2023/2/13

化学メーカーに学べ。世界初の技術を生み出す組織の作り方

NewsPicks Brand Design editor
 新しい素材や技術を世に出すまでに、数十年単位の長い時間を要するのが、化学分野の研究だ。
 先が見えない中で研究に向き合い続け、新たな発見を生み出すため、研究者はどうモチベーションを維持するのか。そして企業側は、社員の意欲にどう応えるのか。
 その問いに答えてくれるのが、素材分野でイノベーションを起こし続けてきた日本ゼオンだ。
 1950年代に日本初の合成ゴム量産化を成し遂げ、最近でも「夢の素材」と称された単層カーボンナノチューブの量産化に、世界で初めて成功した企業だ。
 “世界初”の技術を生み出す組織は、どう育まれたのか
 日本ゼオンのCNT研究所でカーボンナノチューブの研究開発に取り組む武山慶久氏と戸田嗣章氏、人事統括部門長の深潟智博氏のインタビューから読み解く。

素材研究の時間軸は、数十年単位

──多くのビジネスパーソンにとって、化学メーカーの研究員の仕事は想像しづらく、謎のベールに包まれています。他の業界と比べて、どんな特徴があるのですか。
武山 化学領域だけに限って、とも限らないですが、研究開発の期間が非常に長いことは特徴として挙げられますね。
 化学の領域では、新しい素材を生み出し商品に応用するまでに、数十年かかるのは当たり前
 大学などの研究機関とも連携し、「ああでもないこうでもない」と失敗を繰り返しながら、息の長い研究を続けるのです。
 実際に、私たちが研究する単層カーボンナノチューブ(CNT)という素材の研究をもとに、素材の研究・開発のプロセスをご説明させてください。
 そもそもCNTは、1991年に構造が解明された、炭素だけで構成されたナノスケールの素材。
 何がすごいかというと、軽量で強度や柔軟性に優れている上に、電気や熱の伝導性が極めて高いこと。応用可能性の幅も広く、さまざまな素材の“良いとこ取り”と言える素材なのです。
 ですから、その構造が解明されたときには、“夢の素材”として大きな注目が集まりました。
 一方で、生産コストの観点から大量生産が難しく、商用利用には高い壁があった。
 そこで日本ゼオンは、産業技術総合研究所の畠賢治氏が開発した基盤技術をもとに、単層CNTを量産する技術の研究に乗り出し、開発に成功。
 世界初となる量産工場を建設し、構造解明から25年経った2015年、ついに量産工場の稼働が始まったのです。
 現在は、どんな用途に応用可能なのか、CNT研究所で研究に邁進している最中。ここからが、商用利用の成否を分ける研究フェーズですね。
──大量生産ができれば、もう研究は終盤というイメージを持っていました。全くそんなことはないのですね。
武山 そうだったら話は早いのですが(笑)。研究はまだまだ道半ばです。
 素材は、何にでも応用できる可能性を秘める一方で、素材のままでは価値を発揮できません。だからこそ、「どう使うと有用なのか」という価値付けを、我々化学メーカーが世の中に向けて提案していく必要があります。
 素材起点で、「日本ゼオンの単層CNTの特徴を鑑みれば、この用途が最適かもしれない」と研究が始まることもあれば、市場起点で、「CNTで電池の性能を大幅に上げられれば、大きな需要が見込めるはずだ」と考え始めることも。
 プロダクトアウト/マーケットインの両面から柔軟に発想を広げ、研究の領域やテーマを絞り込み、実用化の道を探っていくのです。

研究の要は「意志の力」

──時間軸が長く、ある種の“辛抱強さ”が求められる化学領域で研究を続け、新しい発見を生み出すために、最も重要な要素は何だと思いますか。
武山 研究の成功には、もちろん最新の設備や潤沢な資金などの資本も欠かせません。ですが最後の鍵を握るのは、「研究員の意志」ではないかと思うんです。
 わからないものを解明し、この世にないものを生み出す過程には、しんどい局面もたくさんあります。私も研究畑に長年身を置くなかで、何度も壁にぶつかりました。
 その壁を越える原動力になるのは、「自分がこの素材/技術を世に出したい」という気持ちなんですよね。つまり研究員の「意欲」や「主体性」が何より大切。
 その考えのもと、私がチームリーダーを務めるCNT研究所でも、部下の「やってみたい」という要望には、可能な限り応えるようにしています。
戸田 私は2021年に、工場勤務からCNT研究所に異動になりました。単層CNTをメモリ分野でどう応用できるか、日々研究に励んでいます。
 そんななかで感じるのは、研究員に求められる幅広い知識や情報です。メモリと一口に言ってもその種類は多岐にわたりますし、最新情報は日進月歩で変わっていきます。
 だからこそ、関連する分野の論文を読んだり、専門家の講演や学会発表を聴きに行ったりと、自分自身を常にアップデートしなければいけない。
 そういう意味でも、自由に主体的に動ける環境は、最前線で研究を進める上でも欠かせないと実感しています。
──人事の立場からは、その社員の主体性にどう応えようとしているのでしょうか。
深潟 そもそも当社は2030年のビジョンを、「社会の期待と社員の意欲に応える会社」と定めています。
「社会の期待に応える」とは、持続可能な社会に貢献し、社会にとってなくてはならない製品やサービスを提供すること。
 そして「社員の意欲に応える」とは、主体的に自由に働けて、やりがいを感じられる組織風土を作ること。
 そのビジョンを根付かせるためにも、日本ゼオンには「まずやってみよう」「つながろう」「磨き上げよう」という3つの行動指針があります。
 自分がやりたい研究があれば、挑戦してみる。さまざまな人や分野とつながって、発想や経験を広げる。新しいことを学んで、自分を高めていく。
 こうした社員の行動を、会社が後押しする文化を醸成しているのです。

経営陣と現場が意見を交わす

──日本ゼオンの「社員の意欲に応える」という姿勢は、具体的にはどのような制度や仕組みに表れているのでしょうか。
深潟 毎月おこなっている「研究ヒアリング」は、面白い取り組みかもしれません。
 これは、現場の研究員が、研究の進捗や課題を経営層と話し合う場のこと。半日から1日かけて、じっくりその研究について議論するんです。
戸田 一般的にこういった場は、部長クラスが経営者と議論して、終わりだと思います。ですが日本ゼオンの場合は、現場の担当者が、社長や役員たちと直接対話できるんです。
 もちろん、現場の課題を一番よく知る担当者が話した方が、認識の齟齬が減るという利点もあるでしょう。
 しかし、私のような若手社員からすれば、研究者としての先輩でもある経営層と対等に議論でき、さらに意思決定の場に当事者として参加できるのは、純粋に嬉しい。研究のモチベーションにもつながっていると感じます。
武山 制度や仕組みとは違いますが、自由に研究できる風土を実感した経験があります。
 CNTの基礎研究をしていた8年前のこと。とあるきっかけから、CNTが持つ高い補強性と、常態で水素吸着しにくい特性から、水素をシール用途に活用できるのではないかとアイデアを思いついたんです。
 ただ、まだその確信は持てない状態で。思い切って上司に提案してみたところ、「ぜひやってみよう」と言ってもらえたんです。
 ですが、そのために必要な研究がまだ十分にできていなかった。そこで社会人ドクターとして、大学院で水素に関する基礎研究をやりました。
 大学院から戻り、その研究成果が今まさに出始めており、製品への応用の道筋も見えてきたところです。
 また、組織の垣根が低く、部門を超えて協力できる文化も、醸成されていると感じます。
 その例として挙げられるのが、研究開発を進める上で壁にぶつかったときに、社内の別の分野から有識者を集めて「コンカレント会議」を開く文化。
 自分の領域に閉じこもっていると、どうしても発想の視野は狭まってしまうもの。そんなときに社内の異なる視点をもらうことで、ブレークスルーを見出せることもあるのです。
──一方で人事評価の観点では、“成果はまだ出ていないが、長期的に価値がある研究”に取り組んでいる社員をどう評価すべきかは、難しい問題ではないでしょうか。
深潟 その難しさはおっしゃる通りで、私たちもまだ試行錯誤している段階です。
 今まさに取り組んでいることとしては、複線型の人事制度を整備すること。わかりやすく言えば、多様なキャリアの道筋を用意するということです。
 短期的な売上につながらないけれど、価値ある研究に邁進している社員もいれば、マネジメントは苦手だけれど、独自の専門性を持つ社員もいる。
 そういった社員を、これまで以上にきちんと評価できる制度を整えていくつもりです。
 また、当社の中期経営計画の全社戦略としても、「『舞台』を全員で創る」というフレーズを盛り込みました。
 一人ひとりの社員がそれぞれの強みを発揮できる場を、全員で創っていく。そのために、ダイバーシティ&インクルージョン&ビロンギング(DI&B)の考え方も、より一層強化しています。
日本ゼオンの中期経営計画より

失敗は存在しない

──世の中には数多くの化学メーカーがありますよね。お二人が日本ゼオンで働き続ける理由はなんでしょうか。
武山 単層CNTという新しい素材において、量産化から製品への応用まで、一連のプロセスに携わる機会をもらえたことは大きいです。
 化学メーカーの研究職でも、すでにある素材の応用研究や製品開発に従事するケースが多く、素材開発の初期フェーズから関われる人は一握り
 単層CNTの量産化技術への投資は、日本ゼオンにとっても大きなチャレンジでしたが、その決断があったからこそ、私たちもやりがいのある研究生活を送れています。
戸田 私はいい意味で「大きすぎず、小さすぎない会社」であることが日本ゼオンの魅力だと感じています。
 経営と現場の距離が近いという話があったように、事業に関する意思決定の場に若手社員や現場の研究員が立ち会うことも多い。
 自分の研究や業務が、自社の事業においてどのような意義や役割を持つのかを理解できるので、意欲的に研究に取り組めていると感じます。
──日本ゼオンで働き続けることで、お二人はどんな未来を作りたいと考えていますか。
武山 CNTが社会から最も期待されていることの一つに、電池材料への応用があります。
 実現すれば、電池容量の減少を抑制できますから、たとえば電気自動車の走行距離を今より格段に伸ばすことができるはず。
 そういった一つひとつの研究の成功が、EV化社会の推進やカーボンニュートラルの実現につながっていくのです。
 皆さんの目に直接触れることはなくても、実は未来を変える最先端技術としてさまざまな用途や製品に使われている。日本ゼオンの素材を、そんな存在にしていきたいと考えています。
戸田 私が取り組んでいる単層CNTのメモリへの応用も、実現すれば消費電力が抑制され、スマートフォンを数日から1週間は充電せずに使えるくらいのインパクトを出せる可能性を秘めています。
 炭素材料の研究は定期的にノーベル化学賞の候補に挙がるのですが、受賞するには実用化によって社会にどれだけ影響を与えたかが重視されます。
 日本ゼオンのCNT研究によって実用化が加速すれば、学問の世界にも貢献できるのではないか。そんな夢も描いています。
武山 そもそも私は、「研究に失敗はない」と思っていて。
 ある方向性を試して結果が出なかったとしても、それは失敗ではなく、「このアプローチでは目標を達成できないことが確認できた」という成果になるからです。
 研究とはわからないことを解明する取り組みなので、このやり方ではダメだとわかったら、それは一歩前進したことを意味します。
 失敗の過程も前向きに楽しめるような、そんな意欲的な方と一緒に働ければ、非常に嬉しいですね。