2022/8/22

福島県白河市発。水素の力で「脱炭素タイヤ」を実現する

NewsPicks Brand Design editor
「ダンロップ」や「ファルケン」などのタイヤブランドを持ち、グローバルに事業を展開する住友ゴム工業。同社では今、タイヤ製造におけるカーボンニュートラル(CN)の実現に向けさまざまな施策を打っているが、その中でも特に注目を集めるのが次世代エネルギーである「水素」の活用だ。

すでに福島県白河市にある白河工場では、2021年8月から水素エネルギー活用に向けた実証実験を開始。タイヤの製造工程で使用する蒸気エネルギー源を天然ガス(LNG)から水素へと切り替える技術の確立を進めている。

「水素でタイヤを作る」、住友ゴム工業の取り組みとはどんなものか。そして、次世代エネルギーの活用によってどんな未来を見ているのか。住友ゴム工業 環境管理部の遠藤幸夫部長と、白河工場の面川寿彦工場長に話を聞いた。

水素を燃やしてCO2をゼロに

 乗用車、トラック・バス、建設・産業車両など、暮らしや社会に関わるさまざまなシーンで活躍するタイヤ。
 タイヤの製造工程は、まず原材料であるゴムの混合から始まり、薄いゴムのシートや、合成繊維やスチールワイヤーを編んで布状にした素材など、複数の部材を組み合わせることでタイヤの原型をつくる。
 その原型を金型に入れ、熱と圧力を加えて化学反応を起こすと、ようやく私たちが見知った、強力な弾力を持ったタイヤが仕上がる。このタイヤ製造における最も重要な工程を加硫(かりゅう)と呼ぶ。
 エネルギーの観点から見ると、タイヤの製造工程のなかで最もエネルギーを消費するのが加硫。
「ここにCNのポイントがある」と話すのは、住友ゴム工業で環境に関する取り組みを統括する環境管理部長の遠藤幸夫氏だ。
「住友ゴム工業 白河工場では現在、加硫工程で使用する熱エネルギー源をLNGから水素に移行し、製造時のCNを達成するための実証実験を進めています。
 再生可能エネルギーは他にもありますが、加硫工程に用いられる高温高圧の熱エネルギーを得るためには、現時点では水素が最も可能性が高いと考えました。
 今後、水素をエネルギー源として活用できる技術を確立し、『水素でタイヤを作る』ことができれば、従来『CO2を排出するもの』と考えられていたゴム業界のイメージを大きく変革できるでしょう」(遠藤氏)
「水素」といえば、FCV(燃料電池自動車)のように水素と酸素を化学反応させ発電する燃料電池を思い浮かべるかもしれないが、住友ゴム工業は水素を「燃やす」。化石燃料と違い水素は燃やしてもCO2が発生しないため、タイヤ製造のCNが推進できるというわけだ。
 水素を使う加硫は世界初の試みであり、白河工場で2021年8月から高性能タイヤを製造する工程で実証実験を開始した。この取り組みは新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の助成事業として支援も受けている。
 また、原材料の混合など加硫以外の工程で使う電力については、白河工場敷地内に敷設予定の太陽光パネルからの発電で賄う。
 将来の製造工程でCO2排出量がゼロになる脱炭素タイヤの開発に向け、着実に歩みを進めているという。
 実証実験を統括する白河工場長の面川寿彦氏も、新しい技術の確立に期待を寄せる。
「FCVや水素で発電する家庭用燃料電池の普及などもあって、次世代エネルギーとして水素は注目が高まっています。
 そうしたなか、我々が世界で初めて太陽光と水素から生まれるクリーンなエネルギーでタイヤを製造することで、水素社会実現に向け貢献したいと思っています」(面川氏)

脱炭素タイヤ実現で地域全体の持続可能性を高める

 住友ゴム工業は、中期経営計画でESG経営の推進をバリュードライバーと位置づけ、サステナビリティ長期方針として「はずむ未来チャレンジ2050」を掲げている。
 これはE(環境)、S(社会)、G(ガバナンス)それぞれの分野で2050年に向けたチャレンジ目標テーマと施策をまとめたもので、Eの施策の1つとして水素の活用を挙げている。
 脱炭素タイヤへの活動を強化するために、水素プロジェクトグループを創設した。グループは部署横断型で、本社メンバーの他に白河工場のメンバーも加わり活動している。
「環境管理部の設立は2022年1月で、それ以前は安全防災環境管理部でした。ESG経営を推進していくためには、環境に特化し、世の中の変動をしっかりとらえて業務を遂行していく必要があります。
 そこで環境管理部が独立し、サステナビリティ活動の推進にコミットする体制ができたのです」(遠藤氏)
 ただし、脱炭素タイヤの取り組みが本社主導で始まったのかというと、実はそうではないらしい。
 背景にあるのは、地方の人口流出と地域経済の衰退だ。少子高齢化による地域の人口減少は各地で起きているが、白河市を含む福島県は東日本大震災の影響によって減少のペースが加速した。
「白河工場は約1,600人の従業員を抱えていて、事業所としても地域で最大規模。それゆえに、採用や人材確保は事業を継続するうえで最重要課題となっています。
 地元で魅力ある事業を確立して地方創生に取り組まなければ、地域経済の落ち込みや人口流出が加速し、将来の事業計画が成り立たなくなる。
 そうした背景もあり、脱炭素タイヤの取り組みは、白河工場や地域全体の持続可能性を高めるための施策の一環として生まれたのです」(面川氏)
 また、面川氏は福島県の出身。白河工場では初めてとなる生え抜きの工場長だ。それだけに工場の発展にかける思いは熱い。
「今年入社した社員が定年を迎えるまでには40年以上あります。採用したからには工場を継続的に発展させていく責任がありますし、それが工場長として、白河に生きる者としての使命だと思っています」
 つまり、地域活性化の視点で新たな挑戦をする取り組みがあり、一方には、会社としてESG経営に取り組む方針があり、この2つが合流した。
 さらには、近年のサステナビリティ推進のトレンドが追い風となり、脱炭素タイヤの取り組みが急進することになったというわけだ。

専門家の知見を得ながら、手探りでスタート

 CN実現に向けた志はある。地域に対する思いも強い。ただ、そうはいっても水素の活用は初の挑戦である。
 水素を含む再エネ活用の調査は、福島県内で再エネ活用の気運が高まりつつあった2014年頃から始め、手探りで対応方法について模索を続けてきた。
「2020年に、資源エネルギー庁とオンラインで、福島県内の水素を用いた工場のゼロエミッション化について意見交換を行いました。そこで、水素活用の分野で第一人者といわれる古谷博秀氏()から、当社の水素の取り組みに対してご意見をいただきました。
 それがきっかけとなり、現在は、実証実験のアドバイザーとしてサポートしていただいています」(遠藤氏)
※古谷博秀(ふるたに ひろひで)氏
国立研究開発法人 産業技術総合研究所 研究戦略企画部次長 プロジェクトマネージャー カーボンニュートラル担当 / 福島再生可能エネルギー研究所 所長代理(兼務)
 専門家である古谷氏から知見を得て、それが脱炭素タイヤの実証実験につながっていく。
 企業の枠を超えた取り組みでは、トヨタ自動車のウーブン・シティ(静岡県裾野市)などがよく知られている。ただ、モビリティ分野におけるスマートシティのような社会構想の取り組みは活性化しているが、2次産業的なエネルギー分野の事例は少ない。
 新規事業の取り組みは、例えば、専門知識を持つコンサルティング会社などを入れる方法もある。しかし、面川氏は「誰かの指示を受けてやることではないと思っている」という。基本は手探りと内製だ。
「誰に話を聞くか探るところから、あらゆる面で手探りですが、そこに価値があると思っています」(面川氏)
 住友ゴム工業では試作工場を設けておらず、白河工場をはじめとする各工場が開発の拠点となり、技術を開発し、必要な設備を作る。
「住友ゴム工業は、問題意識を持った人が先頭に立ち、課題を乗り越える社風があります。工場への要求事項としては高水準ですが、この社風があることによってスピード感を持って課題に対応でき、必要性と将来性を踏まえた設備を現場で作れることが強みにもなっています」(遠藤氏)

「白河モデル」が脱炭素タイヤのカギ

 実証実験を始めて約1年が経ち、解決できた課題もあれば、新たに見えてきた課題もある。
 LNGから水素への代替という点では、加硫の設備は既存のものを流用できるが、水素はLNGと比べて燃焼速度が速いため、ガスの吹き出し口を小さくしたり安全装置をつけたりして調整しないと引火してしまう。
 また、水素はLNGと比べて熱量が小さい。そのため、LNGでトレーラー1台分の熱量を確保するために、水素ではトレーラー5台ほどの量が必要になるという。せっかく水素でCNを実現しても、トレーラーの排ガスが増えたのでは意味がない。
「そのための解決策の1つは地産地消です。福島県内の業者から水素を購入すれば、運搬の際に排出されるCO2と輸送などにかかるコストを抑えることができます」(面川氏)
 つまり、地域の水素を使い、地域でものづくりを行う。地産地消は福島県が描く新エネ社会構想の中でも掲げられているビジョン。工場敷地内での太陽光発電も含め、エネルギーの確保と消費を白河に集約する「白河モデル」が脱炭素タイヤのカギということだ。
 地域行政の点から見ると、福島県は福島新エネ社会構想を通じ再エネや水素の活用を推進し、白河市も2050年までにCO2排出量を実質ゼロにする「ゼロカーボンシティ宣言」を行っている。
 行政が掲げる大きなまちづくりの方針の中で、白河工場は事業を通じてCNに貢献していくのが脱炭素タイヤ構想の全体像。そこにNEDOの支援や専門家の知見が加わり、地域、事業者、行政が一枚岩となってCNに挑む。

社会的価値と経済的価値は両立できる

 事業化の点では、ESG経営はボランティア発想の環境保護ではなく、「経営」を意識して適正な利益を生み出す必要がある。
 水素の方が環境保護になるからといってコスト無視で大量の水素を買い込むわけにはいかない。きちんと利益が出るようにして、企業活動のサステナビリティも高めながら、社会的価値と経済的価値の両方を高める必要があるのだ。
 一般論として環境保護の取り組みは儲からないと言われる中で、これは大きな挑戦。そのことについて考え始めると「眠れなくなる時もある」と、遠藤氏。
「水素の他にもエネルギー源はありますし、CNのアプローチ方法もたくさんあります。その中で水素活用の投資を判断していくため、内心、大丈夫かなと自問自答する時もあるのです」(遠藤氏)
これが未知のことに取り組む難しさであり、0から1を生み出す苦悩。
 また、水素に絞ったとしても、選択肢は多い。例えば、現状は圧縮水素を使う予定だが、もしかすると液体水素の方が良い可能性もある。
 水素を大量に消費するなら、水素ステーションを作る選択があるかもしれない。実証実験の先を見据えながら、白河工場で水素活用拡大のシナリオを作ることが直近の課題だ。
「仕事を通じて温暖化対策し、後世に平和な環境を残したい。目先の数値目標を達成するためでなく、使命感を持って長期的に温暖化対策に取り組むことが我々の責務だと思いますし、そうでなくては壁にぶつかって挫折してしまうと思っています」(遠藤氏)

「白河モデル」が日本の脱炭素を加速させる

 実証実験は2024年2月までを予定している。その後は白河工場で本格稼働を行い、国内外の工場にも展開していく。
 実験が進み、福島県や白河市のまちづくり構想が周知されていけば、水素の地産地消でものづくりする取り組みも広がりやすくなる。自動車関連企業だけにとどまらず、県内の製造業とのコラボレーションが生まれ、地域全体が脱炭素に舵を切っていく展開も見込まれる。
 いわば「白河モデル」が確立し、同様のスキームで全国各地のCN推進も加速するかもしれない。
「実証実験を経て本格稼働に至った際には、我々はその技術を他の工場や他社に惜しみなく提供していくつもりです。現状はまだ水素活用の小さな取り組みですが、CN効果を実証して広めていきたいと考えています」(遠藤氏)