2023/3/4

【温泉街の再生】山口・長門湯本、官民一緒に生まれ変わる街

編集オフィスPLUGGED
室町時代から続く山口県で最も古い歴史を持つ温泉街、長門湯本。山口宇部空港から車で1時間ほどの日本海に面した長門市にあり、美しい穏やかな音信(おとずれ)川の周囲にできた温泉街は、高度成長期からバブル期にかけて年間39万人の宿泊客を迎えていました。

しかし、600年の歴史を持つ温泉街のシンボルである外湯「恩湯」は老朽化し、旅の嗜好の変化から観光客が減り、2014年に老舗旅館が廃業。温泉街存続の危機に瀕していました。

当時の長門市長の英断で行われた、公費を使っての旅館の解体と跡地の購入、星野リゾートの誘致。そこから官民連携で行われた温泉街の再生、そして音信川に人が戻ってくるまでには、行政と市民それぞれの大きな決断と覚悟、共に歩んだ道がありました。その軌跡を追いました。(全5回)
INDEX
  • 600年前から続く温泉街の危機
  • 川をせき止め飛び石設置、駐車場を大移動
  • 方丈の一声が街の人たちの思いを束ねた

600年前から続く温泉街の危機

川の名前から美しい、音信川に沿って連なる温泉街。川を眺められる川床のテラスに、川岸に降りるために作られた階段状の雁木広場、川を行ったり来たりできる飛び石などがあり、老若男女、多くの人が川を楽しんでいます。
ほんの6年ほど前、室町時代から600年続くこの長門湯本温泉は存続の危機にありました。当時、経済産業省から長門市に出向し、街の再生に取り組んだ縁の下の力持ちの一人、木村隼斗さんにお話を伺いました。
木村隼斗さん 長門湯本温泉まち株式会社・まちの番頭/エリアマネージャー。2007年に経済産業省入省。2015年長門市経済観光部理事に着任し、「長門湯本みらいプロジェクト」に携わる。2019年に経済産業省を退職し、2020年に長門湯本温泉まち株式会社エリアマネージャーに就任
木村 「もともと、日本の温泉街の多くは、高度成長期に大型のバスで来る団体客で溢れていました。この長門湯本もそのひとつです。温泉街や川辺を楽しむというよりも、大型旅館の中で温泉を楽しむというスタイルでした。バブルが崩壊し、時代とともに旅が団体から個人旅行へと移り変わっていく変化に対応しきれませんでした」
2014年に、150年続いた老舗大型観光ホテルが廃業。廃墟となった建物が温泉街のど真ん中に残され、市も市民も温泉街の存続の危機を肌で感じたといいます。「このままでは重要な観光資源を失ってしまう」と、危惧した大西倉雄前市長が大きな決断を下します。廃業したホテルの土地を市が買い取って公費で解体したのです。
当時を振り返りながらプロジェクトの全貌について語る木村さん
木村 「私が経産省から出向したのは解体工事の真っ只中です。次にどうしようか、というところで誘致交渉の担当者という立ち位置でした。『星野リゾートを誘致したい』という大西倉雄前市長の熱い思いがあって、星野リゾートの代表・星野佳路氏に長門にお越しいただきました」
星野リゾートは国内外に拠点を持つリゾート運営会社。「街の景観も温泉も含め、長門湯本の街全体をみんなで変えていくというのなら」という星野さんの言葉から「長門湯本みらいプロジェクト」が発足。温泉街の再生に向けて官民一体となって動き出しました。

川をせき止め飛び石設置、駐車場を大移動

2016年の4月に、星野リゾートは長門市と協定を結び、プロジェクトが動き出しました。温泉旅館「界 長門」の開業の決定と共に、長門湯本温泉街を生まれ変わらせるためのマスタープランの策定を担うことになりました。
2016年6月に最終報告会が行われました。
木村 「マスタープランの中で、温泉街の再生に必要な6つの要素として挙げられたのは、『外湯』『食べ歩き』『文化体験』『回遊性』『絵になる場所』『休む佇む空間』です。掲げられた目標は、『にっぽんの温泉100選』で10位にランクインすることです。観光客が温泉街を回遊し、そぞろ歩きすることをイメージして整備計画が立てられました。我々、市がやるべきことはインフラ整備とルール作りでした」
「オソト天国」になった現在の長門湯本のマップを見ながら、改革について話す木村さん
まずは、そぞろ歩きができる温泉街を目指す、社会実験がはじまりました。
施設利用者の利便性のために温泉街のど真ん中にあった駐車場をあえて高台へと移動し、川のせせらぎが感じられる広場を作りました。
道路空間を再編して川に下りていける動線を作り、飛び石を置いて川を気軽に渡れるように整備するという大規模なプランには、まず、住民の理解を得るという最大の難関が待っていました。
現在の長門湯本温泉街。公共温泉「恩湯」がリニューアルし、飛び石で川岸を自由に行き来できるようになった

方丈の一声が街の人たちの思いを束ねた

木村 「そぞろ歩きができる温泉街を目指したリニューアル工事は、川縁の道路を車が通りづらくなることを意味していました。車のための空間を人が楽しめる空間にすることも、日々の暮らしを営む地元の住民にすれば不便になる部分がある。反対の声はもちろんありました」
住民説明会を重ね、実際に川辺に人を集めるワークショップやイベントなどさまざまな活動を企画し運営していくことで、住民も一緒に課題解決に向かう関係づくりを進めました。
木村 「大きかったのは、この温泉街の重鎮である大寧寺の方丈(住職)が温泉街を変えることに非常にリベラルなお考えだったことです。もともと、大学の学長を務めた学者でもあって、『街の本質を残すための方法は時代によって変化する。尖ったことも若手のチャレンジを応援し、川を見ながら皆で語れる平和な場所をつくれたらいい』と言ってくださったのです。『方丈がやろうというならやろう!』と、地域がまとまっていったんです」
とはいえ、人は、新しいことをやろうとするとき心配が先に立つもの。各論に入ると『いやいや合意できない』となるのは必至です。そこで「社会実験」として、ひとつずつ、市民と一緒に試していきました。
階段に設置されたベンチでは、紅葉や景観が楽しめる(写真:長門湯本温泉まち株式会社提供)
木村 「車のための道路幅を狭くしてベンチを設置し、駐車場はいきなり広場に変えるのでなく、まず駐車場の形態のままでマルシェをつくってみると、子連れの観光客がやってきて賑わいが生まれ、イベントを開催すれば夜も多くの人がやってきました。その様子を見た温泉街の人たちも少しずつ『もしかしたら、温泉街が息を吹き返すかもしれない』と、少しずつ明るい未来を信じてくれるようになりました」
木村さんはプロジェクト終了後に、長門湯本と東京の2拠点生活を開始し、街づくりに邁進中
川を堰き止める大掛かりな工事のあと、音信川にかかった飛び石や沈下橋は5本。山口県では唯一の川床テラスは、「大谷山荘」「星野リゾート 界 長門」「立ち寄り湯恩湯」「玉仙閣前」の4カ所に設置され、宿泊客をはじめ訪れた人たちの癒やしの場となっています。
次回は、長門湯本の再起のために動き出した、地元の事業家の動きを辿ります。