【東大×ソニー】メタバース時代の授業と職場を「のぞき見」
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ソニー安部CHROの「テクノロジーは手段であり、目的では無い」という言葉に強い共感を覚えます。バリバリ理系の私は、技術そのものが好きで、メーカーに就職しましたが、ビジネスの現場を知るにつけ、技術だけではだめだということを理解するようになりました。
そんな問題意識もあり、MOT(技術経営)の社会人大学院で2年間学んだ事があります。文理融合(今では死語かもしれませんが)を理念に掲げており、それまで体系的に学んだことのない文系の学問を苦心しつつも学びました。学生は私のようなメーカー勤務の人も、こてこて文系の銀行マンや商社マンもいて、学生同士がお互いをリスペクトし、教えあう環境が出来ていました。
大学院でのリスキリングは、多くの気づきと素晴らしい友人を与えてくれましたが、お金も、時間も、体力も必要であり、もう一度やるかというとなかなか厳しいというのが現実です。これに対し、テクノロジーがこのハードルを下げ、いつでも、どこでも、公平に学ぶことができる空間がメタバース上で提供されるとすれば、素晴らしいことだと思います。
自分の固定観念や姿を捨て、学生の時のようなフレッシュな気持ちで、メタバース上のキャンパスライフを楽しむ。リスキリングには最高の環境かもしれませんね。染谷先生は以前ハプティクス系デバイスを研究されていた記憶がありますが、メタバースということでご登場されてます。
仮想空間の日本のビジネス界隈の議論であまり見かけないと思うのは、ブレインアップローディングの話。仮想で実在であろうと何らかの環境に没入する主体の意識や意味論について、世界観が変わってしまったり変えることの効用のようなものを訴求しているプレイヤーは寡聞にして知りません。
所詮人間が認知できるレベルのスケールで多世界にしたところで、亜流のSFに留まるだけなのかもしれませんが、ニール・スティーブンソンが「クイックシルバー(未邦訳)」で描いているというライプニッツ的世界観など本来見たことの無い景色を提供できるのがメタバースなのではないかと思います。
この辺は文学者の方の意見も聞いてみたいところですが、SFに留まらない世界観と主体の話をもう少し取り上げられないものなのか。身体論に行くとまた面倒かもしれませんが、サイエンティフィックな身体論であればメタバースとも相性が良さそうなので研究者の方の意見も聞いてみたい。DX化というのは、文系だろうが何だろうが、デジタルスキルを身につけてもらう、ということでもあります。
ただし、そのためにデジタルスキルをコモディティ化する、できる限り簡単に使いやすいものにする、という作業も必要になります。
Windows95のあたりから、そういうコモディティ化はどんどん進んできたのであり、音声認識も画像認識も、自動翻訳も、データ分析も、AIも、どんどん誰にでも使いやすいように改良されてきました。
そのうえで、文系とか理系とか関係なく、農業だろうが漁業だろうが、デザインだろうが流通、会計、商品開発、観光、あらゆる産業でデジタル・トランスフォーメーションが求められる社会になります。文系だからデジタルのことはわからない、では、済まなくなります。
メタバースもまた、そういったあらゆる産業でのデジタルスキルのコモディティ化を加速するための手段となるでしょう。
その際、地域の大学などよりも東大がまとめて引き受けることができたほうがまだましなので、メタバースがその手段になるなら、企業や自治体を顧客にして、どんどん進めてくれるのがいいでしょう。