米、アルカイダ指導者を殺害 ザワヒリ容疑者を無人機で
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アメリカを始め海外では、選挙が様々な決定や変革のタイムリミット機能を果たしている様に見える。日本でも二大政党制が成立していれば「検討の検討」なんて言ってる余裕ないんじゃない?
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アイマン・ザワヒリは、1998年から2011年までは、ウサマ・ビン・ラディンに次ぐアル=カーイダのナンバー2、2011年にウサマ・ビン・ラディンが殺害されてからはアル=カーイダのトップでした。米国政府が彼の首に懸けていた賞金は、2500万ドルでした。
つまり、20年以上米国の主要な標的でしたが、非常に用心深く逃げ回り、暗殺を逃れてきました。人前に出るようなことは、まずありませんでした。
今回、カブールで、住宅のバルコニーに出ていたところを確認されて、無人機で殺害されたのであれば、ターリバーン支配下のアフガニスタンが安全であることをよほど確信していたのでしょう。
ターリバーンが米国と関係を改善するのは絶望的でしょう。
ターリバーンが、アル=カーイダやパキスタン、ウズベキスタン、ウイグルなどの反政府武装勢力を保護しているのはよく知られていることです。
アイマン・ザワヒリが住んでいたのは、ターリバーンの内務大臣で最大の武力を持つシラジュッディーン・ハッカーニーの部下が所有する家です。
ターリバーンで最大の武力を持つハッカーニー家が、外国人の諸勢力を保護しているのもよく知られたことですが、ターリバーンとしては、客分を断りもなく殺害されたことになります。特に、ハッカーニー家はおさまらないでしょう。
アイマン・ザワヒリは1951年、エジプト生まれ、医学部卒で、学生時代からムスリム同胞団で活動していましたが、飽き足らずに武力でエジプト政府を打倒することを目的とした「ジハード団」を結成、その指導者となりました。
しかし、ザワヒリは完全な理論家肌で、武装闘争などできず、アフガニスタンに脱出、ウサマ・ビン・ラディンに合流してそのナンバー2となりました。
その後のザワヒリの活動は(その前もそうでしたが)、数カ月に1回、数百ページに渡る論文を発表することでした。古今東西からの博識な引用が多く、文学的な内容ですが、実際の活動にはまず役に立たず、アル=カーイダでも読んでいる人は少ないでしょう。
ザワヒリは、今やアフリカを中心に活動するアル=カーイダを実質指導する力量は全くありませんでしたが、長く生きのびた有名な顔ではありました。
今後、誰が後継となるにしろ、アフリカなどのアル=カーイダ系勢力は、名実ともに、現地独自の勢力となるかもしれません。米メディアの報道によれば、米国はアフガニスタンにおいて無人機攻撃でザワヒリを殺害した模様。現在、米情報機関が確認を急いでおり、もうすぐバイデン大統領が正式に発表するとのことです。
昨年夏の米軍撤退後、アフガニスタンにおける米政府のインテリジェンス能力は著しく低下したと言われておりました。ザワヒリの居場所は衛星や盗聴などの技術情報だけではつかめませんから、米情報機関は現地の人的情報源の再構築に成功したのでしょうか?どのようにザワヒリ攻撃に至ったのか、今後明らかにされる情報に注目したいと思います。
ただ、ザワヒリはすでに現場の指揮などにはかかわっておらず、グローバルな影響力もそれほどありませんから、これで世界のジハード主義勢力の退潮につながることはないでしょう。
最近まったくいい材料のなかったバイデン大統領ですが、この成果をアピールすることで支持率回復につなげよう、とホワイトハウスは努力すると思いますが、それもなかなか難しいのではないでしょうか。米国は9.11同時多発テロを契機に「戦時」に突入したとの認識で、テロリストを殺害することは「ターゲット殺害作戦」と銘打って、軍事作戦中の攻撃のような含みを持たせている。しかしその内実は、情報機関であるCIAが長らく主導しており、軍事作戦とは言えないものであった。同作戦の問題は無人機によるミサイル攻撃によって多くの巻き添え被害が生じる事であり、これまで病院や結婚式場にもミサイルが撃ち込まれ、多くの犠牲者を出している。今回のニュースで、米軍がアフガニスタンから撤退して以降も、引き続きこの種の作戦が続けられていることが明らかになった。