2023/2/17

茂木健一郎と考える、日本の製造業の“創造性”を解放する術

NewsPicks, Inc. Brand Design Editor
日本の製造業は変われるか──。
これまで日本経済の成長の中心にいた製造業だが、人手不足やサプライチェーンの分断、半導体不足、ソフトウェアやAI技術の急速な進化などから大きな転換点を迎えている。
一方で、日本経済を支える基幹産業であることには変わりはなく、製造業が再び高い競争力を取り戻せば、日本経済全体をけん引する強力なエンジンになり得るはずだと期待する声も少なくない。
日本のモノづくり産業の未来は、そして復活のカギはどこにあるのか。脳と創造性の関係性を研究する脳科学者の茂木健一郎氏は、そのヒントが「集合知」と「社会的感受性」にあると語る。茂木氏と、日本のモノづくり産業の可能性を探求する日立製作所 執行役副社長 青木優和氏の対談から、日本の製造業の未来を読み解くヒントをお届けする。

人はハードの充実を求め続ける

──今回は日立製作所の青木副社長の強い希望もあり、茂木さんとの対談が実現しました。
青木 以前、茂木健一郎さんがとあるイベントで「あらゆる情報もソフトウェアも、モノによって支えられている」とお話しされていたのがとても印象に残っています。茂木さんは製造業という産業について、どのようなお考えをお持ちなのでしょうか。
1954年、神戸市生まれ。1977年に大阪大学基礎工学部機械工学科を卒業し、日立製作所習志野工場入社。日立産機システム事業本部空圧システム事業部長などを経て、2012年に日立産機システム取締役社長。その後、日立製作所執行役常務、執行役専務を経て、2017年に執行役副社長に就任。2022年4月からは、昇降機、家電、計測・分析装置、医療機器、産業機器などのプロダクトと産業・流通および水・環境ソリューションを扱う巨大セクターであるコネクティブインダストリーズセクターを管掌。
茂木 そうですね。僕はそもそも昨今のソフトウェアビジネスだけが注目される風潮に対して、少し違和感を持っているんです。
 今はモノの経済から情報の経済への過渡期といわれ、それは一面では事実だと思います。しかし、情報ネットワークの基盤となっているのは部品の塊であるコンピューターであり、世の中がどう変化していこうと社会を支えているのは“モノ”です。人間が物理的な存在である限り、製造業の価値が失われることはないと私は考えています。
1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。その後、理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、現在はソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学、大阪大学、日本女子大学等でも非常勤講師を務める。専門は脳科学および認知科学。2005年、『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。2006〜2010年にはNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』でキャスターを務めた。近著に『結果を出せる人の脳の習慣』(廣済堂新書出版)がある。
青木 デジタルの時代だからこそ、モノづくりの重要性が増していることは、私もさまざまな場面で痛感しています。
 あらゆる領域でどんなにデジタル化が進んでも“モノ自体”がなくなることは決してない。ソフトウェアやAIの進化が加速するほど、逆にリアル世界やハードウェアの価値が高まっているように思います。
茂木 実際、AIの進化はハードウェアの進歩と相関しているところもありますよね。
 たとえば、棋士の藤井聡太さんは自作したPCでAI将棋ソフトを相手に指し手の練習をしているそうです。メーカーから提供されたCPU(※)は100万円もする高額製品だと話題にもなりました。
※「パソコンの頭脳」の役割を果たし、データ処理や他の部品の動きを管理するなど、パソコンの処理速度を大きく左右するデバイス。
 一般的に、PCの価格は載せているCPUの10倍はするので、彼が使用しているのは1000万円もする高性能PCということになります。要するに、彼ほどのハイレベルな棋士の相手ができるAIは、高性能のハードウェアがないと実現できないことなんです。
青木 まさにそうですね。AIやソフトウェアの競争力を高めることはもちろん大切です。ただメタバースなどバーチャル世界がどんなに充実しても、人はリアルの世界から抜け出すことはできない。根源的には、ハードウェアの充実を求め続けるでしょう。
 その前提がある限り、モノづくりを生業とする製造業があらゆる産業、社会の土台になり続けるはず。つまり、製造業はさまざまな新しいテクノロジーやサービス創出につながる創造性を秘めており、私はモノづくりこそ日本の未来をつくる産業だと考えています。

モノづくり産業に存在する無数の「部分最適」

茂木 私は最近取材で全国の町工場をたくさん訪ね歩いているのですが、そこでいつも感じるのは、一つ一つの企業が素晴らしい技術を持っていること。一方で、そのすぐれた技術は匠の技としてバラバラに存在しているというか、一つ一つの技術がつながっていない気がするんです。
青木 おっしゃる通りだと思います。一つ一つの現場は徹底した効率化を実現しているのですが、それがライン単位、業務単位、組織単位の個別最適にとどまっているケースがよく見られます。徹底的に効率化された塊が分断して存在しているような状態で、塊の間には無駄と非効率があふれている。
茂木 具体的にはどのようなイメージでしょうか。
青木 たとえばビルを建てたら、空調もエレベーターも受変電設備も全部まとめて制御するのが最も効率的であり、省エネです。
 しかし現実にはそれぞれの設備が縦割りで発注され、バラバラに動いている。一つ一つが部分最適を実現していても、これでは本来の価値を発揮しきれないんです。
 それぞれの業界で、大小問わず数多くのイノベーションが進んでいます。しかし、企業努力の末に1秒単位で効率化する部分最適が進んでも、顧客や社会が受ける恩恵はその企業努力ほどには大きくない。顧客にとっては、その成果を全体最適につなげてこそ価値があるはずです。
茂木 確かに、現代社会の課題はどんどん複雑化しているので、単一の産業だけで解決するのは難しいかもしれませんね。
青木 こうした部分最適の問題はひとつの企業の中だけでなく、企業間や分野間でも存在します。要するに、現場と経営の間の「タテ」、サプライチェーン間の「ヨコ」、異業種間が集まる「場」といったあらゆるところで顕在化している。
 当社では、それぞれの塊の間で生じる問題や摩擦を「際(きわ)」の課題と呼び、これがイノベーションや全体最適を阻害していると考えています。
(提供:日立製作所)
  さまざまな領域の隙間に存在する「際」の問題を解決するには、デジタルの力が必要です。当社はそれらの問題を、デジタルの力でつないで解決するチャレンジを進めているところで、これを「トータルシームレスソリューション」と呼んでいます。
茂木 なるほど。なにしろ御社は数多くのビジネスを手がけているコングロマリットですから、まさにそこが強みとして生きてくるわけですね。
青木 おっしゃる通りで、自動化ひとつとっても、ロボットを作る技術を持っていればいいわけではない。上流から下流まで、さらに製造業の幅広い領域を理解し、自動化ラインを実装していなければ部分最適で終わってしまいます。
 そういう意味では、製造業においては、製造現場を支えるプロダクトから現場を制御・運用するOTソリューション、経営を支援するITソリューションまで全て保有し、さらには流通分野までを知り尽くした当社が、「際」の問題を解決する力が世界でもトップクラスだと自負しています。実際に「それ全部日立がやりますよ」と提案できる機会は非常に増えており、非常に大きなニーズがあると感じています。

製造業復興のカギは「集合知」と「社会的感受性」

青木 ぜひ脳科学的な観点からもアドバイスをいただきたいのですが、日本の製造業が新しい価値を発揮していくために何かヒントはありますでしょうか。
茂木 僕は今、「集団的知能(コレクティブ・インテリジェンス)」の研究に力を入れています。集団的知能とは、複数の人が共創することで、その集団に知能や精神が存在するかに見える形態のことです。
 日本人は本来、こうした共創によって成果をあげていくことが得意で、そこになんらかのチャンスがあるのではと考えたからです。
 この集合知に関しては、MIT(マサチューセッツ工科大学)のトーマス・W・マローン教授が非常に興味深い研究結果を公表しています。グループの能力を発揮する条件を調べたところ、メンバーの平均IQとは相関がみられなかったというのです。
 だったら、リーダーのIQが高ければいいのかというと、そこにも相関はありませんでした。最も相関が高かったのは何かというと、「ソーシャル・センシティビティ」の指標だったんです。
青木 ソーシャル・センシティビティとは何でしょうか。
茂木 日本語では“社会的感受性”と訳されます。組織を構成するメンバーが互いの感情をどれだけ推しはかりくみ取っているか、ということです。
 さらに、このソーシャル・センシティビティのほかにもうひとつ、集団的知能に深く関連するのが、ターンテーキングだということもわかっています。
 これは“話者交代”と訳され、話し手と聞き手が交互に話者になることを意味します。これができている組織は会議で特定の人ばかりが話すことはあまりない。あらゆるメンバーが次々と意見を出したり質問をしたりするなど、全員参加型の活発なコミュニケーションがなされています。
 要するに、組織の能力を高めてパフォーマンスを向上させるには、エリートの集団である必要はないし、カリスマがいればいいというわけでもない。必要なのは、ソーシャル・センシティビティを通じて、互いに能力を補い合うことなんです。
青木 なるほど。私は茂木さんが日本に広めたキーワードである“アハ体験”(ふとした瞬間にぱっとひらめいて、これまでの謎や物事が理解できたり、片付く感覚)を何度か経験しているのですが、それは堅苦しい会議の場よりも、気心の知れた職場の仲間たちとの雑談の中で起こっている気がします。
 その場にいる人たちが、異なるモノの見方を共有することで新たな気づきが生まれる。知的好奇心やワクワク感が呼び起されて、新しいアイデアにつながることが実感できるんです。
茂木 雑談は社内コミュニケーションとしてはあまり重視されないかもしれませんが、実際は互いを理解し合うことにもつながりますし、話者交代も起こりやすい。組織のソーシャル・センシティビティを高めていくにはとても重要ですね。

モノづくり産業はこれからが面白い

青木 とても勉強になります。私は22年4月のセクター再編を機に、エレベーターから家電、半導体製造装置、医療機器、産業機器など多岐にわたるプロダクトとデジタル技術を活用したソリューションの双方を提供する巨大セクターである「コネクティブインダストリーズ」を率いています。
(提供:日立製作所)
 これはまさに、集団的知性がコネクティブに創発されることを期待したネーミングでもあります。今回集結したそれぞれの事業体のベストプラクティスを互いに知ることで、新たな気づきや学びが生み出される。そして、たくさんの「アハ体験」を呼び起こし、創造性が発揮されていくことを期待しています。
茂木 経済や市場のボリュームを見ても、製造業のプレゼンスは決して衰えてはおらず、日立をはじめとするモノづくりの企業が社会で果たすべき役割はますます増大していくはずです。
 それなのに、若い人や学生と話していると、産業に対する「認知バイアス」が生じていると感じます。これから成長するのはインターネットやAI、メタバースなどの領域で、製造業は凋落するというバイアスです。
 市場規模は巨大かつ日本の強みである領域であるにもかかわらず、その単純な認識はもったいないと感じます。若い人や社会の認識を、日立さんが変えてくれることを期待しています。
青木 私たちも製造業の魅力をもっと伝えていかなければなりませんね。
 私は未来には、物理世界とサイバー世界を連携させたサイバーフィジカルシステムが進化し、フィジカル活動とデジタル経済がシームレスに連動する社会が来ると予想しています。
(提供:日立製作所)
 たとえ最新のテクノロジーと大量のデータを駆使してサイバー空間を創り上げても、本当に意味のあるデジタルツインを創造して現実社会にフィードバックするには、製造業が持つリアルな現場での経験やナレッジが不可欠です。リアルな現場に立脚した「モノづくり」が、デジタル活用と異業種間の融合によりさらに高度化され、社会課題の解決につながるはずです。
 私自身もこれまで多様な経験をさせてもらいましたが、これからのモノづくり産業は、社会課題、技術課題も含め、チャレンジする幅が広いので、ますます刺激的な環境となるはず。
 日立製作所も多様な領域や技術、仲間と切磋琢磨しながら挑戦できる環境を用意しています。チャンスは無限に広がっていますし、「アハ体験」を積み重ねられる余地もたくさんある。ぜひ日本のモノづくり産業を再び強くする挑戦をともにできるとうれしく思います。