国民の黙とう「検討中」 公営賭博中止「未定」―追悼呼び掛け、政府手探り・安倍氏国葬
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個人的には、海外からかなり多くの要人が来日するので、国葬が良いとは考えましたが、国民に弔意を要請するのは違うだろうと考えます。だから、↓は当たり前
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安倍氏の国葬に当たっても、政府は「国民一人一人に喪に服することを求めるものではない」
相変わらず検討使状態が続いていますが、いくら無策放置でもオミクロンは9月には収束に向かうでしょうから、民衆エネルギーは、国葬と統一教会問題に向かいます。
この2つは、ポリシーが見えない風見鶏体制では収束しないでしょうから、岸田総理の力が嫌でも試されることと思います。私の記憶にある国葬は、昭和天皇の葬儀で1989年のことです。
当時のことで1番印象深く覚えているのは「歌舞音曲の自粛」として、街中から楽しげな音楽がみんな消えた事。子供だったので大した事は覚えていませんが、いつも賑やかなポップスが流れているスーパーマーケットが無音だったこと、テレビも娯楽的な番組はなくなったのでレンタルビデオ屋が混雑したことなどを覚えています。
「国葬」の話が出始めたとき、コメント欄では賛成派も反対派も荒れ気味で、直感的な言葉が並ぶもんだな…と思っていましたが、こうして具体的な行動が決められてくると気持ちが変わってくる方もいるのではないでしょうか。
1989年の事を知らない若い友人は、日本全国民が仕事などの手を止めて黙祷することを想像したら、「国葬って思ったより重かった」と言いました。恐らく「大きなお葬式」くらいを想像していたんだと思います。
私個人は安倍元首相の国葬には反対です。理由は、国葬に対する線引きがはっきりしないからです。だからといって、亡くなった安倍元首相を悼む気持ちがないわけではありません。とりわけ、理不尽な死を迎えたことを考えると、残念だと思います。
外国の要人が来日するから…とか、故人の功績を考えたら国葬するべき…などの意見を見ましたが、「国葬」って国を挙げて故人を悼むことではないでしょうか?偉い方々が外国から弔問に来られるようですが、「国葬」と言いながら、ギャンブルも止めず、テレビでは娯楽番組を流し、街ゆく人はいつも通りだとしたら、かえって恥ずかしくないですか?
「国葬」に対する認識が大きく違う状態をなんとかしないまま、説明もせずに、なし崩しに「イベント」になるだけではないかと危惧しています。