2023/2/16

【地域】なぜ「遊び」からビジネスが生まれるのか?

NewsPicks Brand Design Senior Editor
 ウィーン生まれの思想家イヴァン・イリイチは、1973年に発表した著書『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫)の中で、「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」という概念を提唱した。この言葉が、半世紀たった今、再び注目されている。
 コンヴィヴィアリティは「共に生きる」を原義とする。今では「宴会」や「陽気さ」という意味で使われるこの言葉を、イリイチは他者や自然との関係の中で、自由で創造的に生きる喜びという意味で使った。
 イリイチがコンヴィヴィアリティを問題にしたのは、その感覚が急速に失われているという危機感があったからだ。
 社会が発展し、制度や道具が進化すると、人はどこかでそれらに依存するようになってしまう。
 そんな制度や道具に過度に依存することなく、主体的、自律的に生きるためには何が必要か。
 自由を享受し、他者や自然と共に生きる喜びを感じながら、創造的に生きる社会をどうすれば建設できるのか。それがイリイチの問いだった。
 コロナ禍においてコンヴィヴィアリティが注目されるようになったのは、人に会えなくなり共に生きる喜びを感じる機会が減少したことに加え、既存のシステムに依存して生きることの脆弱さを、まざまざと思い知ったからだろう。
 そういったコンヴィヴィアリティの視点から、「地方」は注目すべき場所である。
 隅々までシステム化された大都市に比べ、地方には「余白」がある。人口減少・高齢化の進行で人も少なく、コロナリスクも相対的に低い。そんな余白があるからこそ、コンヴィヴィアルな生き方が実現しやすいともいえる。
「共に生きる喜びに満ちた社会が息づき、コンヴィヴィアルな活動が花開き始めている地域が、地方にはあります。その動きを牽引しているのは、多くの場合、30代や40代のローカルプレイヤーたちです」
 そう語るのは『日本列島回復論』(新潮選書)の著者で、「自律協生社会の実現」を掲げて活動する日本総合研究所(以下、日本総研)の井上岳一氏だ。
 本稿では、そんな“30代、40代のローカルプレイヤー”の一人であり、秋田県五城目町と東京を拠点に活動するシェアビレッジ代表取締役の丑田俊輔氏と、井上氏の対談から、コンヴィヴィアリティの実装について紐解いてゆく。
INDEX
  • 自律協生社会の実現に向けて
  • 地方には「コンヴィヴィアリティ」の種がある
  • みんなで遊べば怖くない
  • 「プレイフルドリブン」の重要性
  • “マタギ的感覚”を持つこと

自律協生社会の実現に向けて

井上 日本総研は中期的な目標として「自律協生社会」の実現を掲げています。
 僕らの言う自律協生社会とは、多様な人々が、自己を存分に表現しつつ、他者や自然と共に生きる喜びを感じながら、活き活きと過ごすことのできる社会のことです。
 イリイチの訳者たちは、コンヴィヴィアリティを「自立共生」と訳してきましたが、僕らは「自律協生」と訳します。
「自律」とするのは、主体性を重要視しているからです。個人や地域が自律的・主体的に行動できることが重要で、経済的・社会的に「自立」できているかはあまり関係がない。
 また「協生」としたのは、単に「共に生きる」のでなく「力を合わせて生きる」というニュアンスを出したかったからです。
 では、自律協生社会はどうすれば実現するか。
 それを研究・実践するための拠点として、武蔵野美術大学と「自律協生スタジオ」(通称コンヴィヴィ)を立ち上げました。
武蔵野美術大学が運営するソーシャルクリエイティブ研究所と日本総研は、自律協生社会の実現を目指し、共同研究拠点「自律協生スタジオ(英名:Convivial Design Studio/通称: コンヴィヴィ)」を、2022年11月1日、武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス内に開設した。
 美術大学と組んだのは、デザイナーやアーティストには想いやアイデアを可視化する力があると共に、「課題をどう面白く、楽しく変えられるか」と考え、行動する構えがあるからです。それらが自律協生社会の実現には必要と考えました。
「コンヴィヴィ」では、現場での研究・実践・創造活動を重視します。
 デザイナーと一緒にフィールドワークし、地域の方々と対話を繰り返していますが、自律協生の芽が各所にあって、とても刺激的です。地方は自律協生のフロンティアだと実感します。
 そのフロンティアの一つが、丑田さんの暮らす五城目町です。五城目町で起きていることは、本当にコンヴィヴィアルだなと感じます。

地方には「コンヴィヴィアリティ」の種がある

丑田 ありがとうございます。
井上 そもそもから伺いたいのですが、福島生まれ、東京育ちの丑田さんが地方に関わったきっかけは?
丑田 大学在学中の2004年に、公共施設を公民連携で再生した「ちよだプラットフォームスクウェア」の立ち上げに関わったんです。
 ここで神田の下町のコミュニティと知り合い、全国各地のローカルプレイヤーとつながりました。
 また、“家守”と呼ぶエリアマネジメントの実践を通じて「自治をしつつ利益を地域に再投資し続けると、つながりの資本、つまりソーシャルキャピタル(社会関係資本)が蓄積され、まちが楽しくなって、多様なビジネスが生まれるのだ」ということを学んだのが大きかったです。
 その頃って、公民連携の姉妹施設として秋葉原に「Linux Cafe」という場所があり、エンジニアたちがオープンソースでOSをガシャガシャとつくっていた。
 エンジニアのゆるやかなコミュニティが生まれて、自分たちがやりたいように自由に楽しくつくることで、結果的に良いOSが生まれていった。
 つまり、地域のコミュニティもソフトウェアプログラムのソースコードも、みんなで自治したり共有したりと、再投資し続ける土壌があると、結果的に全体が豊かになる。
 当時の東京の下町にはそういった世界があって、とても共感していたんです。
 そういう中で東日本大震災が起きて、神田に関わるNPOやソーシャルアントレプレナーたちが被災地で様々な支援を始めます。次第に、自分も東北に出入りするようになりました。
 東北に通い始め、東京のど真ん中で子育てをする中で感じることもあって、2014年に神田でご縁のできた五城目町に引っ越しました。
井上 東京のど真ん中から、人口1万人に満たない五城目に移っての生活はいかがでしたか?
丑田  暮らし始めて気がついたのが、地域にはパブリックとプライベートの間にまたがる分厚い「コモン」の領域があるということでした。
 まさに、学生のときに東京の下町で感じたコモンズが、地方には潤沢にあったんです。
 たとえば、五城目町には築130年ほどの茅葺き古民家があるのですが、それが個人の所有物を超えて、集落の共有資源と密接に関わっていたことを知りました。
 家を建てる木材や屋根に使うススキを調達するために、山林や茅場を共同で管理し、屋根の葺き替えを手伝い合ったりしながら、暮らしを自治してきたんですね。
 つまり、コモンによる自治が結晶として発露したものが、茅葺きの古民家だったんです。
 でも、昔はたくさん存在したコモンの領域は、近代化の過程で急速に縮小してきました。行政や企業のサービスに代替されたものもあるし、ライフスタイルの変化や若者の流出で、維持できなくなったものもある。
その古民家も、維持がいよいよ難しくなって、持ち主が解体する決断をしたところでした。
 そんな話を聞き、これまでは住民によって続いてきたコミュニティやコモンズの形を、現代に合わせてアップデートすれば、次の時代にもこの風景を残していけるんじゃないかと考えたんです。
 それが、2015年に立ち上げた「シェアビレッジ」というプロジェクトです。
 古民家を村に見立て、村に賛同する「村民」が「年貢」(会費)を納めて、茅葺き古民家を共有資源として維持管理していくようにしたんです。
「村民」は村に住む人でなくてもいい。そういったコンセプトでスタートすると、全国から2000人くらいが集まった。なかには、都会や海外に住んでいる人もいました。
井上 それは凄い。
丑田 「年貢を納めて村民になろう」が合言葉だったんですが、まずはみんなで楽しみながら参画することを大切にしました。
 なぜ2000人も集まったのか不思議かもしれませんが、そもそも、村づくりって楽しいんです。ヒットしたゲームの「あつまれ どうぶつの森」と同じ感覚です。それを、リアルでできているぞって感覚がありました。
 コロナ後には、そんな村づくりの実践を活かし、みんなでつくる暮らしを支えるソフトウェアとして、コミュニティプラットフォーム「Share Village」を全国の仲間たちと開発しました。
 暮らしを共有化する行為を僕らは「コモニング」と呼んでいますが、古民家から始まった取り組みが、今ではコモニングのためのデジタルツールへと進化しています。

みんなで遊べば怖くない

井上 五城目は町の中心部も面白くなっていますよね。
丑田 520年以上続く朝市があって、出店するおばあちゃんたちが組合をつくり、ストリートを自治してきた。5世紀にわたって存続するコモンズです。
 でも、古民家と一緒で、おばあちゃんたちの高齢化もあり、どんどんと店舗が減っていました。
 それを何とかしたい、朝市をもっと面白くしたい、と動き始めた地元の女性たちがいて、そこに移住者も乗っかって、“520年目のレボリューション”を起こそうと動き始めたんです。
 具体的には、コモンズとしての枠を少しだけ広げ、月1、2回の日曜日の朝市を「朝市plus+」と銘打って、組合に入っていない人も出店できるようにしてもらいました。
井上 古民家同様、コモンズをアップデートしたんですね。
丑田 はい。そうしたら、若い世代を中心に70店舗ほどが新規に出店し、3000人以上の人々が集まるようになりました。
「みんなで遊べば怖くない」と言っているんですが、ストリートをコモンズにして、みんなで遊び、楽しんでいるうちに、つながりが豊かになってくる。
 すると「あそこの空き物件使えないかな」という会話が自然と生まれてきて、その結果、ここ数年で商店街のあるまちなかに、20軒以上の新たな場所が生まれています。
500年以上続く朝市に新しい出店者も参加できる日曜市「五城目朝市plus+
井上 遊びからコモンズが生まれ、経済も駆動し始めているんですね。
丑田 はい。だから遊びがもっと日常に溢れたらいいなと思っていた時に、商店街の空き物件を安く借りられたので、そこを親子60人ぐらいでDIYして無料で使える「ただのあそび場」という場所をつくりました。
住民がDIYでつくった「ただのあそび場」
 この場所ができてから、学校が終わった子どもたちが遊び場に集まり、町中を駆け回って遊ぶようになりました。
 最初は危ないと心配する人もいたんですが、今では子どもの遊ぶ風景を見られる方がいいと、ポジティブに受け入れられています。
井上 遊びが町の風景を変えている。
丑田 はい。面白いことに、いろいろ活動をして、地域に遊び仲間が増えると、遊休不動産(適切な活用がされていない土地や店舗)をはじめ、手入れがされていない山林や耕作放棄地、建物があると教えてくれるんです。
 つまり、町の住民との関係が豊かになると、そういった土地や建物といった資源にアクセスしやすくなるんですね。
 これらは資産価値がないように見えますが、ただ市場経済からこぼれ落ちただけで、とても潤沢なストックなんです。
 このストックをコモンズにしてみんなで遊べないかと考えるんです。たとえば、地方には放置山林の問題があります。当然、五城目町にもあります。
 町で仲良くなった“山遊びの達人”と呼ばれる方とともに、山に入る機会がありまして、途中で山林の話になったんですね。手入れをしないと、土砂崩れが起きやすくなるし、クマも山を下りてくるし、子どもも山で遊ばなくなってきた。
豊かな森を保持しつつ、放置山林にならないように管理をしている
 どうすればここでもっと遊べるかなと考える中で、「集落を再発明してみよう!」という話になって。
 現在は、町内の里山で切り出した木材を、デジタルファブリケーションなどのテクノロジーも活かしつつ、みんなで加工して、5棟のデジタル民家を建設する「ネオ集落」というプロジェクトとして、今夏の竣工に向けて動き出しています。
 他にも、コロナ禍の影響もあり閉館した温泉宿を再生させようと、常連仲間のおじいちゃんたちと合同会社をつくり、リニューアルオープンしました。
 温泉を地域のコモンズとして捉え、住民自治によって持続させていく。そのきっかけは、温泉好きのエゴですが(笑)。
「私も出資する!」と構想段階から一緒に参加していた女子高生がいて、創業社長は彼女が担ってくれました。
かつての温泉宿をリニューアルした「湯の越温泉」

「プレイフルドリブン」の重要性

井上 誰に頼まれたわけでもないのに、主体的に自分たちでお金、労力、知恵を持ち寄る。
 女子高生が社長になるなど、遊び心もいれながら、みんなで和気藹々と楽しんでいる感じが、まさに自律協生的だなと感じます。
 でも、こうなると、もはやどこまでがビジネスで、どこまでが遊びなのかわからないですね(笑)。
丑田 はっきり分かれていないですね(笑)。グラデーションもあります。
 持続するためにはお金の経済は大事ですし、一方で完全にビジネス化しない共助の経済で動くものがあってもいい。複数の経済圏を行き来したり、交えたりする感覚です。
 確かに言えるのは、コモンズが豊かにあるおかげで、とびきり美味しいパン屋さんやカフェができたり、地元の酒蔵が素晴らしい日本酒を醸して世界中とコラボレーションしたりといったように、経済活動も豊かになることです。
五城目町の酒蔵「福禄寿酒造」の日本酒を味わえるカフェ
 スタートアップも大企業も、地域に眠る潤沢なストックを見つめ直したり、新たなテクノロジーを活かせば、ビジネスが生まれる可能性もある。そうすると「住んでみたい」といった人も増えてくるはず。
 だから、コモンとビジネスは相反するものじゃなくて、もっと良い関係になれるのではないかと。
井上 「コモンか、ビジネスか」みたいな二項対立で捉えがちだけれども、そうでなく両者のコンヴィヴィアルな関係を探っていけばいいということですね。
 その架け橋となるのが「遊び」です。遊びはコンヴィヴィアリティの重要な要素になると改めて気づかされた一方で、遊びを企業やビジネスに取り入れていくのは簡単ではなさそうにも思います。
丑田 そうなんですが、遊びの視点を持たない企業は、逆に淘汰されていく時代がくるかもしれないと思っています。
 遊びって極めて目的性が低い領域です。遊んでいる子どもたちにはパーパスもビジョンもない(笑)。とにかく楽しんでいる。
 でも、遊びのなかで人が人と出会い、自分が興味や意識のないものとも関わりが持てる。
 つまり、マーケットインでも課題解決起点でもなく「プレイフルドリブン」で、時に事業やプロジェクトが生まれていくのが、遊びの面白さだと思っています。
 著述家の山口周さんが「役に立つ/役に立たない」と「意味がある/意味がない」を四象限の図を使って説明していますが、ここにおける「意味がなくて、役に立たない」領域が、遊びだと考えています。
 どういうことか。「役に立つ」は機能性、「意味」は、機能性を超えて人それぞれが感じる価値です。
「役に立って、意味もある」は車で言えば外車で、「役に立つけど、意味はない」は国産自動車、「意味はあるけど、役に立たない」はスーパーカーのようなイメージです。
 唯一空白なのが右下の「意味がなくて、役に立たない」領域です。一見すると価値はないのですが、僕はここが原初的な遊びの領域で、人類にとって絶対になくしてはいけない領域だと思うんです。
井上 「意味がなくて、役に立たない」は、実はモチベーションの駆動源で、ここがあるから他の部分も活きてくるという構造になっているわけですね。
 これは、まさにコンヴィヴィアリティとも重なります。コンヴィヴィアリティはビジネスになるのかと問うことに意味はなく、そこから派生してくるものが、ビジネスになると考えるべきなのでしょうね。
丑田 そうだと思いますね。僕らは教育事業の中で町の小学校づくりなども支援しているのですが、「学び」ももともとは遊びと近い意味合いでした。
 スクール(学校)は、ギリシャ語で暇つぶしという意味のスコーレから来ています。
 空を見ていたら「なんで星は動いてるんだろう?」みたいな問いから、学びのモチベーションは駆動し始めるんですよね。
 そういう遊びの感覚が、学びとか仕事の領域にもっと入っていくと、きっと5年、10年ぐらいで社会の様子が変わっていくんじゃないかと思います。
 そのためにも、もっとみんなが遊ぶ人という意味でのプレイヤーになったらいいのになあと思います。

“マタギ的感覚”を持つこと

丑田 さらに、先程の四象限の話でいうと、複数の象限を行ったり来たりできるといいですよね。たとえば稼ぎに徹する「意味のある」ことをする一方で、全く貨幣が介在しない遊び場のように「意味のない」ものをつくるとか。
井上 なるほど。そうやって自由に行き来できるポートフォリオを持つと、世間の評価をあまり気にせずに、好きに生きられそうですね。
丑田 世間の評価や前提から逸脱するという視点では、秋田のマタギの師匠に山に連れて行ってもらうと、とにかく学ぶことが多いんですよね。
 マタギは狩猟する山を自分たちの所有と思っておらず、グローバルなコモンズと捉えています。
 自然から授かったものはマタギ勘定といって立場によらず皆に共有する。この感覚は農耕的なビジネスからは出てこない。
マタギ発祥の集落で、マタギの方とともに冬山を歩く
 今後、従来のビジネス的な視点では解けない問題がもっと出てくるはずで、その時にマタギ的な、個や所有を手放し、自然を含めたコミュニティとの関係に委ねる野生的な感覚も必要になってくるかもしれない。
井上 面白い。実は日本では、農耕が始まってから狩猟は禁忌とされたんです。
 農業技術が未熟で、豊作と不作が“運”だった時代は呪術的思考になり「血の穢れがコメの生産に影響する」として、狩猟は嫌われた。
 要は、農業生産のために統治者たちが、狩猟を排除したんです。マタギ的な自然に委ねる野生の感覚は、農耕の計画的生産の世界や、統治の論理に合わなかったのでしょう。
 同時に、コンヴィヴィアリティや遊びの感覚も失われたのかもしれません。
丑田 統治の論理が遊びを排除してきたんですね。
井上 そう。だから経営に近い人ほど意識して遊びの感覚をどう仕事やビジネスに取り込んでいくかを考える必要がありそうですね。
 ここは反省すべき点なのですが、僕らは習性として、まず課題に目を向けてしまうけれど、デザイナーやアーティストは、丑田さんもそうですが、目の前の状況をどう面白く、楽しく変えられるかについて腐心するんですよね。
 課題より可能性に目を向ける。
 与えられた状況の中でどう遊ぶか、楽しむかを常に考えている。そして、コンヴィヴィアルであろうとする。その構えが状況を変えるんです。
だから、“遊ぶ人”という意味での“プレイヤー”でいることは何より大事ですよね。「みんなプレイヤーになろう」は、僕たちが自律協生社会を目指す上での合言葉にしようと思いました。