2023/2/28
【技術革命】国土の7割を占める森林は「資源に変えられる」
NewsPicks Brand Design / Editor
大量にモノを生産し、大量に捨ててきたこれまでの社会。そのあり方を見直す必要性は、昨今の地球環境の悪化を背景に、これまでになく高まっている。
一方で、大量生産・大量消費を前提に築き上げられてきた社会構造を、全く新しく作り替える難しさは、想像に難くない。
そんな難題に真正面から挑み、日本を根本から「循環型社会」に変革しようと、虎視眈々と準備を進める人物がいる。
1919年の創業以来、化学製品を通じて世の中に貢献してきたメーカー「ダイセル」代表取締役社長の小河義美氏だ。
「バイオマスバリューチェーン構想」と呼ばれるこの壮大な計画は、日本の国土の7割を占める森林を石油化学原料の代替として活用することで、化石原燃料の利用を抑え、低炭素社会の実現を目指すもの。
さらに、木材の価値を高めることで林業を活性化させ、健康な森を再生する。その結果、水産業や農業にまで好循環を生み、地域産業も活性化させる。そんな未来像まで描いているのだ。
バイオマスバリューチェーン構想とは何か。本当に実現できるのか。そして小河氏はなぜこのような難題に立ち向かうのか。全3回の連載を通じて明らかにする。
連載1本目の本記事では、この構想を実現する鍵になるという「木を溶かす技術」とは何か。ダイセルが大学と共同研究を進めるこの聞きなれない技術とは一体何なのか。そこから読み解いていこう。
バイオマスだから環境に良いは「まゆつば」だ
小河 「バイオマスバリューチェーン」構想は、日本の国土の約7割を占める森林をバイオマスとして活用することを起点に、持続可能性がある循環型の産業構造を作るというものです。
この構想の根幹を担うのが「木を常温で溶かす技術」。日本を再生資源大国に変貌させ、循環型社会を作る鍵となります。
まずは、この「溶かす」技術がなぜ構想実現の鍵を握るのか、その背景からお話しさせてください。
皆さんもご存じのように、木材は紙や繊維などの原料として古くから使われています。木を原料に活用すること自体は目新しいことではありません。
一方で、現状の木材の活用の仕方は、サステナブルとは言い切れません。
一般的に、木材を含めた植物・生物を原料として作られたバイオマス製品は、“環境にやさしい”と捉えられがちです。
植物が成長する過程でCO2を吸収してきたため、廃棄・焼却時に排出するCO2と相殺されると考えられています。
しかし、その生産過程で、環境に大きな負荷をかけているケースが、多々あるんです。
その大きな要因は、木材やトウモロコシに代表されるバイオマスの原料が、共通して「溶けにくい」性質を持っていること。
そもそも化学製品は、原料を溶かして異なる原子同士を反応させ、分子構造を変化させることで作られます。
成分が均質に溶けているほど原子同士が出会う頻度を上げられる。原料を適切に溶かす技術によって、化学品の作りやすさや、生み出せるバリエーション(種類)の幅が、飛躍的に向上するんです。
そのため、この「溶かす」工程こそが、化学製品を作る上で肝になるのです。
しかし、木材やトウモロコシなどの溶けにくい原料を加工する場合、高熱を加えたり、高温で煮沸したり、過激な溶剤を用いたりと、溶かすために膨大なエネルギーがかかってしまう。
これではいくらバイオマスを用いていたとしても、環境にやさしい生産方法とは言えません。
そこで「常温で溶かす」技術が役に立つ。この方法なら、通常は溶けにくい原料も過剰なエネルギーを使わずに溶かすことができるので、エネルギー消費をグッと抑えることができる。
サステナブルな生産プロセスであると、胸を張って言うことができるのです。
一方で、生産プロセスで環境に負荷をかけているにもかかわらず、バイオマス由来だからサステナブルだと謳われている製品も少なくありません。
私から言わせれば「まゆつばのサステナブル」です。
われわれダイセルは1919(大正8)年に設立され、主力製品である酢酸セルロースをはじめ、古くから木材由来の化学製品を生産してきました。
バイオマスの環境負荷に課題を感じ、生産工程を研究してきたからこそ「まゆつばのサステナブル」を変えていきたい。
「木を常温で溶かす技術」はこうした想いや、これまでの知見を背景に生まれています。
なぜ「常温」で木を溶かすのか
実は「木を常温で溶かす」ことの価値は、生産過程の環境負荷を減らすことだけではありません。
常温で溶かすことで、木材から製造できる製品のバリエーションを、大幅に広げられる。
木材という原料が持っている可能性を石油を代替するほどまで高められるんです。
どういうことかをお伝えするために、そもそも木材がどんな構造から成っているのかを、ご説明させてください。
木材は、セルロース、ヘミセルロース、リグニンという3つの成分で構成されています。ですが、この中で有効に活用されている成分は、紙の原料(パルプ)や繊維などに使われるセルロースが大半なんです。
その理由は、ヘミセルロースやリグニンは、セルロースよりも溶けやすいから。セルロースを取り出すための従来の“過激な”プロセスの最中で、ヘミセルロースとリグニンは先に溶け出してしまい、使い物にならなくなってしまっていたのです。
しかし「常温」で木材を溶かし、生産工程が穏やかになれば、無駄にせざるを得なかったヘミセルロースやリグニン、その他の成分を分離して取り出せる。
従来、使用できなかった成分を活用することで、新しい製品を生み出せる可能性が広がるんです。
この「木を常温で溶かす技術」を根幹として、木材をはじめとするバイオマスを高度に、かつ環境負荷の少ない形で活用するための技術の束を総称し、「新バイオマスプロダクトツリー」と呼んでいます。
石油ほどのポテンシャルはあるのか
この技術を用いれば、石油のように、木材もさまざまな製品を生み出す原料になるのではないか。私たちはそう考えています。
たしかに石油は化学製品を生み出すバリエーションが優れていますが、木材も多くの石油化学製品を代替するポテンシャルを秘めた原料です。
その一例は、プラスチックです。現在その多くが石油から作られているプラスチックですが、その分子構造を見ると、同じ構造の繰り返しから成っている。実はこの構造は木材のそれとすごく近いんです。
だから、特にプラスチックのような樹脂は、石油より木材から作りやすいのではと考えています。
それに加えて、先ほどお話ししたように、木を常温で溶かす技術を用いることで、化学反応において原子同士が出会う頻度が上がり、バリエーションが爆発的に広がります。
そこから新しい化学製品が生まれる可能性は、もはや無限大なんです。
われわれとしては、そのバリエーションをさらに増やしたい。そうした背景もあり、現在は京都大学や金沢大学と共同で研究を重ね、多様な溶かし方に関する知見を蓄積しています。
というのも「溶かす」と一口で言っても、その溶かし方は多岐にわたります。その多様なパターンを知って理解することで、大げさに言えば人類が、その技術をコントロールできるようにしたいんです。
世の中に役に立つ素材を生み出したいのならば「たまたまこの溶剤で溶かしたら、良い素材が生まれました」では、やっぱりダメなんですよ。
あらゆる溶解のパターンを把握・データ化して「この溶かし方ならうまくいくはず」と緻密な設計をした上で、製品を生み出せるようにならなければいけない。
そうすることで初めて「技術を手に入れた」と言えるのではないかと考えています。
木を常温で溶かし、バイオマスバリューチェーンへ
この「木を常温で溶かす技術」が産業レベルで実用化された先に描いているのが、はじめにお話しした「バイオマスバリューチェーン」構想です。
日本の国土の約7割を占めているのは森林です。そのうちの多くは、元来木材として使用する目的で人工的に植林されたものです。
しかし外国の木材の方が安価という理由から、林業ではあまり活用されず、無価値なものになっています。
そこで「木を常温で溶かす技術」を用いて、木材が今とは比べ物にならないほどの用途で使われるようになれば、木材に新しい価値を与えることができます。
木材の需要が増えれば林業の活性化にもつながりますし、その結果、荒廃した森林も回復する。豊かな森が、農業や水産業にまで好影響をもたらす、大きな循環を生み出せるのではないかと考えているのです。
また、「木」という硬質なものを常温で溶かす技術を応用すれば、農業や水産業から出る廃棄物、たとえばキャベツの芯、たまねぎの外皮や、カニの甲羅、エビの殻なども溶かして、バイオマスとして活用することもできるはずです。
廃棄物から、糸やフィルムなどの素材ができあがり、それを活用すれば、一次産業の方が住む地域に新たな特産品が生まれるかもしれません。そうすれば農業や水産業だけではなく、地域全体のキャッシュフローが自ずと上がります。
私は、この「木を常温で溶かす技術」を、その地域の特徴を活かした、新たな価値づくりに使ってもらいたいと考えています。地方創生というと少し大げさかもしれませんが、そのきっかけにはなるはずなんです。
(続く…)
連載第二回では、バイオマスバリューチェーン構想の全貌を紹介します。
執筆:横山瑠美
デザイン:久須美はるな
撮影:大橋友樹
取材:金井明日香
編集:山口多門