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エンターテイメント業界出身の異色CEOが率いる航空会社

マレーシア:航空機事故で注目、エアアジアの社風

2015/2/2
昨年、ASEANを揺るがしたニュースに、航空機事故があった。なぜこれまでに、と思わざるを得ないほど続いた事故の話題にどんな関連性があるのか。昨年3月に北京で待ちわびる、マレーシア航空の行方不明機の乗客家族を取材した筆者が、昨年末に起こったエアアジア航空機墜落事件をシンガポールから語る。

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悪夢の航空機事故、なぜ続く

「2度あることは3度ある」なのか。昨年12月28日、マレーシアの航空会社が2014年3度目となる惨事に巻き込まれた。インドネシア・スラバヤ発シンガポール行きのインドネシア・エアアジアQZ8501便がジャワ海へ墜落した。

インドネシア当局は事故が悪天候と関係すると考えている。同機は嵐雲を避けるために上昇しようとしたが、混雑のため許可を得られなかった。そのまま飛行中に嵐雲に突入した可能性があり、そこで氷が機体やエンジンに付着して不具合が起こったのではないかという見方だ。

また、インドネシア側はこの航路は月・火・木・土の週4日運行で飛行許可を取っていたが、それが実際には月・水・金・日に変わっていたと発表した。エアアジアはこれに対して、運輸当局に対して口頭でしか変更を伝えておらず、「運営上の過失」があったことだけ認めた。

情報提供をひたすら待っていたMH370便乗客家族たち

一方で、エアアジアは事故の初期対応という面では評価されている。人々が比べるのは、昨年3月にマレーシアのクアラルンプールから乗員乗客239名を載せて北京に向かっていたMH370便が行方不明になった事件だ。

MH370事件では、国営投資会社が経営権を握るマレーシア航空の官僚的な対応に批判が集まった。当日午前に第一報が流れると、中国人乗客の親族らは臨時の待機所とされた、北京首都空港近くにあるホテルに駆けつけた。だが、マレーシア航空の担当者は一向に姿を表さず、翌日の明け方3時過ぎにようやく現れるという始末だった。

窮屈な部屋に押し込まれた親族たちは、自分の携帯などで外部に流れる情報をチェックするしかなく、時折怒号や嗚咽が響き渡った。しまいには、不満を爆発させた親族がホテルの外で待ち構える何百もの記者にマレーシア側の対応のひどさを訴えた。

さらに失踪したMH370便の行方がわからない状態のまま、マレーシア航空とマレーシア政府・軍部による発言が何度となくぶれ、情報が錯綜。中国人の間ではマレーシアそのものへの嫌悪感が高まり、親族らが北京のマレーシア大使館へ抗議デモを行うという騒ぎも起きた。

カウンセラーが駆けつけ、アプリで情報発信したエアアジア

事故の性質が違うため2つの航空会社をそのまま比べるのは難しいが、それでも今回のエアアジアが事故発生後にとった初動対応は好意的に受け止められている。

事故機の目的地だったシンガポール・チャンギ空港の管理会社が早々に空港ターミナル3階に家族の待機区域を用意し、そこにシンガポール政府の社会・家族開発省が派遣したカウンセラーが駆けつけた。

その日の午後までに、エアアジア関係者や、事故機がインドネシア子会社所属だったためにインドネシア駐シンガポール大使館の職員も駆けつけた。空港側はさらにSNSアプリ「WhatsApp(ワッツアップ)」上にグループをつくり、そこで一斉に記者向けに情報を配信するなどして混乱を防いだ。

エアアジアは顔の見える、心のこもった情報発信に努めたのが分かる。まず、失踪の情報が入ってすぐ、ツイッター公式アカウントのプロフィール写真にあったトレードマークの赤いロゴを灰色に変えた。

トニー・フェルナンデスCEOも100万人近いフォロワーに向けて、今回の事故で自身が受けたショックや乗客家族への慰問の言葉を次々と発信。当日夜にはスラバヤで記者会見に臨み、「(親族)が経験している苦しみに陳謝します。この会社を率いる私が責任を取らなければならない」と語った。

エンターテイメント業界出身のCEOの凄腕

実はエアアジアのフェルナンデスCEOは航空会社のトップとしては、異例の経歴を持つ。

ロンドンで会計を学び、そのままロンドンのバージン・レコードで働いた後、ワーナー・ミュージック・グループの東南アジア地域副社長になった。そこを退社後、アジアでLCC(格安航空会社)を立ち上げるという夢を実現させた。

よく知られているのは、経営破綻間近のエアアジアを2001年に1リンギット(当時約31円)で購入したことだ。当時、所有機はわずか2機で、多くの負債を抱えていた。その後、911テロ、バリ爆破テロなど、航空業界にとって厳しい局面もあったが、一貫して右肩上がりの成長を続けてきた。今では所有機は150を超え、120以上の都市へ就航している。

トニー・フェルナンデス・エアアジアCEOは昨年9月にシンガポールで講演した際、会社の帽子、ポロシャツとジーンズという、彼を知る人の間ではお馴染みの格好で登場した。ライバルのシンガポール航空のロゴをやゆして「あの馬鹿げた鳥を追い落とそう」と発言するなど、過激なジョークを連発させ、会場は何度も爆笑に包まれた。

CEO自らがエンターテイメント業界での経歴が長かったことから、エアアジアは親しみやすい、ヒエラルキーのない社風を築くことができた。これとは対照的に、フラッグ・キャリアのマレーシア航空は政府色が強く官僚的だ。これまで3度経営不振に陥り、巨額の税金も投入されてきた。昨年3月の事件に続き、昨年8月に同航空便がウクライナで撃ち落とされた事故の後、実際に完全国営化・上場廃止での再建が始まっている。

シンガポール在住のある航空業界の研究者によると、エアアジアが「2003年から2005年にかけて、巨大な投資を行い、東南アジアの中所得層で高まってきた飛行機需要をうまくとらえた」ことが成功の要因だったと言う。こうしてASEANの都市間の距離を縮めることに成功し、アジアを代表するLCCになった。

アセアン各地に合弁会社、地域の距離短縮に成功

エアアジアのもう一つの特徴はその会社構造だ。

東南アジアの多くの国は自国航空会社への外資規制を維持しており、マレーシア本社のエアアジアは、今回事故を起こしたインドネシア・エアアジアの株式49%を所有する。他にもタイ、インド、フィリピンで同様に合弁会社を設立している。ただし、2015年にASEAN経済共同体(AEC)が発足すると、ASEAN単一航空市場が誕生するため、エアアジアはこれらの企業の出資比率を100%にする意向を表明している。

日本においては、エアアジアは2011年にANAとの合弁でエアアジア・ジャパンを設立したが、2013年に提携を解消。今夏の就航を目指して、楽天などの出資のもと、日本市場へ再進出する予定だ。

(写真:@iStock.com/Cn0ra)

※本連載は毎週月曜日に掲載する予定です。