(ブルームバーグ): 中国のテンセント・ホールディングス(騰訊)が開発した「微信(ウィーチャット)」は単なるメッセージアプリではない。銀行取引やデート、ゲーム、ショッピング、ソーシャルメディアなど中国の日常生活で必要とするほぼ全ての機能を網羅し、ツイッターとスナップチャットを合わせたアクティブユーザー数より多くの人々が利用する世界最大級のソーシャルメディアプラットフォームだ。

テンセントの企業価値と影響力はここ10年、微信の急成長と共に急速に拡大。一時は時価総額で世界5位となった。テスラやレディット、スナップ、スポティファイに出資し、「フォートナイト」や「リーグ・オブ・レジェンド」といった人気ゲームメーカーや「メン・イン・ブラック:インターナショナル」や「ワンダーウーマン」などハリウッドの大ヒット映画にも資金を提供。その存在感は今やグローバルだ。

だが、こうした躍進そのものが突然、中国国内でのテンセントの地位を脅かすようになっている。中国共産党の習近平総書記(国家主席)が始めた「資本の無秩序な拡大を抑える」運動が国内最大級のテクノロジー各社に影を落とし、テンセント共同創業者の馬化騰(ポニー・マー)氏ら巨額の富を築いたテクノロジー業界の大物は今、窮地に陥っている。

微信は習氏にとって、好都合でもあり懸念材料でもあるようだ。その遍在性により微信は監視と統制の強力な手段となっている。事情に詳しい関係者によれば、共産党幹部の1人が同僚をスパイするため微信を利用した事件があった。一方で、微信は中国政府の厳格な新型コロナウイルス規制に不満を募らせた市民が共に抗議する場にもなった。

選択を迫られたのは馬氏だ。習氏の「新中国」というイメージに合わせてテンセントの事業と自分自身を変えるか、あるいは全てを失うリスクを引き受けるかという二者択一だ。

文化大革命さなかの1971年生まれの馬氏は98年、それまでの事業で得た50万元を元手にテンセントを設立。50万元は当時、中国人の平均賃金62年分だった。2011年1月の微信投入時、馬氏は会社の存続を懸けた事業だと語っていた。

微信は当局の指示に沿い厳しい検閲で厳重に監視されており、政府にとっては重宝なツールだ。だが、たとえテンセントが当局側の意向に従っていたとしても、政治力学の変化でリスクにさらされる可能性はある。

事情に詳しい関係者が報復の恐れがあるとして匿名を条件に述べたところによれば、21年に収賄容疑で逮捕された孫力軍元公安次官は同僚の情報を提供するようにテンセントに求めていた。同年9月、共産党は孫氏の党籍を剥奪。中央規律検査委員会は孫氏が「個人的な力を伸ばし、利益集団を形成」したなどと指摘した。

政府は孫氏の監視活動を一切公表していないが、汚職関連の捜査中にこの問題が発覚し、テンセントは政府の不興を買ったと捜査に詳しい関係者は明かした。同社の広報担当者は元従業員が「個人の汚職疑惑」に絡み調べを受けたことを認めたが、微信との結び付きを一切否定。孫氏による個人情報取得を手伝ったと非難された元従業員には接触できなかった。

社内プロジェクト

事情を知る関係者によると、テンセントが次の中国最高指導部を予測する社内プロジェクトを進めているとの情報が政府に伝わったことで、同社は再びトラブルに巻き込まれた。データサイエンスを駆使し、誰が共産党中央政治局常務委員会入りするのか推測しようとする試みだったという。この予測システムは孫氏のスパイ活動を手助けしたとされる元従業員が委託したものだが完成はせず、馬氏の関与はなかったと関係者の1人は語った。テンセントはコメントを控えた。

こうしたことが起きたのは19、20両年だった。馬氏は公の場に現れるのをやめている。上海での有名な人工知能(AI)会議や全国人民代表大会(全人代、国会に相当)、テンセントの年次パーティーでも、同氏の姿は見られなかった。同社の社員には馬氏が背中に慢性的な問題を抱えており自宅で静養していると伝えられた(実際に椎間板ヘルニアを患っている)。

たが、監視行為と政治局常務委員予測というスキャンダルが共産党最高幹部の警戒を招いたということはほとんど知られていない。馬氏が持つ力はこうした出来事で強調され、政府はテンセントを抑え込む必要があるとの判断を下した。

テンセントの力が最大限に発揮されたのは今年に入ってからだ。上海で新型コロナのオミクロン変異株感染が広がると、微信は市民の移動を制限するツールとなった。健康上のリスクと旅行歴に基づき色別コードが割り当てられた市民は、外出時に自身のコード提示が義務付けられた。政府は数百万人を家の中に閉じ込め、大規模な集団検査を実施。微信は一方でこうした措置に憤慨する市民が声を上げるプラットフォームともなり、 オンラインで事実上の抗議活動が展開された。

政府は沈静化を図るため、インターネットのプラットフォーム側に対し政策に後ろ向きもしくは批判的と見なす投稿を一掃するよう指示。極端な微信の検閲が始まり、上海市民が一段と反発を強めると、事態は4月に異例の方向に進んだ。

両親が隔離された赤ちゃんの泣き声や食料を求める住民の嘆き、重症の父親のために医療支援を求めている息子の嘆願などを収録した6分間の動画「四月之声」が微信に投稿され、ネット上で拡散。当局はすぐにこの動画を違法コンテンツだとして削除したが、すでに上海のみならず中国全土で多くの国民の目に触れていた。その後も人々は自動検閲システムをくぐり抜けようと工夫を凝らし、言葉や画像を重ね合わせたり、追加の映像を埋め込んだりして動画を拡散させた。

オンラインデモ

4月22日夜、記者の微信フィードは中国国民の生の感情を伝える画像とテキストであふれた。最も政治的に慎重な友人でさえ、政府の対応を批判。別の知人は「歴史的な出来事を目撃しているような気がする」と述べた。1989年の天安門事件で戦車に立ち向かった男性を捉えた映像はよく知られているが、「四月之声」はこの「戦車男」に匹敵する抵抗の象徴だろう。

テンセントがこのオンラインデモを支持したという証拠はない。急成長の後始末に追われている同社は、電子商取引・ゲーム資産の処分もしくは持ち分売却を通じ業務の縮小を進めており、当局から金融事業の抜本的な見直しも命じられた。時価総額は昨年から半減した。

アリババグループの創業者、馬雲(ジャック・マー)氏をはじめとするテクノロジー業界の大物がもてはやされた時代は終わった。中国メディアの晩点によると、馬氏は昨年末、「テンセントはインフラサービス企業ではなく、いつでも代替可能な会社だ」と従業員に向けスピーチした。同社の使命は国と社会にサービスを提供し、確実に「度を超さない」ようにすべきであり、「良いアシスタントになるのだ」と話したという。

(ルル・チェン記者が執筆した「Influence Empire: The Story of Tencent and China’s Tech Ambition」から抜粋。ホッダー&ストートン社の許可を得て転載)

原題:WeChat Is China’s Most Beloved (and Feared) Surveillance Tool (抜粋)

(原文は「ブルームバーグ・ビジネスウィーク」誌に掲載)

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