2022/8/31

なぜ「風のデータ」が、空の産業革命の命運を握るのか

NewsPicks Brand Design editor
 ドローンが上空を飛び交い荷物を届け、人の移動は空飛ぶタクシーに──。そんなSFのような世界が実現するのは、遠い未来ではない。
 “空のモビリティ”は着々と進化を遂げている。2022年12月には改正航空法が施行、ドローンの活用の幅が広がるとされ、2025年の大阪・関西万博を皮切りに、日本における空飛ぶクルマ市場の立ち上がりも見込まれているという。
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 しかし“空のモビリティ”の社会実装には、さまざまな障壁があるのも事実。特に安全性確保の面での大きなボトルネックが、「風」との付き合い方だ。
 その奥深き風の世界に足を踏み入れ、風にまつわる課題を解決する新規事業に取り組むのが、総合電機メーカーの三菱電機だ。
 なぜ風が「空の産業革命」を実現する命運を握るのか。同事業のプロジェクトリーダーを務める信江一輝氏に話を伺った。

ドローンの知られざる弱点

 空のモビリティと聞いて真っ先に思いつくのは、ドローンだろう。
 空撮や測量、インフラ点検、災害調査、農薬散布など、さまざまな用途での活用がすでに始まっており、今後は物流などの大きな市場への拡大が期待される。
 一方で、空の法整備やインフラ整備など、ドローンの大規模な商用利用に向けて、解決すべき障壁が山積しているのも確かだ。その中でも意外と見過ごされがちな課題がある。
 実はドローンは、「風」に弱いのだ。
「ドローンの機体自体の技術開発はかなり進んでいます。ですが、垂直離着陸時やホバリング時に、突風や予期せぬ角度からの強風が吹けば、コントロールを失うケースはある。
 また長距離飛行時に強い向かい風が吹くと、想定速度で飛行できずに不時着してしまうこともまだあります。
 そのような状態で荷物の輸送にドローンを使った場合、荷物が届かなかったり、大幅に到着時間が遅れてしまったり、という事態が起きてしまう。
 これはドローン物流の実用化に向けて、大きな障壁になってしまいます」(信江氏)
 風によって生じるデメリットは、運航の不確実性にとどまらない。
 これから都市部などの有人地帯でのサービス拡大が期待されるなか、安全性が理由で活用が見送られるケースも多いという。
 たとえば、今後ドローン活用が進むと予測される領域の一つが、高層ビルの劣化を診断する壁面調査。
 人間がビルの壁面を調査する場合、大掛かりな足場を作るなど、時間もコストもかかる一方で、ドローンを活用すれば足場を組む必要はなく、大幅な生産性向上・コスト削減につながる。
metamorworks
 しかし、強風に煽られて建物にドローンが衝突して事故につながるリスクは、何としてでも避けなければいけない。
「風の強さや向き、種類は、高さや場所によって細かく変わります。特に人が住んでいる地域になればなるほど建築物が複数存在し、ドローンが飛行する空域の風は、地域特有のものになります。
 その特有の“風況”が読めないため、事業者がドローン活用の意思決定ができないジレンマが存在しているのです」(信江氏)

“風特化”のデータビジネスの全貌

 そんな風を巡る課題解決に乗り出したのが、総合電機メーカーの三菱電機だ。2年前の2020年、風況データを利活用する新規事業を始動した。
 今年8月には丸の内エリアの風況を計測、可視化する実証実験を実施し、サービスの精緻化に取り組んでいる。
 ただ、風況データを利活用するデータソリューションと聞いても、ピンと来ない人が多いだろう。
 それを読み解くには、まず三菱電機が元々強みを持っていた、風況データ計測のハードウェア事業について知る必要がある。
「三菱電機は1990年代から、『ドップラーライダー』という風況を計測するコア技術の研究に、着手していました。
 そして、2010年代前半から製品を市場に投入。有人航空機の安全な離着陸支援や、風力発電の最適な設置場所選定等に利用いただいています。
 私たちはこのドップラーライダー技術を武器に、事業モデルを“モノ”ビジネスから“コト”ビジネスに転換することで、より幅広い市場における課題解決を目指しているのです」(信江氏) 
 ドップラーライダーとはレーザー光を空間に発射し、風速と風向をリモート計測する装置のことだ。
ドップラーライダーを用いた丸の内エリアでの実証実験の様子。写真提供:三菱電機
「ドップラーライダーの強みは、レーザーを使うことで、遠方の風況を“一定の距離間隔ごと”に把握できること。
 地上1mと地上から50m地点の風況は、実は全く異なるものなのです。
 いわゆる風速計では地上の風況しか測ることができませんが、ドップラーライダーは、1台で風速計の数十~数百台分の風況を測ることができます。
 特に高層ビルの建設現場などでは、高所での作業を要するので、地上から離れた上空の風況を把握することは、従業員の安全性や作業効率性においても重要なのです」(信江氏)
 このドップラーライダーで計測した風況データをわかりやすく可視化し、さまざまなビジネス領域の課題解決につなげる新規事業が、この風況データソリューションなのだ。
 さらにこのデータソリューションは、風の流れをリアルタイムで読むだけではなく、「風予報」も提供できる。
 同じ場所で風況データを一定期間取得し、データモデルを作成することで、風向や風の強さを、時間や場所、高さごとに予測するのだ。
「こういった予測を通して、ドローンの運航スケジュールや運航ルートを前もって決めることが可能になります。
『この場所は、この時間帯なら風が弱いはず』という予測を立てられれば、前述のビルの壁面調査等にドローンを活用する意思決定も、ずいぶんやりやすくなるはずです」(信江氏)

建設現場から発電、都市設計まで

 風況データを活用したデータビジネス。実は、空のモビリティ以外の領域でも、すでに多くの引き合いがあるという。
 その中でもニーズが大きいのが、前述の建設や工事の領域だ。
「建設現場は、風に大きく左右される現場です。たとえば高層ビルの建設には、タワークレーンという大型の機械が必要になります。
 タワークレーンで資材を揚重する領域の風況が悪いと、クレーンの安定運用に大きく影響を及ぼし、クレーンを動かせないことも。
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 だからこそ、クレーンが実際に稼働する高さの風況を知る必要があるのですが、これまでは現場の地上付近の風況や、気象予報を確認する方法しかありませんでした。
  現有情報では問題なしと判断できた場合でも、タワークレーンなどの高所作業に着手するやいなや、上空は強風だったと判明。作業を中断せざるを得ないなんて事態も、頻繁に起きているのが事実です。
 一度作業が中断されれば、その後の建設計画にも大きなズレが生じます。作業効率の面でも、従業員の働き方の面でも、深刻な課題が存在していたのです」(信江氏) 
 そこでドップラーライダーを用いた風況データソリューションを建設現場で活用し、上空の風況を可視化・予測できれば、タワークレーン作業計画の効率化に大きく貢献できるという。
 加えて建設に関する風の課題には、都市部で吹く強い風を指す「ビル風」が挙げられる。
 特に高層のビルやタワーマンションを建てたことで、街の風況が悪化し、近隣住民が被害を受けるケースも少なくないという。
 都市計画段階から、風況データソリューションを用いた検討を行うことで、「その街に適したビルのデザインはどうあるべきか」という議論も進みやすい。
 さらに風況データを活用できる分野として、風力発電が挙がるのは想像に難くないだろう。
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「風を発電に活かそうという潮流はもちろんありますが、日本は風力発電が盛んな欧州等に比べて、風況が好条件ではありません。
 風況の良し悪しは、風力発電による発電量の多寡に直接的に影響しますので、極めて重要な条件になります。
 風況データを収集、分析することで、風力発電設備をどこに設置すべきかの判断材料を得られます。
『この場所なら、1年間でこれくらいの量を発電できるだろう』という予測も立てられます」(信江氏)

3年後に空飛ぶクルマも夢じゃない?

 さまざまなビジネス領域の課題を、「風の可視化」を通して解決するこのソリューション。2023年度の商用利用を目指すとのことだが、そこに向けて何を改善していくのか。
「ドップラーライダー技術や風況予測のモデル構築については、すでに高い精度まで実現できています。
 今後は『ユーザーは誰か?』をさらに強く意識し、各業界のユーザーに使い続けていただけるサービスを提供できるかが重要と考えています。
 現在の風力発電市場向けドップラーライダーは、重さが40kg以上あり、一人では持ち運べない大きさです。
 より簡単に持ち運べるようにするなど、世界で最も使いやすいドップラーライダーを目指して現在開発中です」(信江氏)
 本取材を行ったのは、丸の内エリアでの実証実験の最終日。
 都市部での空のモビリティ活用や都市設計は、風況データを通してどう変わるのか。その展望を信江氏に聞いた。
「まずドローンは、2022年12月の改正航空法の施行を機に、さらに活用が加速するのではないかと予想されています。
 人口が減少する日本において、物流や医療、移動などに重宝されるのは間違いありません。
 風の正確な情報を知らせて、事故が起きない環境をサポートすることが、我々の今後のミッションになると思っています。
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 空飛ぶクルマに関しても、国が商用利用開始のターゲットにしているのは2025年の関西・大阪万博。
 商用利用が実現してすぐは、1時間に数機運航する程度かもしれませんが、その先には、たくさんの空飛ぶクルマが多頻度に運航されている、という時代が来るでしょう。
 その時代には、機体の位置や充電状況、多数の離着陸場の空き状況、航路の状況など、さまざまな情報を統合した運航管理が必要になります。そこでも、私たちの風況データは活用されているはずです。
 さらには、空飛ぶクルマが離着陸する場所である「バーティポート」をどこに設定するかについても、検討が加速しています。
 離着陸時は風の影響を特に受けやすいですから、風況データを一つの判断要素として、安全性・効率性双方で最適な離着陸場環境整備を後押ししていきたいですね」(信江氏)
 今まで目に見えなかった「風の道」が可視化されることで、SFで見ていた世界が現実になる日は、もうすぐそこまで来ている。