2022/11/15

【注目】悠久の時を感じられる最先端オフィスが、東京・九段下に誕生

NewsPicks Brand Design Editor
 数々の歴史を生んだ建造物が、最先端オフィスとして生まれ変わる――。
 2022年10月、登録有形文化財「旧九段会館」が、東急不動産と鹿島建設によって一部を保存・復原するかたちでリニューアルされ、「九段会館テラス」として開業した。
 旧九段会館を保存・復原した部分と、地上17階建ての新設部分が融合したこの施設には、オフィスフロアを中心に、カフェ、食堂、クリニックなどさまざまなテナントが入居している。
 海外と比較して、日本では事例のあまり多くない歴史的建造物の保存・復原だが、九段会館テラスの完成度は、都市計画の専門家をして「日本における再生建築の範となる」と言わしめる。
 旧九段会館が持つ悠久の歴史は、「九段会館テラス」にどう融合されていったのか。
 そして、今後はどんなビルとして新たな歴史を紡いでいくのだろうか。
INDEX
  • 国内随一の「レトロモダン」建造物へ
  • 細部への徹底的なこだわりが「本物」をつくる
  • 「従業員の心に“灯”をともす」オフィスへ
  • 歴史と豊かな自然に抱かれ働く
  • 入居企業と共に、新しい歴史をつくる

国内随一の「レトロモダン」建造物へ

 九段会館テラスの“足元”には、幾重にも重なる歴史の地層がある。
 旧九段会館は、1934年に軍人会館として建造され、1936年には陸軍将校らによる「二・二六事件」の舞台となった。
 戦後、GHQによる接収を経て、1953年に日本遺族会に無償貸与。
 その際、名称が「九段会館」に改められ、以降は宿泊施設、結婚式場、貸しホールとして多くの利用者に親しまれてきた。
旧九段会館の趣を残す1階正面玄関
 しかし、その歩みは2011年に突如として中断することになる。
 東日本大震災による、ホールの天井の崩落をきっかけに「九段会館」は廃業。
 その後、国によって歴史価値を生かしながら利用する方針が定められ、東急不動産と鹿島建設がその役割を担うことになった。
 6年の時を経て、一時停止を余儀なくされた歴史の時計が再び動き出したのだ。
 長い歴史を受け継ぎ開業した九段会館テラスのコンセプトは、「水辺に咲くレトロモダン」
 歴史的価値のある建造物を保存するだけではなく、新築部分の至るところにレトロなデザインを採用。
 また、国内のオフィスビルとしては初めて「スマートガラス」を採用するなど、さまざまな最新テクノロジーを導入した。
 かくして、「新旧」が渾然一体となり、歴史を生かしつつも、他に類を見ない新しさを感じさせる設計となったのだ。
1階正面玄関
写真奥に見えるのが、アメリカのスタートアップView(ビュー)社製のスマートガラス「VIEW SMART GLASS」
「ウェルネス」もこのビルを語る上では欠かせないキーワードだ。
 コロナ禍の影響もあって、健康への希求がさらに高まると同時に、働き方も大きく変わった。
 リモートワークが全国的に普及するなかで、オフィススペースを提供する事業者もまた、オフィスの存在意義を問い直さざるをえなくなった。
 2017年に本プロジェクトをスタートさせた東急不動産も、そのうちの一社だ。
 広大なオフィスフロアを備える九段会館テラスは、着工から竣工までのプロセスの間で、その意義を問い続けたという。
 プロジェクトを主導した東急不動産の伊藤悠太氏は、ウェルネスという言葉に込めた意味をこう語る。
「世間で『オフィス不要論』までもが叫ばれるなか、入居する企業の方が、あえて『行きたい』と思える場所にしなければならないと考えました。
 そこで、時流を考慮し、みなさんの健康に寄与する場所にできれば、多くの人に足を運んでもらえるのではないかと思ったのです。
 だからこそ、九段会館テラスでは、クリニックモールを併設。
 ビルの保存棟屋上部にある庭園では、青々とした『緑』を感じながら、リフレッシュいただけるような設計にしています」(伊藤氏)
地下1階にあるクリニックモール。内科・皮膚科・歯科・耳鼻科、薬局等が揃う
5階、保存棟屋上部には入居テナント専用の「ウェルネスガーデン」と「ルーフトトップラウンジ」、そして来館者が利用できる「ルーフトップガーデン」を整備。写真は、ウェルネスガーデン

細部への徹底的なこだわりが「本物」をつくる

 伊藤氏は、「単なる『腰巻きビル』にはしたくなかった」と思いを語る。
 腰巻きビルとは、高層ビルの腰から下の部分が別の建物をまとっているように見えるビルのこと。
 実は、歴史的な建造物の保存・再利用を目的とするプロジェクトの場合、技術的な難しさから、完成形がこの形に落ち着くことが多い。
 ゆえに、「『ここまで保存部分で、ここからが新築部分』といったように、はっきりと分離していることがほとんど」だそうだ。
保存部分が持つ歴史と意匠を、新築部分に生かし、溶け込ませる――これが、九段会館テラスのデザイン面の目標でした。
 保存部分の良さを活かすといっても、やりすぎると『作り物感』が際立ってしまう。
『本物を真似たもの』が『本物』の隣にあると、前者がやはり浮いてしまい、違和感を与えてしまうんです。
 だからこそ、統合するのを目指さないのが主流ですが、今回は『本物』を追求するために、そこにチャレンジしたいと考えました」(伊藤氏)
 結果から言えば、この目論見は成功したと言えるだろう。
 本プロジェクトのコンペティションにも携わった東京大学名誉教授の伊藤滋氏は完成した九段会館テラスを訪れた際、「保存部分と新築部分がここまで見事に融合している建築物は日本にはない」とその完成度を絶賛。
 成功の要因はさまざまだが、特筆すべきは「徹底的なディテールへのこだわり」だ。
 たとえば、バンケットホールの一つである「真珠」は、戦前の絵はがきや写真などの資料を参考に、床材をヘリンボーン張りのフローリングに変更。
 壁紙も特注のクロスに張り替え、創建時の姿を忠実に再現した。
3階バンケットホール「真珠」
 また、正面玄関の壁面は、現代の内装ではほとんど使われなくなった「洗い出し(※)」という技法によって仕上げられている。
※洗い出し・・・壁・床仕上げの一種で、種石を混ぜたセメントを塗った後、表面が硬化しないうちに水洗いをして、種石を浮き出させる工法。
「石の素材感を生かしているように見えるクロス」を貼れば一定の水準は担保できるが、1枚のクロスですべての壁をおおえるわけではないため、どうしても継ぎ目が発生してしまう。
 一般的なオフィスビルであれば、壁紙に継ぎ目があることは問題にならないだろうが、長い歴史を持つ「本物」の前では、致命的な違和感を生じさせる原因となる。
 だからこそ、職人による手作業で丁寧に石を研ぎ、仕上げる方法を選択した。
 こだわりが詰まったエントランスの壁から床に目を向けると、そこにはモザイクタイルが使用されていることがわかる。
 これらも、職人が一つひとつ手作業で仕上げた代物だ。
1階エントランスに敷き詰められたタイル
「これらのタイルは、本物の大理石を用いています。もちろん、『大理石風』のタイルを使えばかなりコストは抑えられたでしょう。
 ただ、保存部分である正面玄関などには、建造当時に作られた本物の大理石製のタイルがあります。それらと『大理石風』を見比べると、明らかに見劣りしてしまう。
 だからこそ、コストがかさもうとも、本物の大理石を使いました。
 とはいえ、無尽蔵に予算を使えるわけではありませんから、ビジネス的な観点とクオリティの追求で悩むことも少なくなかったですね」(伊藤氏)
「利益性とクオリティ」に加え、「安全性」にも並々ならぬこだわりがある。
 保存部分である旧九段会館の屋根にあった4つの「鬼神面」への対応もその一つだ。
 約28,000枚あった屋根瓦は一つひとつ状態を確認した上で、なるべくそのまま流用する方針が取られ、屋根近くに設置されていた鬼神面もその対象だった。
写真中央部分、旧九段会館の屋根近くにある4つの「鬼神面」。九段会館テラスを訪れる際は、ぜひ屋根を見上げてみてほしい
 だが、鬼神面はかなり劣化が進んでおり、落下の懸念もあった。
 そこで、鬼神面の上にネットを張り、保存する案も挙がったが、それではリスクはゼロにならない。
 結果的に、鬼神面は取り替えられることになった。新たな鬼神面は、中国製の最新鋭3Dプリンターによって制作され、かなり高い再現度を実現できたという。
 無論、九段会館テラスにあるこだわりの復原はこれらにとどまらない。
 ロビーや階段、ホワイエ、さらには扉や屋根瓦などビル内の至る箇所で、伝統的な意匠を踏襲したデザインの妙が光る。
 そのすべてに、時を超えた技法に挑み、幾度にわたる試作を繰り返した、職人たちの魂が詰まっているのだ。

「従業員の心に“灯”をともす」オフィスへ

 そんな九段会館テラスには、すでに複数の企業の入居が決まっている。
 企業や自治体にコンプライアンスやハラスメント、メンタルヘルスなどに関するホットラインサービスを提供するダイヤル・サービス株式会社もその一社だ。
 同社代表の今野由梨氏は、入居の理由をこう語る。
「1969年の創業以来、5回目の本社移転となります。
 私は経営者として、『働く場所やそこから見える景観は、大きなパワーを持つ。だからこそオフィスを、大切な社員一人ひとりが心に“美しい灯”をともし、使命を共有する場にしたい』と考えてきました。
 これまでも「社員は会社の宝なのだ」という想いを伝えたいと努めてきました。
 そして、5回目の移転を考え始めたタイミングで、東急さんから直接この九段会館テラスの話を聞き、施設をご案内いただいた際に、直感で『ここしかない』と即決したのです」(今野氏)
 移転にはもう一つ大きな理由がある。
 1969年の創業以後、日本において「ベンチャーの母」として知られ、中国・韓国をはじめとした諸外国の人ともさまざまな関わりを持つ今野氏。
 コロナ禍が終息すれば、ダイヤル・サービスのオフィスにも、海外からの来訪者が数多く訪れることが期待される。
 眼前にある日本武道館に加え、桜並木や神社など、自然や歴史、文化的に彩られた景色が広がるオフィスは、「海外からのお客様を『大きな母の心』で迎え入れる場所としてこの上ない」と感じたという。
オフィスフロアから望む景色
 今後について「創業から44年間、毎月欠かすことなく開催している時の人、活躍の人を招いた異業種交流会も続けていくつもりだ」と今野氏。
 ちなみに、この施設は個人的にも思い入れがあるという。
「私が生まれたのは、1936年。あの二・二六事件が起こった年の生まれなんです。そんな理由もあって、旧九段会館という建物にはずっと関心がありました。
 仲間に『今度、九段会館があった場所にできたオフィスに引っ越すの』と言ったら、『ぴったりじゃない』と冷やかされました(笑)。
 それから生まれ故郷の三重県桑名市も『水と桜の街』で、このオフィスから見える景色は私の原風景そのもの。さまざまな深い縁を感じています」(今野氏)

歴史と豊かな自然に抱かれ働く

 介護施設のコンサルティング事業などを展開する、株式会社旗本の代表を務める山田勝義氏も、この九段会館テラスに個人的な縁を感じて入居した一人だ。
 戊辰戦争で活躍した会津藩の白虎隊に所属していた曽祖父を持つ山田氏は、旧九段会館の近隣で生まれ育ち、現在も千代田区に在住。
 本ビルには、住まいが近いこと、また以前から東急グループと取引があったことなど、さまざまな縁に引き寄せられ辿りついたという。
 しかし、当然「縁」だけが選択の理由ではない。株式会社旗本が入居するのは、九段会館テラス内にある「ビジネスエアポート九段下」
 東急不動産のグループ会社が運営し、都心を中心に20拠点を展開する会員制シェアオフィスのコンセプトに惹かれ、入居を決めたという。
「創業間もない時期に入居し、事業が成長を遂げればビジネスエアポート内で“増床”することができる。
 まさにエアポートのように、企業が『世界へ飛躍(Take-Off)する』ことを後押しするというコンセプトが私の胸を打ちました」(山田氏)
会員制シェアオフィス「ビジネスエアポート九段下」
 また、ビルを取り巻く緑豊かな景観も、入居の決め手だった。
 九段会館テラスが開業したのは、10月。
 エントランスに設置された巨大なスマートガラス越しに見える桜が満開に咲き誇る様子は、まだ誰も目にしていない。
 インタビュー中、ふと外をみやった山田氏がもらした「今から桜の時期が楽しみでなりません」という声には、この場所で働くことへの喜びが感じられた。
取材日はあいにくの曇天だったが、春には満開の桜と日本武道館を望むことができる

入居企業と共に、新しい歴史をつくる

 続々と入居企業が決まっている九段会館テラスだが、九段下という土地に対して「ビジネス街」のイメージを持つ人は少ないだろう。
 実際、大きなオフィスビルはあまり多くないそうだが「実はビジネスに適した街だ」と山田氏。
「すぐ近くに千代田区役所や東京法務局などの官公庁が集まっているんです。
 士業に従事する方も少なくないですし、かなりビジネス向きの土地だと感じています」(山田氏)
 伊藤氏も、「この場所にオフィスビルができるのを待っていたと言う方も少なくない」と語る。
 東京メトロ東西線・半蔵門線、都営地下鉄新宿線の3路線が通り、多くの企業が集まる大手町まで2駅という交通の便の良さから、オフィスビル建設の強いニーズは以前からあった。
 そんな利便性の高い立地にありながら、自然豊かな環境が保たれていることがこの土地の大きな魅力だという。
「私たちはこれまでさまざまなオフィスビルを手掛け、そのうちのいくつかには屋上庭園を設けるなど、緑があることを強みにした施設もあります。
 先ほど申し上げたとおり、九段会館テラスにも屋上庭園や九段広場を設け、緑を確保しているのですが、眼前に広がるお堀や神社の圧倒的な木々や花々の量にはどうしても敵わない。
 そんな環境があることは、何にも代えがたい大きな価値だと思っています」(伊藤氏)
ビル周辺に広がる皇居のお堀と蓮
 ただし、ビジネス街としてのちょっとした弱点もある。それは、ランチをとる所が少ないこと。
 そんな弱点を補うために、株式会社モノサスが運営する『九段食堂 KUDAN-SHOKUDO for the public good』を誘致。
 コンセプトの「ウェルネス」に則り、オーガニック食材をメインに使った「健康に寄与する食事」を提供しているが、魅力はそれだけではない。
 同社は徳島県神山町で農業に取り組み、フードロス問題や食育に関するプロジェクトも展開。
 そのノウハウを生かして、九段会館テラスでも入居企業を巻き込んださまざまな取り組みを実施したいと意気込んでいる。
「九段食堂 KUDAN-SHOKUDO for the public good」のランチメニュー例
 そんな魅力もあって、九段会館テラスにはさまざまな企業が集い始めている。
 話を伺ったダイヤル・サービスのような歴史ある企業から、グローバルにユーザーを抱える勢いある企業。
 そして、シェアオフィスのビジネスエアポートには気鋭のスタートアップから士業関係者まで、さまざまな事業者の入居が決定しているという。
 取材も終盤。伊藤氏に目標を問うと、こんな答えが返ってきた。
『歴史を大事にしながら、新しい価値を生み出す』という施設のコンセプトに賛同していただける企業に入居していただけたら嬉しいなと思っています。
 実は、九段会館テラスは70年間の定期借地契約で、その後は土地を国に返還することになっているのですが、そのときに『やっぱりこの建物は残しておくべきなのではないか』と言われるような場所にしていきたい。
 入居企業の皆様と、互いに価値を高め合うような関係が築いていけたらいいですね」(伊藤氏)
 軍人会館から九段会館、そして九段会館テラスへと、歴史のバトンは確かに繋がった。ここからはまだ誰も知らない「歴史」が始まることになる。
 70年後の未来、「九段会館テラス」はどのような場所として語られるのだろうか。