2023/4/14

挑戦心に火をつける。サントリー流、変化の時代の人材育成

NewsPicks Brand Design シニアエディター
 やってみなはれ──。
 20歳にして商都大阪で「鳥井商店」の看板を掲げたサントリー創業者、鳥井信治郎が残した金言として、あまりに有名だ。
「日本では無理だ」と周囲が猛反対するなかウイスキー製造に挑み成し遂げた信治郎は、跡を継いだ佐治敬三・元社長が1960年代にビール事業への参入を訴えた際、数秒考えた後にこの言葉を口にし、挑戦への背中を押した。
 以来、「やってみなはれ」はサントリーのチャレンジ精神、フロンティアスピリッツを象徴する経営哲学となっただけでなく、その後の日本の起業家たちの道しるべにもなった。
 信治郎の精神が今も息づくサントリーは、2021年に鳥井信宏・サントリーホールディングス(HD)副社長の下、社員が新規事業創出にチャレンジする社内制度「FRONTIER DOJO(フロンティア道場)」を新たに立ち上げた。
 いわば「やってみなはれ」のベンチャースピリットをより強く体現する舞台と言える。
 開始初年度から300件近いエントリーがあり、既に4件の事業化が進められているこのプロジェクトには、どんな狙いが込められているのか。
 旗振り役である鳥井副社長に話を聞いた。
1966年3月生まれ。91年日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行、97年サントリー入社。2005年同社営業統括本部部長、07年同社取締役、09年サントリーホールディングス(HD)執行役員、11年サントリー食品インターナショナル代表取締役社長、13年サントリーHD取締役、16年サントリーHD代表取締役副社長。22年から新たに国内酒類事業会社として設立したサントリー社長も兼任。

「無茶苦茶」な社員がおとなしくなっている

──「やってみなはれ」は、一定の年齢以上の人にはサントリーの経営哲学として広く知られています。しかし若者にとっては、サントリーといえば「安定した大企業」というイメージが先行するかもしれませんね。
鳥井 「やってみなはれ」は創業者である鳥井信治郎の思想そのもので、脈々と受け継がれ、サントリーの成長の源泉となってきました。
 この価値観は、単に社員がやりたいことを好き勝手にやってもらう、それを許容する、ということではありません。
 本気で新しいことに挑戦しようという強い熱意をもっている社員を、みんなで支える、会社が本気で後押しする、そういうカルチャーのことです。
 後押しを受けた社員は、へこたれず、あきらめず、しつこく、成功に向けてチャレンジし続ける。
 こうした環境の下で、社員が意欲的に新規事業を創出する企業文化が醸成されてきた。
 結果、高級志向にあわせたプレミアムビールやハイボール市場の開拓といった成功例が生み出されています。
 そもそも、ワインやウイスキーなどの洋酒は、開発から販売までかなりの期間を要します。
 長い時間軸の事業に失敗を恐れず取り組むことも、「やってみなはれ」という価値観の下支えがなければできないことです。
 こうした企業風土の下で、私たちはただモノをつくって売るメーカーというより、大げさに言えば「文化」をお客様に提供することを目指してきました。
 ただ、おかげさまでこのところ業績が比較的堅調でして、安定的に成長を続けられています。
 その反面、堅調なだけにどうしても現状の仕事に収まってしまい、「無茶苦茶をする社員」が目立たなくなってきているように感じます。これはよくもわるくも、ですが。
──成功モデルを継続することに注力し、全体として「守り」の姿勢が強くなっているということでしょうか?
鳥井 これまで通り仕事を回していけば業績が自然と上がっていくという状況では、挑戦しようという機運はどうしても少ししぼんでしまいます。
 仕事が専門化・高度化するなか、優秀な社員ほど淡々と仕事を回すことが第一目標になりますから。
 ただ、これだけ変化の激しい時代です。柔軟な発想を持つ社員にはどんどん「無茶苦茶」なことにチャレンジしてもらいたい。
──「無茶苦茶」とは、リスクを恐れない姿勢を指しているのでしょうか?
鳥井 そうとも言い切れません。極端な例ですが、「儲かりそうだから、リスクを恐れず金融をやりましょう」などと言われても困ります(笑)。それは我々がやるべきことではないですから。
 サントリーのブランド価値を拡張させることを念頭に置いて、失敗のリスクを恐れず、既存の枠組みに捉われないチャレンジをすることに意味がある。
 私が「無茶苦茶な社員」と呼んでいるのは、そういう姿勢で行動している社員のことです。
──2021年に社内ベンチャー制度とも言える「FRONTIER DOJO」を創設したのは、創業以来のチャレンジングスピリットを呼び覚まそうという意図でしょうか。
鳥井 「やってみなはれ」精神はもちろんなくなっているわけではなく、弊社のカルチャーとして根を張っています。
 この数年でも「ビアボール」や「社長のおごり自販機」など、よう思いついたな、という面白いアイデアは出てきています。
 こういう尖ったことを自らやり始める人間もいれば、挑戦する舞台が用意されると気持ちに火がつく人間もいる。
 ならば、社内に眠っているであろう「無茶苦茶な社員」を発掘し、既成概念にとらわれず生き生きと活躍できる環境を作ろう、という狙いです。
 そうした人材が社内外の様々な場所で活躍し、周囲の人間も刺激を受けることで、「やってみなはれ」の組織風土がさらに強化されてほしい。そういう思いも込めています。
 言わば、サントリーグループ全体の存在意義や目的、価値観を見つめ直すプロジェクトと言ってもよいかもしれません。
 だからこそ、私自身がトップとして、その下にプロジェクトチームが直接ひもづいている組織形態を採用しています。
 部下には日常業務に専心してほしいと考えるマネジャーもいますが、このプロジェクトは副社長である私が旗振り役なので、部下がやりたいと言えばマネジャーは背中を押しやすくなりますよね。
 その辺にも私の存在意義はあります。
──具体的に、どのような仕組みのプログラムなのでしょうか?
鳥井 社員が本気で挑戦したい「事業アイデア」を応募し、段階ごとに選抜しながら人材を鍛え上げていく仕組みです。
「道場」という名のとおり昇段制を採っており、エントリーすれば「白帯」、その後、書類選考やプレゼンなどの審査を経て「茶帯」「黒帯」と進んでいきます。
 この段階そのものが起業家育成プログラムであり、社外の起業家のメンタリングを受けたり、私に対して直接ピッチをしてもらったりすることで、事業アイデアのブラッシュアップに取り組んでもらいます。
 そのうえで「免許皆伝」と認められれば、事業化検証に移ります。
 撤退基準を設けたうえで本格的な実証実験を行い、起案者自身が責任者として、数年かけて事業化に向けて走っていく──そういう制度設計です。

「真のイノベーション人材」の条件とは

──新規事業のアイデアを社内の垣根を越えて広く募集する制度そのものは多くの企業が設けていると思います。「FRONTIER DOJO」の特徴はどのようなものでしょうか。
鳥井 起案者本人もしくはチームが責任者として事業化まで走り切る、という点が一番のポイントだと思います。
 他社で行われているビジコンですと、ビジネスアイデアだけ出して、事業化する人は別というケースが多いですから。
 もう一つは、挑戦したこと自体をきちんと評価する制度を採り入れていることです。
 この制度に応募しても、最終的にはどうしてもほとんど不通過となってしまうわけですが、個々の人事情報には「FRONTIER DOJO」に挑戦したことがきちんと残ります。
 そうすると、将来的に新たなビジネスを立ち上げる時に「この人だったらいいんじゃないか」とつながることもあり得ます。
 第一期では中間プレゼンで通らなかった社員全員に直接労いの言葉をかけました。
 挑戦すること自体に価値があるというのが、この制度の根幹だと思っています。
──結果を問わず、チャレンジしたことを評価し、その後のイノベーション人材候補としてキャリア開発されるわけですね。社内からどんどん挑戦する人が集まってきそうです。
鳥井 第1期の2021年のキックオフイベントには1300名が参加し、294件ものエントリーがありました。
 この数字には正直なところ驚きましたし、ピッチで思いの丈を熱く語る社員の姿を見て、サントリーにはチャレンジ精神を秘めた人間が相当数いることを確信しました。
 これまで自分には見えていなかっただけで、「FRONTIER DOJO」がそれを可視化してくれた。
 寄せられた多くの事業アイデアのなかから4案件が「免許皆伝」として最終ピッチを通過し、現在、事業立ち上げに向け動いているところです。
 さらに言えば、中間プレゼンで不通過となった事業計画のうち2件は、プログラムの外で起案者本人が諦めず自主的に事業化を進めています。
 FRONTIER DOJOは社員の本気の思いを後押しするものですから、当然「やってみなはれ」です。
──「FRONTIER DOJO」は人材育成も大きな狙いということですが、サントリーが求める人材とは、どのようなものでしょう。
鳥井 現代のような不確実な時代に求められるものは、通常のPDCAとは違うサイクルを自分で考えて回していく能力だと思います。
 でもこれはやはり、失敗のリスクがあるわけです。リスクの低いPDCAに安住せずに挑戦していく意思があるかどうかが、これからはより強く問われていく。
 また、いわゆる「イノベーション人材」は、先天的な資質に加えて「経験」を持ち合わせていると言われています。
 新規事業に率先して手を挙げるという部分は、持って生まれたキャラクターによるところが大きい。でも、そういう人たちが実践で経験を積まなければ、真のイノベーション人材にはなりません。
 そういう意味では、「FRONTIER DOJO」のような場を通じて経験を積んで資質を伸ばしてもらうということは、将来的なサントリーグループの人材育成という点においても意義があると思っています。
 よく言われるんです。「サントリーさんは、過去に失敗した人が偉くなっていますね」って(笑)。
 誰にでも失敗はある。そして失敗から学んだ人は成長する。それを見て他の社員も学んでいくわけです。
──そういう組織風土に魅力を感じて、サントリーで挑戦してみたいと思うビジネスパーソンもいそうです。
鳥井 興味がある方には、ぜひ当社に飛び込んでいただけると嬉しいです。
 社歴の浅い方、特に中途入社の方には、まずは既存事業に取り組み、企業風土を感じていただきたい。
 過去の経験とサントリーの哲学や組織カルチャーが融合した時、イノベーティブな発想が生まれてくるはずです。
 サントリーの価値を広げる面白いアイデアを考え、それを強い気持ちで実現しようとすれば、他の社員は寄ってたかって応援します。
 それがサントリーの文化であり、そこに社歴は関係ありません。
「FRONTIER DOJO」は第二期にも100件近い応募があり、アイデアの質もさらに上がっています。
 経験も発想も異なる社員たちが互いに切磋琢磨し、今まさに真の「やってみなはれ」集団になろうとしています。
 サントリーはこれからも新たな価値創造に向けて挑戦を続けていきますよ。