「内申書にビクビク」からの脱却 出欠欄や所見記入は廃止へ…昭和から令和への学びの改革の必要性 フジテレビ解説委員 鈴木款
コメント
選択しているユーザー
「そんなことしたら内申書に響くぞ!」「生徒会やると内申書がいいらしい」生徒指導の道具になったり、都市伝説として語られる内申書を変えようという取り組みを広島県と名古屋市で取材。内申書改革の本質は、学校のOSを昭和から令和に変えることです。ぜひご一読ください。https://www.fnn.jp/articles/-/407765
注目のコメント
内申書という評価基準が曖昧なものを人質に、生徒や保護者をコントロールする。そのような問題構造が見られる制度は見直し必須だと思います。名古屋市や広島県での取り組みが全国に広がることを願っています。
以下の内容に激しく同意します。
出欠欄を無くした理由は、月曜日から金曜日まで9時から17時にいすに座っていたらお給料がもらえる時代ではない。
来たいと思うような学校作りを、面白い授業をしてください。
先生たちも子どもと一緒に『自分は何者なのか』『自分はどんな人生を送りたいのか』を考えてほしい。
ここからは私の意見です。
もちろん、自己表現を入試で評価するとなると、その評価の仕方を一律にしてしまうと、そこでの点数の稼ぎ方を考えてしまうのも事実です。そこは、各高校が特色を出し、その特色にあった生徒を評価する必要があるでしょう。それが同じだと意味がなくなります。そして、それを維持していくためには、高校の先生たちは私立のように一つの学校に長く留まるようにしていく方がいいのかもしれません。学校の方向性を決めても、人が変わることによって、ただ形骸化する例を私の学校でも見てきました。どんどん変わっていいとするのも一つの方針ですが、変えすぎると入学したその時期の生徒が悲しい思いをすることもあります。
また、自己表現について、家庭環境も大きな影響をします。やはり、裕福で学術資源に恵まれている家庭の子どもが、自己表現につながる学習歴では圧倒的に有利になるでしょう。学力のみで測ってきた時よりも、差が広がっていくのは明白です。しかし、その差はあって仕方ない、みんな自分の人生を生きていくことが幸せであるという社会の考え方が必要でしょう。子どもたちはすでに気づいています。Quite quitting の会社員よりも若い子どもたちは、みんなが同じ成功を求めることに意味などないと。でも、それを周りの大人が薦めたりするからたちが悪い。みんな、自分の幸せな人生を生きて、人の幸せにはとやかく言わない方がいいですよね。