[YF]世界を翔ける_150131_オバマ

敵はアルカイダからイスラム国へ

「オバマの戦争」~その新戦略と「イスラム国」

2015/1/31
 オバマ大統領の一般教書演説で米同時多発テロ以降、言及が続いた「アルカイダ」が消え、過激派組織「イスラム国」(IS)が初めて登場した。記者席で演説を聞いた記者は演説のハイライトを「米国の戦争」にみる。そこで打ち出された対テロ戦争の新戦略「オバマ・モデル」とは何か。合理主義に基づく新戦略とISの関係…。オバマ演説の核心を読み解く。
■Pオバマ

米ホワイトハウスで記者会見を行うオバマ大統領=2014年12月19日、毎日新聞社提供

演説のハイライトは「戦争」

いてつく寒さの中、ワシントン中心部にある米連邦議事堂では年に一度の最大の「夜会」が開かれた。大統領、上下両院議長、最高裁長官の「三権の長」や閣僚、議員ら米国の最高権力者らが下院本会議場に一堂に会して行われる大統領の一般教書演説。1月20日夜、私は大統領の演台のすぐ上に並ぶ記者席から始終を見ていた。

ホストの下院議員がゲストの上院議員、最高裁判事、閣僚らを迎え、バルコニーにはミシェル・オバマ大統領夫人、ジル・バイデン副大統領夫人が並んで座る。眼下には最前列に座る法衣をまとったロバーツ最高裁長官や、おしゃべりをするケリー国務長官とヘーゲル国防長官の姿がある。そうそうたる顔ぶれが大統領のお出ましを待つ。

「ミスター・スピーカー。ザ・プレジデント・オブ・ザ・ユナイテッド・ステーツ」(下院議長。合衆国大統領の入場です)。午後9時過ぎ。中央通路を前に進んだ守衛官が開幕を告げると場内は大きな拍手と歓声に包まれ、オバマ大統領が通路脇の議員らと握手しながら5分かけてゆっくりと演台に向かい、演説は始まった。

「新世紀に入って15年です。この15年は本土へのテロの襲来で明けたのです」。オバマ大統領は「親愛なる皆さん」という冒頭の決まり文句に続いてすぐに本題に入った。「われわれの安全のために奉仕している『9.11世代』のすべての男女の勇気と犠牲に敬意を表します」。約1時間の演説は始まって2分余で最高潮を迎える。中立の立場から拍手すらためらいがちの最高裁判事の面々を含めて、全員が起立して拍手を送った最初で最後の場面だった。

2001年9月11日の米同時多発テロを受けて始まったアフガニスタン戦争と2003年3月に開始したイラク戦争での米兵死者は6700人を超え、負傷者は5万人以上を数える。多くの兵士が何度も戦地に派遣され、子どもの戦死を悲しむ親や、手足を失い、後遺症に苦しむ若者の映像が繰り返し放映されてきた。

平和のためにテロリストや独裁と戦い命を落とす若者がこの国には今もいて、尊い犠牲に誰もが崇敬の念を示す。普段の生活では気付かなくても、米国は死と隣り合わせの「戦争をしている国」だと痛感させられる。

アルカイダから「イスラム国」へ

この演説でオバマ大統領は、大恐慌以来と言われる2008年のリーマン・ショック後の不況からの脱却や、アフガンでの戦闘任務終了などの成果を強調したが、主眼は「オバマ流」へのこだわりだったと感じた。

2期目のオバマ大統領は憲法の規定上もう大統領選に出馬できない。「立候補する選挙はない」と吹っ切れたように言い、「残り2年の私の課題は最初に就任したときのものと変わってはいない」と初心に立ち返った。

オバマ大統領は国民皆保険をベースとした医療保険制度改革(オバマケア)など肝いりの政策を覆そうとする試みには「拒否権を行使する」と警告し、野党・共和党を強くけん制する一方、与党・民主党の反対もある環太平洋パートナーシップ協定(TPP)などを念頭に貿易交渉妥結に強い意欲を示した。オバマケアは政権の「遺産」であり、TPPは「遺産候補」だ。党派への配慮よりも「我が道を行く」という意思がにじんでいる。

民主党のクリントン政権で内政担当の大統領副補佐官を務めたウィリアム・ガルストン米ブルッキングス研究所上級フェローは「経済の進展を打ち出し、力強く自信に満ちた演説だった」と評価している。

テロとの戦いでは決意表明の趣だった。ISに対する新たな武力行使容認決議を議会に求めたのも「オバマの戦争」への覚悟のように聞こえた。米同時多発テロ以降の14回の一般教書で、9.11テロを起こしたアルカイダへの言及が消え、ISが初めて登場した演説だった。

国際社会を分断し米国の威信を大きく傷付けた単独行動による介入主義を排し、米国の負担を軽減する国際協調主義へと誘導した。米兵が死んでいく「戦時」を脱却し、「平和」を取り戻したという名声を得ようとした。

だが、辞任した国防長官らが指摘するように、イラク戦争や対テロ戦争からの米軍撤退を急ぐあまり、シリアやイラクを拠点とするISや、アフガン旧支配勢力タリバンの増勢を招いたのが現実だ。

過去6年の政権運営は、2009年の就任直後に描いた理想とはほど遠かったかもしれない。だが、その挫折をバネに最後の2年にかけるオバマ氏の熱意は、連邦議事堂の議場で傍聴しながら十分に伝わってきた。

戦う国家の新戦略「オバマモデル」

一般教書演説にはただ1人出席できなかった「不運」な閣僚がいる。不測の事態で全閣僚が死亡した場合に備え、権力継承の役割を与えられた「指名後継者」と呼ばれる閣僚だ。今年はフォックス運輸長官だった。

米ソ冷戦時に核攻撃を想定して導入されたが、冷戦終結後も続き、2005年からは議会権限を継承するため上下両院の議員1人ずつが隔離されている。隔離場所は明かされず、指名された閣僚は厳重な警護の下、核兵器発射ボタンの暗号を入れたブリーフケースを持つ米兵が随行する。米国ならではの危機管理システムだ。

独立戦争以降、主に欧州での紛争に関わらぬよう孤立主義を外交指針としながら海外拠点を築き、第一次、第二次大戦を通じて国際舞台に躍り出た米国は、好むと好まざるに関わらず世界の指導的役割を強いられる。

最も有名な一般教書演説は、欧州との相互不干渉をうたった「モンロー宣言」(1823年、モンロー大統領)と、第2次大戦参戦への布石となった「4つの自由演説」(1941年、ルーズベルト大統領)と言われる。

オバマ大統領の6年の軌跡は、1世紀を超える2つの演説のはざまを凝縮したように、孤立主義の始まりから終わりへとたどっている。2009年の就任の年にノーベル平和賞を受賞したことはオバマ大統領にとって重荷だったかもしれない。ISとの戦闘を強いられ、「戦時大統領」の1人として歴史に刻まれることになるからだ。

しかし、米国は「平時」の大統領を見つけ出す方が難しいほど戦争や軍事作戦と無縁ではいられない国家だ。「オバマの戦争」の原則は、米軍の地上部隊派遣を回避する一方、友好国や組織の軍隊を訓練し、軍事作戦を支援し、広範な有志連合を主導する――という徹底した合理主義に基づく。「オバマモデル」の対テロ戦略だ。

兵力の大規模直接投入を避ける軍事作戦をオバマ大統領は「賢い指導力」と言うが、共和党にはイスラム過激派への「対抗戦略がない」(マケイン上院議員)と映る。残り2年は「オバマモデル」の成否が試される期間でもある。

【記者プロフィール】及川正也(おいかわ・まさや)=北米総局長(ワシントン)。1988年入社。水戸支局を経て1992年から2004年まで東京本社政治部。首相官邸や自民党、防衛庁(現防衛省)、外務省などを担当。主に政界再編取材にあたった。2005年から2009年までワシントン特派員としてイラク戦争、オバマ大統領が当選した2008年大統領選など米国の内政・安全保障問題を取材。2009年から政治部、経済部、外信部の各デスクを歴任し2013年4月から現職。
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※本連載は月5回配信の予定。原則的に毎週木曜日に掲載しますが、毎月第5回目はランダムに配信します。