2023/3/1

【ビジネス創設】農業を観光の視点でエンターテインメントに

ライター、フードライター
北海道・十勝エリアの中心地・帯広市で創業し、日本初となる農業専門の畑ガイドツアーを手がける「いただきますカンパニー」。

観光地ではない地域で、女性、シニア、基幹産業といった地方都市が抱える悩みを人材と資源として生かし、観光ビジネスへとつなげてきた会社です。その仕組みづくりについて、代表取締役社長の井田芙美子さんにうかがいました。(全2回)
INDEX
  • 農業をツアーとしてガイド
  • 繁忙期の様子も雨もツアーの見どころに
  • コロナの打撃もオンラインへの移行で乗り越える
  • 子育てで感じた思いが起業のきっかけに
  • なれ合いにならず農家との関係をしっかりつくる
  • ツアー客を巻き込める畑ガイドの育成

農業をツアーとしてガイド

北海道・十勝エリアといえば、スケールの大きな農村景観を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。毎日の生活に欠かせない野菜や乳製品が多数生産される、食のブランド力があります。
ところが、十勝はその生産物の知名度がある一方で、観光地としての認知度は低く、誘致力のある観光資源が少ないといった地域の課題もあります。
そこに目を向けたのが、井田芙美子さん。農業を観光の視点でとらえ、契約した生産者の畑を舞台に、観光プログラム、食育、教育旅行へと展開する「いただきますカンパニー」の代表取締役です。
井田芙美子さん 1980年生まれ、北海道札幌市出身。父親が農業関連の仕事をしていた影響で、子どもの頃から農業や食に興味を持ち育つ。帯広畜産大学卒業後は、農業の価値を観光で発信する事業を模索し、さまざまな観光ビジネスを経験。現在は本社がある帯広市と札幌市の2拠点生活。2児の母でもある

繁忙期の様子も雨もツアーの見どころに

井田 「ツアーでも説明するのですが、案内させていただいている農場の平均耕作面積は、東京ディズニーランドの面積とほぼ同じなんです。あまりの広さに驚きますよね。この規模を家族たった4人で作業するので、本当に忙しい。これが十勝の一般的な農家さんです。自分たちでも農業について何か発信したいと思いはあっても、畑を案内する時間があるなら、ジャガイモを掘っていたいのが農家さんたちの本音です」
東京ディズニーランドの面積は約51ha(公式サイトより)に対して、十勝エリアの1戸当たりの平均耕作面積は約45.7ha(2020年農林水産省調べ)。画像提供/いただきますカンパニー
井田 「しかしながら、夏から秋にかけての農繁期こそ、畑が一番美しい時期ですし、農業の役割や魅力を伝えやすい時期でもあります。ですから、農家さんには普段通り仕事をしてもらって、畑ガイドがその時々の農作業を解説したり、農業や畑のことを説明したり、農家さんの作物への思いを伝えたりしています」
ツアーは荒天以外、雨天も決行。屋外で雨だと残念な気持ちになりますが、「今日のお客さんはラッキーですよ。雨だと農家さんは畑に入れないので、倉庫で仕事をしています。ちょっと行ってみましょうか」と、農家さんと参加者の対話の時間をつくり出すこともあります。
臨機応変かつエンターテインメントな対応で、ガイドは参加者を笑顔に導きます。
一番人気のツアーは、食事付きの「畑ガイドと行く農場ピクニック」。もぎたてのトウモロコシをそのまま頬張ったり、掘り立てのジャガイモでフライドポテトをつくったりと、畑で野菜を味わう貴重な体験に、子どもはもちろん、大人も夢中になるという話もうなずけます。
実施する時間帯により、ランチツアーとおやつツアーがある。前者が大人5800円、子ども4200円、後者は大人3800円、子ども2200円。いずれも2歳以下は無料。画像提供/いただきますカンパニー

コロナの打撃もオンラインへの移行で乗り越える

いただきますカンパニーのツアーは年々順調に予約数を伸ばし、コロナ以前は国内外から年間約2000人を受け入れてきました。コロナ禍では大きな打撃を受けましたが、新たに始めたオンラインツアーが好調。現在はリアルとオンラインを併用したツアーコーディネートの需要も増えています。
例えば、春にオンラインで学んだ高校生が、秋の修学旅行でリアルな畑を訪問するハイブリットな教育研修を受けたり、旅行が難しい障がい者施設ではオンラインツアーを楽しんだ後、事前に送っておいたジャガイモを食べて臨場感を味わったりと、提供できるサービスの幅や奥行きが広がったといいます。
オンラインツアーでは、防疫の問題などでツアー客が訪問できなかった酪農家を紹介するなど、状況を逆手に取った情報を発信。画像提供/いただきますカンパニー
井田 「先が見えない時代だからこそ、新しいことを仕掛けていきたい。いま必要とされるカタチで食と農の魅力を伝えていきたいと思っています」

子育てで感じた思いが起業のきっかけに

子どもの頃から農業やそこから生まれる食の大切さに強い関心があった井田さん。中学時代には羊飼いに憧れ、大学時代には農家に住み込んで通学していた時期もあったといいます。観光の仕事に携わる中で、リアルな農業を専門のガイドが案内するという、現在の事業の輪郭が徐々に見え始めたそうです。
そんな井田さんが起業を決めた理由のひとつに、「社会への憤り」があったといいます。
井田 「地方都市では女性が活躍できる場は少なく、特に出産後も仕事を続けることに、職場や地域、家族の理解を得るのが本当に難しい。子どもを持つことで、自分が積み上げてきたキャリアや評価が100からゼロになってしまうことが衝撃で…。当時、勤めていた団体には育児休業の前例がなかったので、直談判して認めてもらいました。そんな仕事と育児の両立が難しい社会全体に、強い憤りを感じていました」
もうひとつの理由は、「畑のチカラ」を実感した経験から。野菜嫌いだったお子さんと畑に行った時、自らカブを抜いてその場でかじりついた姿に驚いたと振り返ります。
「私自身もそうでしたが、現場を体感する経験が人を変える、と思いました。都市に人が集まり、農山漁村は人口減少の一途。その結果、畑と食卓も遠く離れてしまいました。誰かが手をかけたものを食べ、私たちは生かされていますが、その想像力を持つには、生産現場での体験が必要。それを子どもの存在であらためて気づかされました。仕事と育児の両立が難しくなっていたタイミングでもあったので退職を決め、一歩前へ踏み出すことにしました」
2012年春に創業し、翌春に法人化しました。

なれ合いにならず農家との関係をしっかりつくる

この事業を成功に導くカギは、協力農家の存在と畑ガイドの養成プログラムづくりと考えていた井田さん。生産者の協力や信頼関係はどうやって得たのでしょう。
井田 「農業といってもいろんなジャンルの農業がありますが、十勝の風景をつくっている畑作の大規模農家さんにぜひ協力してもらいたいと思っていました。つてはありませんでしたが、協力者は絶対いると信じて、さまざまな機会にいろいろな方に話をすることで、ご縁がご縁をつないでくれて出会ったという感じです」
いただきますカンパニーのスタッフは9人で女性が中心。画像提供/いただきますカンパニー
まずは、仕組みづくりに取り組みました。
協力農家はツアー客が入場可能な畑を期間中に提供し、受け入れや案内といったツアーの一切はいただきますカンパニーが担います。
その代わり、生産者の思いや仕事内容をきちんと代弁できるよう、畑ガイドが事前にヒアリングをきちんとすること。そして、ツアー参加者には農場でのルールを順守した上で楽しんでもらうこと。入場料のほか、収穫した農作物に対する費用を支払うことなどをお互いの約束事として、毎年書面を交わしています。
こういった積み重ねが、信頼関係を築いていったといいます。昨年の協力農家は農場ピクニック2軒、オンライン3軒。その季節や農作物の生育状況、ツアー内容に応じて、訪問する畑を変えているといいます。
井田 「大切なのは、十勝の農業をもっと多くの人に知ってもらいたい、畑と食卓をつないでいきたいという思いを、農家さんも共有していること。こちらが頭を下げて畑の提供を依頼しているというよりは、同じ目標に向かって一緒に歩むパートナーという感覚です。なれ合いにならないよう、少ない額ではありますが、入場料をお支払いすることに意味があると思っています」

ツアー客を巻き込める畑ガイドの育成

では、畑ガイドの養成プログラムづくりにはどのように取り組んだのでしょう。
「一番大変だったのは、消費者に伝えるための情報の整理でした。新規就農者向けの資料など、既存のテキストを活用させていただきながら、そこに消費者や観光客の視点を加え、オリジナルのテキストづくりをしていったのですが、農業側から出ている情報は専門的すぎてとにかく難しい。単純に専門用語を翻訳するだけではなく、農業が身近に感じられるようにかみくだいてわかりやすく、そして楽しく伝えられるように工夫しました」
トラクターなど農機ひとつとっても、その役割がわかりやすく書かれたものがないなど、農業に携わる人には当たり前の「そもそも論」がわからなく、苦労が多かったそうです。
農業に欠かせないトラクターだが、日本語でいえばけん引車。さまざまなアタッチメントを付けることで、多彩な働きをする。画像提供/いただきますカンパニー
井田 「苦労のかいあって、ツアーのお客様が興味を持ったり、喜んだりしている姿を農家さんに見ていただくことができました。『自分たちの仕事は素晴らしいことなんだ』と気づいてもらえて、より楽しくなっていく。そんな良い循環が生み出せるととてもうれしいことだし、それが少しでも農業を盛り上げるお手伝いになればいいなと思っています」
さまざまなキャリアやバックグラウンドを持つ畑ガイドの多くは、女性とシニアが担っています。そんな地方都市での採用やマネジメントには「踏み台」が必要だと井田さんは話します。そうした地方ならではの人材マネジメントを後編でお伝えします。
後編に続く