[YF]世界を翔ける_フランス

ユーモアとタブー、自己表現はどこまで許されるのか

フランス:シャルリーエブド事件が問う「ジレンマ」

2015/2/6
「週刊紙『シャルリーエブド』襲撃事件はフランスの『根幹』に関わる問題を浮き彫りにした」。事件前から同紙を取材していたパリ在住の記者はそう指摘する。「根幹」とは何か。フランス人のユーモアセンス、タブーと自己規制に反発する「表現の自由」、そしてイスラム教徒との共存――。フランスが直面する理想と現実のジレンマを考える、パリ発のレポートをお届けする。
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シャルリーエブド紙襲撃現場付近では、花を手向ける人が後を絶たない=2015年1月15日、宮川裕章撮影

シャルリーエブドは反権力?

1月7日にパリで起きたフランスの週刊紙「シャルリーエブド」襲撃事件は、容疑者がイスラム過激派を名乗り、また同紙がこれまで再三、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載していた背景から、「イスラム教徒」「表現の自由」という、この国の根幹に関わる問題を浮き彫りにしている。

12人が亡くなる悲惨な殺りくの舞台となった同紙本社前には、同紙への共感と連帯を示す「私はシャルリー」の標語とともに、無数のペンが花とともに手向けられている。

まずシャルリーエブド紙について触れなければならない。事件1週間後のパリ各地のキヨスクには、早朝から発売を待つ人の行列ができた。今でこそ世界に名を知られることになった同紙だが、通常の発行部数は3万部程度で、事件後、初めて手にしたというフランス人が大半だ。日本に比較対象になるようなメディアが見当たらないので例えるのが難しいが、それほど大上段に構えた反権力の言論機関という趣はない。

普段から紙面はイラストや漫画で大半が埋められており、確かに政治家など権力者が風刺の対象の中心になっているものの、イラストそのものを見れば、女性のヌードなど、低俗に近い印象を与えるものも多い。

事件1週間後の表紙に掲載されたムハンマドが涙を流す風刺画について、「まだやるか」と国内外のイスラム教徒を中心に抗議の声が上がったが、過去の風刺画と比べると、相当、抑制している印象を受けた。過去にはそれほどひどいものがあった。

私は2012年9月、当時は別の場所にあったシャルリーエブド紙を取材に訪れたことがある。当時も今回同様、ムハンマドの風刺画の掲載を巡って、世界中で反発が起きていた。今回の事件で難を逃れた当時のジェラル・ビアル編集主幹が取材に応じ「なぜ反感を持たれるのか理解できない。見たくない人は見なければいいだけだ」と語った。取材中、襲撃事件で殺害されたステファヌ・シャルボニエ(通称シャルブ)氏が現れ、あいさつだけ交わしたのを覚えている。

シャルリーエブド紙の言い分は「自分たちは常に時事問題を扱っており、たまたま今回、ムハンマドを取り上げただけだ。ムハンマドだけを特別に批判の対象にしていない」という趣旨だった。確かにその通りだ。だが当時掲載されたムハンマドの風刺画は、紹介するのがはばかられる内容だった。イスラム教ではそもそも預言者を描くこと自体が禁忌だ。「これはイスラム教徒が怒っても当然だろう」と率直に思った。

フランスのユーモアと移民

議論を複雑にしているのが、ユーモアのセンスの違いだ。フランス人は自分たちが奥深いユーモアを理解し、それを分からない方が悪いぐらいに思っている印象がある。これまでにも仏メディアは再三、福島第1原発事故で避難生活を余儀なくされている人の神経を逆なでするような、放射能の影響で腕が3本ある力士の風刺画などを載せている。

毎回、日本大使館が抗議するなどの騒ぎになったが、当のフランス人たちは「ユーモアの範囲内」として、あまりピンときていない様子だった。私が日本に一時帰国してフランスに戻った直後、支局で鼻血が出た時に、フランス人の助手が「フクシマの影響かもね」と言って笑った時にも不快感を持った。

文化的に個人の主張が先に立ち、周囲を思いやる感覚にやや欠ける国民であるというのが、この国で人物観察をしている私の印象だ。一方で、裏を返せば、相手の無神経さを許容する土壌もある。なのでイスラム教徒の感じる怒り、違和感は当然、理解できる。

だが、言論の自由をことのほか大切にするフランス人の感覚も同時に理解しなければならない。1789年の革命後、王の首をはねて共和国となったフランスで、自由、平等、友愛の国是は絶対的な価値を持っている。その自由の根幹となるのが表現の自由だ。そしてその自由を最も脅かすのが、タブーと自己規制だ。相手への思いやりと自己規制の線引きは難しい。

そこに移民の統合の問題が絡んでくる。フランスのイスラム系人口は推定で600万人。人口の約1割と言われている。イスラム教徒と一言で言っても多様で、パリの街を見渡せば分かるように、白人のフランス人と同じような趣味の服を着て、ヘッドホンで音楽を聴きながら大通りを闊歩(かっぽ)する人もいれば、ベールをかぶるなど伝統的な文化を大切にする人もいる。

フランス政府は戦後の成長期の労働力不足を補うために北アフリカの旧植民地から労働者を招いた。1970年代以降に彼らが祖国の家族を連れて来たいと言った時、フランス社会に同化させる政策が足りなかったと今、指摘されている。実際、パリの郊外には白人が一人もいないような移民の集住地域ができ、就職を含めたさまざまな場面で差別を受ける状態が続いている。

「イスラム教徒」は新たなタブーか?

フランス人に接していて、イスラム教徒を話題にする時、ことさら差別につながりかねない言葉や表現に気をつかっているのに気付くことがある。自由、平等の共和国の理念に反する差別が存在することに後ろめたさを感じ、また認めたくないのかもしれない。やや極端に言うなら、イスラム教徒の移民に対し、社会全体が腫れ物に触るように接しているような印象すら受ける。

そしてその、ある意味、タブー視することこそが、時には自由の理念への脅威となる。シャルリーエブドのムハンマド風刺には、ユーモアのセンスの違いや文化的なある種の無神経さに加え、フランス社会に表れた新たなタブーへの反発という背景がある。

理想はイスラム教徒の生活水準が改善し、差別がなくなり、信仰を守りつつ仏社会との深い一体感が実現することだ。だが、それまでにどれだけ時間がかかるのか、はたして実現するのかも分からない。重い課題を突きつけられ、現実と理想のジレンマにフランス社会は悩んでいる。

【記者プロフィール】宮川裕章(みやがわ・ひろあき)=パリ特派員。1997年4月入社。さいたま支局などを経て社会部で警視庁などを担当。2011年10月から現職。2012年仏大統領選などを取材した。

※本連載は月5回配信の予定。原則的に毎週木曜日に掲載しますが、毎月第5回目はランダムに配信します。