2022/12/10

【奈良】“温故知新”で赤字脱却。その3つのステップ 

エディター/ライター
祖父母が創業した奈良の老舗下着メーカー・タカギを継いだ4代目・髙木麻衣社長。入社当初は赤字で会社が苦しい状況でした。「歴史ある家業を守りたい」。その一心で、髙木さんは社内改革に着手。大切にしたのは“老舗企業”ならではのタカギが積み重ねてきた歴史でした。

“温故知新”を経営のテーマに黒字化を果たし、女性が働きやすい環境づくり、性教育を通し地域社会とコミュニケーションを取るCSR活動といった、新しい“タカギ”を担う髙木さんのストーリーです。(全3回)
INDEX
  • 入社後の課題は利益率の改善
  • 「組織の透明化」で経営陣と社員の溝を埋める
  • 経営の中心メンバーを30代に
髙木麻衣 タカギ代表取締役社長
AROMATIQUEブランドプロデューサー・ayameブランドプロデューサー
2014年にタカギに入社。フレックス、テレワーク制度の導入や、女性社員の昇進を推進し、社内の規定や社風を大きく改革。18年よりCSR活動として子ども向け月経教育支援を開始。女性支援や社会貢献活動に力を入れ、2021年アンダーウェアブランド「ayame」を立ち上げる。プライベートでは3姉妹の母。

入社後の課題は利益率の改善

1930年に創業した奈良県の下着メーカー・タカギ。4代目社長・髙木麻衣さんの祖父母が立ち上げたサニタリーショーツのパイオニアとして知られる歴史ある企業です。
オリジナルブランド「AROMATIQUE」のイメージカット=提供写真
生理がタブー視され語られることがはばかられた時代に、髙木さんの祖母であるアヤメさんは、女性にとっての必需品である生理帯の必要性を唱え、その快適さを追求しました。
時代が進み、1960年代に入ると“アンネナプキン”という紙ナプキンが登場。生理期間をさらに快適に過ごせるように女性目線ではき心地の良いサニタリーショーツを開発し、事業の中核に据えました。
その後も、生地開発やパターン・デザインの開発を強みに、大手メーカーや量販店の製品をOEM・ODMを中心に生産してきました。2000年代以降はOEM・ODMに加え、「bodyhints」を皮切りに自社ブランドの立ち上げに着手。生地開発から縫製、販売までを一貫して行うメーカーへと成長を遂げています。
オリジナルブランド「bodyhints」のイメージカット=提供写真
3代目である先代社長・髙木寛さんの娘で、3姉妹の長女である髙木さんは2014年に入社。以降オリジナルブランド「アロマティック」の立ち上げや働き方改革、社員の若返り、CSR活動などに注力し、今ではメディアからの取材も絶えません。
しかし、入社当時を振り返ると、事業の継承は険しい道のりだったといいます。
髙木麻衣・タカギ代表取締役社長
髙木さん:入社したのは創業から84年のときです。それまでも山あり谷ありでしたが、老舗企業で祖父母が切り盛りする「繁盛しているタカギ」の印象が、取引先や長年働く従業員の中にはありました。
先代である父がトップに立っていた時代は、高度経済成長が終わり、バブルが弾け、会社はかなりしんどい状況でした。私が入社した時も、その渦中にありました。
父の「自分の代で潰したくない」という思いもひしひしと感じましたし、せっかく歴史があるのだから私も一緒にタカギという会社=「家」を守っていかなければという思いが生まれ、入社しました。
いかにして赤字から立て直すか。それが1つ目の課題だったと髙木さんは話します。OEM・ODMが事業の中心を占めていることもあり、利益の薄い取り引きの見直しに着手し、大幅な利益率の改善に踏み切ります。
髙木さん:老舗企業ゆえに今までやってきたことを断ることがなかなかできず、利益が出ない仕事も受け続けていました。まずは採算の取れない事業や仕事を見直すことからスタートして、利益率が改善した後は、それを継続するためにどのような努力をすべきかを検討しました。

「組織の透明化」で経営陣と社員の溝を埋める

利益率を見直した後は、その状態を継続するための体制づくりに目が行きます。会社の正常化には、古いままだった賃金制度や人事制度を見直して規定を作っていくことを含め、組織の根本をテコ入れする必要がありました。
1980年代の社内の様子。オリジナルの生地開発や新しい編み立て方式の開発にも注力し、はき心地を追求してきた=提供写真
会社が継続的に利益を出すためには“人”に働いてもらうことが欠かせません。その中で髙木さんが一番意識していたのは“組織の透明化”です。
そこで年に1度、奈良にある本社と大阪・東京にある営業所、全ての社員を集めて研修をスタートしました。売り上げ目標や業績といった、会社が置かれている状況を全て従業員に伝えることにしたのです。
髙木さん:会社の業績があまり良くなかったこともあり、良い時代も見てきた長く働いてくれている方と経営陣との間の対立感も否めませんでした。この溝を埋めていくために、透明化することできちんと理解して働いてもらいたいと考えました。
会社の今の状況を理解してもらわなければ、なぜ改革が必要なのかが伝わりません。役員・経営者と会社を動かしていく社員に乖離があってはいけないのです。
祖父母の時代を知っていて、今も知っているような社員がいる中に、タカギの基準が分からない新参者の私が入っていく。そうであればと、いったん全て無視して、自分がやるべきことをまず念頭におきました。
その後に、私のやりたいこととタカギの背景にどう接点を作れるかを考えました。自分の経営のテーマは“温故知新”です。トップダウンの一面もありますが、退社された方を含めていろんな方からタカギの歴史や、その人から見てどんな会社なのか、祖父母はどんな人だったのかを聞きながら対話をしました。
評価制度は半期に1度、独自のフォーマットを用いて、給与や賞与に反映されるように規定を作り直します。社員の声を拾いながら3〜5年の時間をかけて組織づくりを行いました。
新たな取り組みの数々に社員たちは戸惑いながらも、今までは起こらなかった変化に直面して会社の未来を感じ始めたのです。
「タカギ」社内の様子=提供写真

経営の中心メンバーを30代に

髙木さんが入社してから1年後に、夫の鎮廣(のぶひろ)さん(現副社長)が入社します。さらに財務面では、かねて外部コンサルティングを担っていた会社から、草間美帆さんに入社してもらうことになりました。“ものづくり”の会社タカギに不足していた、営業面と財務面の強化を行います。
髙木さん:タカギはものを作ることに関しては非常に長けていました。父もどちらかといえば生地や糸についてのプロフェッショナルで、営業や販売はやや苦手です。
私は前職でPRを含め外部への発信やブランディングを手がけていたので、ものづくりと、発信の2つがそろいました。あと欠けているものは?
夫は全く違う業界でしたが営業マンだったので、入社してもらうことで営業面を強化します。こうして柱をそろえていきました。30代の3人で、似たような視点で改革を組み立てていけたことも、大きかったです。
一方で、創業80年をむかえた企業の経営の中心メンバーが30代と若返ることに対して、長年働く社員たちにどのように思われているのか、髙木さんの心には不安もあったそうです。
髙木さん:この間ふと、営業をしてくれているある社員に当時のことを聞いてみたんです。そうしたら年齢が若いことは誰も気にしていなかったと。「会社の歴史を守ろうとしていることは、みなさん分かってくれていましたし、品質をキープできているので心配していなかった」と言われてホッとしました。
利益率の大幅な見直しによって黒字化を果たし、社内改革に着手して業績をキープ。次第に経営陣と従業員の溝は埋まっていきます。基盤が整ってきた時に、次に見据えたのは10年後のタカギです。
奈良県にあるタカギの本社=提供写真
Vol.2に続く