2022/8/9

DXレポート生みの親が語る。「IT人材がいない」は本当か?

NewsPicks Brand Design editor
「2025年の崖」(注1)という衝撃的な言葉を生み出し、多くの日本企業の意識を揺るがせた一本のレポートがある。
 2018年に経済産業省が公表し、日本企業のDX推進の必要性を説いた「DXレポート」だ。

 その2025年が3年後に迫る一方で、「日本企業に本質的な変化は起きていない」と警鐘を鳴らすのは、DXレポートの執筆を牽引した、経済産業省アーキテクチャ戦略企画室長の和泉憲明氏だ。

 日本企業に足りていないアクションは何か。特に人手不足が顕著な中小企業が、DXをやり切る方策はあるのか。

 和泉氏と、クラウドサービスを通して企業のDXを支援するサイボウズ執行役員事業戦略室長の栗山圭太氏との対談で読み解く。

注1:2025年の崖とは、このままDXの遅れを放置すれば、日本企業の競争力が大きく低下し、2025年以降、最大12兆円/年の経済損失が生まれるとの指摘。

“現状維持”の投資が8割

── DXレポートで言及された「2025年の崖」まであと3年。日本企業のDXの現在の進捗を、率直にどう捉えていますか?
和泉 レポートによってDXという言葉がある種のバズワードと化し、「うちの会社も取り組まないとまずい」という危機感の醸成には、一定程度貢献したと考えています。
 現に、経産省が取りまとめた、DXの成熟度を測る自己診断に取り組む企業数は増えています。
 さらに自己診断に取り組み続けている企業の中では、DX先行企業(注2)の割合も増えているんですよ。
注2:先行企業とは、経産省が取りまとめたDX推進指標の成熟度レベル3(DXを全社戦略のもと部門横断で推進している)以上の企業を指す。出典:IPA DX推進指標(2022年)
 一方で、日本企業の行動や振る舞いが本質的に変わったかと聞かれると、そこはかなり懐疑的です。
 というのも企業のデジタル投資の内訳をみると、現行システムの維持や管理・運営の割合への投資が約8割と、圧倒的に高いんです。
 当然、新しい価値創出のための投資は、2割程度にとどまっている。
JUAS 企業IT動向調査報告書2022(2022年)
── それの何が問題なのでしょうか?
和泉 そもそもDXは、デジタルを手段としてビジネス自体を変革し、新しい価値や収益を生み出すというもの。
 既存業務の効率化に終始しているだけでは足りません。
 だからこそDXレポートでは、デジタルによる企業変革の道筋を立てた上で、構造が複雑で、維持するだけでコストがかかる、いわゆる「レガシーシステム」の刷新が急務だと伝えたかったんです。
 しかし、その「企業変革の道筋を立てた上で」という部分を伝えきれなかった。
 とりあえず既存のシステムを刷新する、アナログな業務をデジタルに置き換えるなど、わかりやすい所に手をつけただけで満足してしまった企業が多いのではないかという仮説を持っています。

賃金は“コスト”ではない

── サイボウズはクラウドサービスを通して企業のDX支援をしています。営業として長年現場を見てきた栗山さんは、どんな課題意識をお持ちですか?
栗山 やはりデジタル人材の不足には、大きな課題意識を持っています。これは特に、中小企業で顕著な問題です。
 正直私は、中小企業におけるDX推進に対する「意識」については、そこまで悲観はしていません。
 私たちに相談に来てくださる企業の危機意識はかなり高いですし、様々なITツールも安価になってきた中、デジタル投資は明確に進んでいます。
 一方でDXを進めようと旗を振っても、それを実行する人材がいなければどうしようもない。
 大企業であれば、経営者がDXをやるぞと決めて、いわゆる「プロCIO」を雇い、短期間で一気にDXを進めた事例もあります。
 ですが、金銭的観点でも人脈の観点でも大企業に劣る傾向にある中小企業では、その方法をとるのはなかなか難しい。
 小回りが利く中小企業の方が、本来は企業変革をしやすいはずですが、人材不足がボトルネックになっていると感じています。
和泉 IT人材を雇えない根本を議論する際には、「賃金」の問題を考える必要がありますよね。
 私が前々から抱いている課題意識は、人材にお金をかけることを「投資」ではなく「コスト」と捉えている経営者が多すぎるのでは、ということです。
 例えば、既存システムを維持するための人材であれば、必要なスキルが限定されるので、より低い給料で働いてくれる人材を探す方が合理的です。
 ですが何度も言うように、DXの本質は新しい価値・収益の創出です。それができる人材には、やはりそれ相応の賃金を支払うべきですし、それはコストではなく次の成長に向けた投資と捉えるべきです。
 人材への投資ができず、自社にIT人材が不足していると嘆くのは、「DXへの本気度が経営者に足りないんじゃないか」とも考えられます。
栗山 共感します。加えてDXレポートでも示唆されていますが、ITベンダー企業との関係改善にも通ずる話だと感じました。
 現状、IT人材がいない、知見がないなどの理由で、DX推進を外部のITベンダーに“丸投げ”してしまうケースが散見されます。
 ですが丸投げしてしまうことで、「システムを納品されただけで、企業変革まで至らなかった」「部分的なシステム改修でなぜ100万円もかかるのかわからない」など、様々なすれ違いが生じているのは事実。
 DXの知見が社内に蓄積されないという問題もあります。自社内にIT人材がいて、主体的にDXを進められるようになれば、ITベンダーとの付き合い方も変わってくると考えています。

社員のITリテラシーをナメてはいけない

── では特に中小企業は、IT人材不足にどう向き合っていけばいいのでしょうか?
栗山 まずお伝えしたいのは、みなさんが思っているほど「社員のITリテラシーは低くない」ということです。
 クラウドサービスの導入をお勧めしてきた中で、「うちの社員はITリテラシーが低いから……」と、諦めモードに入っている経営者に数多く出会ってきました。
 ですが、中小企業でもクラウド上でファイルを共有している社員さんはたくさんいます。60代以上のスマホ保有率も、実は9割を超えている(注3)。
 それって、きちんとITリテラシーがあるということですよ。
注3:NTTドコモ モバイル社会研究所「シニアのスマホ所有率に関する調査」2022年1月
和泉 コモディティ化したITを利活用するための「リテラシー」と、先端技術を自社ビジネスに取り込むための「専門知識」を混同している人が、多いのではという印象を持っています。
 というのも、ITツールを開発するには専門知識が必要ですが、使うだけならリテラシーがあれば十分ですよね。
栗山 そうなんです。私はデジタル人材には3つの階層があると思っていて。
 先ほど高い給料を支払ってでも確保すべきとお話にあがったのが、「テクノロジーの専門家」。一方でDXに必要なツールを「使いこなす」のは、現在いる社員を育成すれば十分に可能です。
 そして案外肝になるのが、「デジタル起点でビジネスを企画・推進できる人材」の存在。ITの基礎をしっかりと理解し、ビジネスに応用できるスキルを持つ人です。
 サイボウズがパートナー企業と共に伴走サービスを推進している背景もここにあるんです。
 伴走サービスは、kintoneを使うクライアントにサイボウズのパートナー企業であるITの専門家が寄り添い、DXの実現を目指すもの。
 チャットでわからないことを聞くといった単発的な支援ではなく、業務の整理から、kintoneを使った業務改善の運用サポートや開発など、クライアントのDX成功まで長期的に寄り添います。
 言い換えれば、健康になるための体づくりにおいて、トレーニングの継続を支えてくれるパーソナルトレーナーのような存在でしょうか。
 もちろんkintoneは、ITの知識がなくても、ノーコードで簡単に使えるツールです。
 ですが最適な形でデータベースを構築したり、ツールの全体構造をデザインしたりするのは、ITの知識がゼロだとつまずくこともあります。
 そんな時にこの伴走サービスを活用し、単なるツール導入に終わらない、ビジネスの成長につなげるためのツール構築に役立ててほしいと考えています。
伴走の様子。伴走内容も多彩で、既存アプリの改修やアプリレビューの依頼もあれば、社内システム構築に向けて、ゼロから壁打ち相手になることも。
和泉 そうですよね。「ノーコードなら、複雑なアプリケーションを誰でも構築できる」というロジックには、私は賛同していないんです。
 ノーコードの有用性が活きるのは、データ活用の土台となるインフラが、ITのプロによって設計・整備されている前提があるときです。
 それならば、アプリ開発はプロの力を頼る必要はなく、ITリテラシーの範疇でデータを利活用したアプリが作れる。
 ちょうど、Excelでマクロを構築する感覚に近いかもしれません。
 インフラ自体の設計には、専門知識が求められます。どのようなデータ利活用を社員のITリテラシーとして求めるのかという観点も、きちんとビジョンを持って経営のゴールから逆算して構築すべきものです。
 だからこそ、誰に相談するかは重要なのです。
栗山 はい。この伴走サービスは、ITのプロに丸ごと任せるのではなく、あくまでもITのプロに教えてもらいながら自社で主体的にDXを進めていただくためのもの。
 社員自身のスキルアップにもつながり、企業に知見も溜まっていく。そうすることで、場当たり的ではない、長期的なDXが可能になります。
 伴走サービスを利用しながら、自分たちで構築できる範囲を広げ、自走できる組織になっていただきたい。その思いで、私たちもパートナー企業とともに全力でお手伝いさせていただきたいと考えています。
和泉 DXレポートの取りまとめを指導いただいたキーマンのお一人が、南山大学の青山幹雄教授です。
 昨年5月に急逝されてしまいましたが「DXが進んでいないように見えても、成果は時間遅れで出てくる。君たち政策担当官は、諦めてはいけない」と言葉を残されました。
「日本企業のDXは進んでいないじゃないか」という声もあるかもしれませんが、確実に進歩はしています。
 この言葉を信念として、私も日本企業に本質的なDXのあり方が浸透するよう、政策展開に尽力していくつもりです。