人生はたった4000週間。さて、どう過ごす?
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(子育てや困っている人を助けるなど)自分が正しい場所で、正しいことをしているという感覚が、心の深い場所で得られるような瞬間に時間を使う
→この部分が刺さりました。子育てと起業の板挟みを2年くらいやってきたのですが、すべてはそのアンコントローラブルさが課題でした。子供が熱が出ればすべてのタスクが止まる。そもそも朝と夜の時間がなくなる。子供のイヤイヤ期など親の思い通りには進まない。そして仕事に100%で打ち込めないストレスがありました。
その苦しみの前提には、「私たちが時間を含むすべてをコントロールしたい」と言うことがある。天災など自然現象には祈るしかないのに、人間の営みはコントロールできると思ってしまう。そこから少し離れたところに人生の豊かさがあるのは、ある程度の攻防を経て、その通りかなと思うところです。
お金と時間に余裕があれば、そんなに焦らずもう少し楽しめるんですが…笑
注目のコメント
同じ時間でも場所や人によってその時間の使われ方が全く違います。そのことを改めて実感させられたのは、最近ビジネスパートナーとして関わるようになったブラジル、アマゾン南部のシングー川沿いに暮らす先住民の方々とやりとりをするようになってからです。先住民の方々はずっと集落に暮らしていると思われがちですが、必ずしもそうではなく平日や日中は街に働きに出て、週末だけ集落に戻るという方々も沢山いらっしゃいます。
都市や街に流れる時間と、家族や親族だけで暮らす集落での時間。そんな二つの時間軸を行き来する彼らと直接話していると、効率性や時間の使い方について深く考えさせられます。
約束の時間に必ずやって来ないラテンの時間軸に慣れた私でさえも、彼らとプロジェクトを進めていく上で当初は物事がスケジュール通りに進まず、予定が立てられないことにイライラしてしまいましたが、自然が持つ雄大な時間の流れに沿って工程が進んでいく様、その流れに反することなく受け入れることでより時間が豊かになっていくことを身をもって経験しました。(私の場合はそのお陰でもっと彼らとコミュニケーションができました。)
ずっと都会や街の中にいるとその集落の時間軸だけで生活していくのは、この記事にあるようにじたばたせずに現実の時間の流れに身をゆだねるという強い忍耐力が必要だと思いますが、ハイブリッドな生活を送っている先住民の彼らはどのように気持ちを維持しているのか。そもそもコントロールできないとわかっているので時間の流れにただ乗っているだけなのか、、、。彼らから学ぶことはまだまだ沢山あります。
この本はまだ読んでいませんが是非手に取って読んでみようと思います。問題の根幹は、①情報へのタッチポイントが多すぎることと、②情報が受動的に入る仕組みが多すぎること、の2つだと思っています。この掛け算が、効率化と忙しさ依存の呪縛を創り出している。
スマホを触らず(①の元凶)、アプリを入れない(②の通知機能)
これだけで「不快感に慣れる訓練」ができます。ゴールや目的がないままタイパだけを追い求める人が多い。これが問題。あることに時間を使いたいから、それ以外のことの時間を節約したい。これは理解できるけど、多くの人はただ時間を節約しようとする。
「目的と手段の混同」の典型例。
タイムコントロールはメリハリ。掛けるところにはじっくりと掛ける。掛けないとこには掛けない