東大調査報告書で考える「成功者による差別」の芽
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注目のコメント
そもそも中学受験ってそんなに重要でしょうか?私は中学受験で落ちた学校に、高校入試で入ったのですが、「こいつら全員小6のとき、僕より成績よかったんよなぁ」と大変不思議な気分になりました。青田買いのように中学受験に集中するのではなく、もう少しゆっくり中学で力を蓄えてもいい。六年一貫で早く進むことはメリットでしょうが、追いつける人はどのみち追いつき、追い越しますから。
実際の中学受験のトップ層は、ちょっと違うと思う。
点数、順位、偏差値を上げることにモチベーションが向かった訳ではなくて、問題を解くことに面白さを見出したり、そんな自分に合う環境を求めた結果、偏差値の高い学校を目指すようになったという方が実態に近いだろう。
理解力が低過ぎて話の合わない同級生や、そんな勉強出来ない人に合わせてゆっくり進むレベルの低い授業に、正直うんざりしてたってだけなんだよなあ。いい加減もう「教育」は止めましょう。
実施すべきは「教育」ではなく「Education」つまり天から与えられた才能を引き出す事です。
おおよそ平均的であると「設定」された基準に照らし合わせて、一方的に教え込み、試験の点数で優劣を評価していく方式はオワコンです。
明治時代に森有礼がEducationを意図的に「教育」と翻訳した事からも解るように、ヨーロッパ諸国の官僚システムと軍隊システムを視察した結果、学校で子どもたちへ暴力を背景に一方的に教え込む仕組みこそがそれを可能にしていると考え採用したのです。
それまでの寺子屋式の学びから、教壇に1人の教鞭(ムチですよ)を持った教師が暴力を背景に全員に同じ事が出来るように強いる仕組みに変革したのです。
その目的は、優秀な官僚と兵士を育成・選別する事にあります。
しかし、そうやって選別された人物が官僚を目指さなくなってきているのですから、完全にオワコンです。
そもそも昨今の多様性が叫ばれる時代に、「おおよそ平均的である」と思われるカリキュラムを一斉に教え込んで、教師の指示で皆が一斉に同じ行動をとれるとか、率先して指示通りに動作する事が評価されるとかのシステムを全体に強いるのは問題が大きいと思います。
もちろんそのような選択肢があっても良いですが、それ以外のシステムを採用する学校の選択肢を多く用意し、その子どもの特性に合った(つまりその子どもの才能を引き出す)学校を選択できるようにすべきでしょう。
システムが全く異なるのだから、そのような社会が実現すれば○○高校なのだから頭が良いとかにはならないです。
○○中学校、○○高校は官僚向けだよね、となるだけです。そこに上下関係や差別は存在しなくなります。