2023/3/8

【温泉街の再生】星野リゾートが地元官民と街をリデザイン

編集オフィスPLUGGED
室町時代から続く山口県で最も古い歴史を持つ温泉街、長門湯本。山口宇部空港から車で1時間ほどの日本海に面した長門市にあり、美しい穏やかな音信(おとずれ)川の周囲にできた温泉街は、高度成長期からバブル期にかけて年間39万人の宿泊客を迎えていました。

しかし、600年の歴史を持つ温泉街のシンボルである外湯「恩湯」は老朽化し、旅の嗜好の変化から観光客が減り、2014年に老舗旅館が廃業。温泉街存続の危機に瀕していました。

当時の長門市長の英断で行われた、公費を使っての旅館の解体と跡地の購入、星野リゾートの誘致。そこから官民連携で行われた温泉街の再生、そして音信川に人が戻ってくるまでには、行政と市民それぞれの大きな決断と覚悟、共に歩んだ道がありました。その軌跡を追いました。(全5回の第4話)
INDEX
  • 星野リゾートと長門湯本温泉街の連携
  • 絶望した光景を全員で見たことが希望につながった
  • キーパーソンとなった大寧寺の方丈

星野リゾートと長門湯本温泉街の連携

町全体が倒産寸前だった山口県長門湯本温泉街の再生プロジェクトが始まったのは、2014年。
「長門湯本みらいプロジェクト」によって生み出された民間企業は全部で3つでした。
1つ目は、萩焼でもてなす古民家カフェ『cafe & pottery 音』を運営する合同会社 おとずれプランニング。2つ目は恩湯の経営を行う長門湯守株式会社。3つ目は2021年「長門湯本みらいプロジェクト」の終了とともに長門湯本温泉街の運営を引き継いだ、長門湯本まち株式会社です。
街の再生プロジェクトには、当初から星野リゾートがマスタープランの提案という重責を担っていましたが、あくまで地元の人々を中心に取り組むことを大事にしてきました。これは、星野リゾートが先導するプロジェクトではなく、地元先導のプロジェクトにしたかったのです。
一方で、長門湯本まち株式会社には「界 長門」の総支配人が取締役として名を連ねています。そこから、プロジェクトは引き続き街と星野リゾートが連携して育てていくという街づくりに貢献する強い意思が見えます。
「界 長門」の立ち上げに携わり、2019年10月から2022年6月まで総支配人として長門湯本温泉街の復興に尽力した三保裕司さんに伺いました。
三保裕司さん 星野リゾート青森屋総支配人。2013年に星野リゾートに入社し、「界 出雲」「界 加賀」を経て、「界 長門」の総支配人に。2019年10月から2022年7月まで在任し、現在は「青森屋」へ
三保 「『界 長門』の立ち上げに関わりたいと、支配人に立候補して長門にきました。大西倉雄前市長から星野リゾートに委ねられたマスタープランは発表の記者会見のぎりぎりまで公表されませんでした。それは、弊社星野の作戦でもあったと思いますが、街全体を作り替えるという大胆な計画に、反対意見も出ていました」
大西倉雄前市長の「絶対に長門を観光の要として蘇らせる」という熱意と、長門湯本温泉の要である恩湯の所有者である大寧寺の方丈が変化を後押しし、街が急ピッチでまとまっていったのです。

絶望した光景を全員で見たことが希望につながった

三保「長門湯本がすごいのは、全館で入湯税を150円増やしたことと、合意した温泉組合です。それを財源にして、長門湯本まち株式会社は運営をしています。値上げというのは非常に勇気がいることです。それが原因でお客さんがこなくなることもあり得るわけですから」
この勇気が必要な改革を成し遂げられた理由について、経済産業省から長門市に出向し、「長門湯本みらいプロジェクト」に取り組んだ木村隼斗さんはこう語ります。
木村隼斗さん 長門湯本温泉まち株式会社 まちの番頭 エリアマネージャー。2007年に経済産業省入省。2015年長門市経済観光部理事に着任し、「長門湯本みらいプロジェクト」に携わる。2019年に経済産業省を退職し、2020年に長門湯本温泉まち株式会社エリアマネージャーに就任
木村 「2014年、老舗旅館が廃業し、廃墟となった巨大な建物が温泉街の入口に鎮座していて、温泉街には歩く人もいない。その光景を街の人たち全員が目にしたんです。そのインパクトはやはりすごかったし、全員が崖っぷちだと理解していました。そのおかげで、現状維持では厳しい、何か変化を起こしていく必要があるという状況に全員がなれたんです」
三保 「恩湯のリニューアルに先駆けて、地元の後継者たちがスタートアップを経験し、ゼロからカフェを生み出し、共同で経営に携わった。出資してリスクを取って。まだ温泉街に手が入る前のことですから、みなさんの『地元を蘇らせる』という熱量には恐れ入りました」
長門湯本温泉に現れた美しい佇まいの「界 長門」(写真:星野リゾート提供)
街が変わる中で、2020年3月満を持して「界 長門」がオープン。地域らしさを表現した「ご当地部屋」は、山口の工芸品である徳地和紙や萩焼、萩ガラス。大内塗りなどで彩りました。
山口県の工芸品をインテリアに使った「界 長門」の「ご当地部屋」(写真:星野リゾート提供)
三保 「予期せずコロナ禍でのオープンになりましたが、地元の人たちに支えられました。もともと、長門湯本温泉にお越しになる山口県の方の割合は20%だったのですが、コロナによるマイクロツーリズム化によって地域の観光を見直そうという動きが活発になり、40%にまで増えました。これはすごいことです」
旅館に併設された「あけぼのカフェ」では甘味が楽しめる。そぞろ歩きにも貢献(写真:星野リゾート提供)

キーパーソンとなった大寧寺の方丈

通常の街づくりは、マスタープランの策定だけでも3年かかるという話もある中で、長門湯本では、5年でプロジェクトを完了し民間に移行するという偉業を成し遂げました。その陰には、大寧寺の方丈(住職)、岩田啓靖さんの存在があったといいます。プロジェクトメンバーからは異口同音にそのお人柄と地域においての存在の重要性が聞かれました。
三保 「実は、最初のマスタープランには、昔からこの温泉街にあったもう一つの由緒ある外湯『礼湯』を『界 長門』の敷地に移築するという計画があったんです。そこでかなりの反対意見が出たんですが、方丈が『50年で見たら礼湯は変わってない。だけど、400年で考えてみたら、何回か移転しているのだから、移転は何も問題がない』と歴史に照らして語ってくださった。周りは『方丈がそう言うなら』と受け入れてくれました」
木村 「温泉の中心『恩湯』も『礼湯』も、所有者は大寧寺です。大寧寺が市に貸し出して運営してきたものですから、大寧寺の方丈が改革に対して前向きだったことは大きかったですね」
新しく生まれ変わった長門湯本温泉のシンボル「恩湯」
長門湯本温泉が危機を迎えたときに大西倉雄前市長が強い信念で動き出し、後押しをした大寧寺の方丈の存在があり、40代の若い経営者たちが育ってきていたこと。それらがすべて重なるという幸運もあり、類を見ないスピード感でリノベーションが進んでいったのだということが見えてきました。
恩湯には伝説があります。
その昔、大寧寺3世の定庵殊禅が老翁に出会います。老翁の真の姿は長門国一の宮の住吉大明神で、お寺と関係を持つようになり、仏道を修めます。そして、定庵殊禅から錦の袈裟を授かった老翁は『寺の東方に温泉をだしておきました』と言って龍の姿となって空に帰るというものです。
恩湯のリノベーションの中心人物、大谷山荘の大谷和弘さんはこう語っていました。
子どものころから恩湯に浸かってきた大谷さん。伝説について語るときの目は輝きに満ちている
大谷 「この温泉縁起譚の背景にあるのは、温泉を一権力者に個人所有させないよう、地域における社会的共通資本化するため生み出された寓話なんです。大寧寺は室町時代に大内家支族の鷲頭弘忠公によって創建された曹洞宗のお寺です。温泉の所有は、当時、行政機関としての機能を果たしていた大寧寺に移管されたことで、このエリアのかけがえのない資本となったのです。だからこそ、明治期の地租改正の際も、泉源の所有権を行政に剥奪されることもなく、今もなお、大寧寺のものとなっています。とってもユニークなストーリーです。神話を活用することによって巧みに守られてきた温泉を、これからも守り続けていきたいと思います」
川床テラスの向こうに恩湯と恩湯食の建物が見える