直接お目にかかることはついぞなかったが、節目節目で応援歌が届いてきた。『勝負の分かれ目』を書いたとき。文藝春秋で、一回目の左遷を理不尽な理由でくらったとき。 90年代の日経は、経営陣にも、太田哲夫さん、鈴木隆さん、森田康さん等々、優秀でオープンマインドな人が大勢いた。 田勢さんはそうした文化の中で花開いた記者だと思う。 facebookで友達申請をいただき、プレンスセンタービルの事務所を引き払うときのこと、その後、歌謡にのめりこんで、CDを出したときのことなど、ああ、こういうふうに生きるのもあるんだな、と思っていた。 寂しいです。
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