの未来を考える上で必要な道だと考えたのです。
「日本には、ものづくりの根幹となるとがった要素技術がたくさんあります。長年培われた、世の中に広く役に立てて、廃れてはいけない技術を世界に発信していくこと。それが、“ものづくりの力で世界を幸せに”ということにつながっていくと思います」
Vol.3に続く