2022/7/14

老舗温泉のアトツギが巻き起こす「地域文化資本主義」への挑戦

フリーライター&稀人ハンター
 全国の各地域には、都市部とは異なる資源を活かすことで、自らの事業のみならず、地域全体のポテンシャルを底上げしている経営者がいる。

 そんな共存共栄を実現している新しいスタイルの“地方の虎”を、稀人ハンター・川内イオが発掘するシリーズ連載。

 #1では、佐賀県・嬉野で巨大な老舗旅館を「温泉入り放題のワークスペース」に生まれ変わらせ、さらには近隣の生産者とともに「茶農家イノベーション」を巻き起こした虎を追う。
INDEX
  • 地方の温泉宿とは思えない景色
  • わがまま放題の「おぼっちゃん」
  • 経営再建に没頭する3代目への苦言
  • 茶農家の知り合いゼロから始まった「嬉野茶時」
  • 「茶農家イノベーション」を起こす
  • 1セット30万円のプログラム
  • 温泉宿にサテライトオフィスを
  • 旅館を『泊まる』場所から『通う』場所へ
  • 雇用、交流、創発を促す町の複合施設へ

地方の温泉宿とは思えない景色

 2万坪の敷地に100を超える客室を持つ、佐賀・嬉野温泉の和多屋別荘。過去には昭和天皇、皇后両陛下も宿泊したという創業72年の老舗旅館だ。
 今年4月、和多屋別荘は建築家の黒川紀章デザインのタワー棟に「Onsen Incubation Center(OIC)」を設立した。スタートアップ支援を目的とした施設で、現在、嬉野に縁のある3社が拠点を置く。
 これに先行する形で、和多屋別荘は2020年4月より、宿の部屋の一部をオフィス向けに改装して企業の誘致を開始。現在、東京など都心に本社を置く5社がサテライトオフィスとして利用している。
 ちなみに、OICも含めて入居企業は温泉に入り放題で、和多屋別荘から歩いて数十秒の社員寮も格安で利用できる。
 この斬新な取り組みはメディアに多く取り上げられたが、和多屋別荘のなかにはさらに、地方の温泉宿とは思えない景色が広がっている。
 広々として日当たりのいいラウンジの片隅はポップアップショップ用のスペースになっていて、さらに歩みを進めると、世界的なパティシエ、ピエール・エルメの常設店「Made in ピエール・エルメ 和多屋別荘」がある。
 その先の通路には、銀座に本店を構えるお線香、お香の大手メーカー、日本香堂初のポップアップショップ。その向かい側の広大なスペースには、東京・六本木の有料書店、文喫を運営する日本出版販売とコラボした、1万冊の蔵書とお茶を楽しめる書店「三服」がある。
 さらに、同じフロアには嬉野の茶農家、副島園の本店があり、佐賀市にアトリエを構えるショコラティエ、副島圭美のチョコレート専門店「8cacao」、佐賀県産の食品・食材・飲料をセレクトしたデリカテッセンも併設されている。
 これは「旅館を『泊まる』場所から『通う』場所へ」というコンセプトで進められている「Reborn Wataya Project」の一環で、地元住民やほかの宿に泊まる旅行客も利用できるのが特徴だ。
 つまり、囲い込むのではなく、町に開かれている
 和多屋別荘内の食事処では、徹底的に佐賀と嬉野に焦点を当てる。
 地元の瀬頭酒造ときたの茶園が組む日本料理店「利休」、佐賀県有田の窯元「李荘窯」の器や、嬉野で作られる肥前吉田焼の窯元「224porcelain」の器を活かしたレストラン、鎌倉の創作和菓子店の人気作家と嬉野の田中製茶工場、李荘窯とコラボした和菓子懐石など、ローカル色の強さが際立っている。
 地元の生産者や職人、食材や名産品を取り扱って応援する宿は数あれど、東京でも集客力がありそうなショップを誘致したり、都会の企業やベンチャーを呼び込み、部屋をオフィスとして提供したりしている宿はほかにない。
 2021年には700組の企業・自治体などの視察を受け入れたという。
 これらすべてを発案し、自ら仕掛けている和多屋別荘3代目の小原嘉元は、地方創生のキーマンとして注目を集める。
 しかし、若かりし頃はドラ息子で、一度勘当された時には、嬉野に戻るつもりもなかったという──。

わがまま放題の「おぼっちゃん」

 1977年に長男として生まれた小原は、幼少期から貴族のような生活をしていた。およそ200人の従業員から「おぼっちゃん」と呼ばれ、プール、テニスコート5面、ゲームセンターなどを備えた2万坪の敷地を庭だと思って育った。
 高校卒業後は専修大学に進み、都内でなにひとつ不自由なくひとり暮らしを始めたものの、大学3年生の時、「なんとなくイヤになって」退学。
 そのまま和多屋別荘の社員になるも、「旅館の仕事はダサい」と実家が営業マンの宿舎として購入した福岡のマンションに転がり込み、同じ頃に勤めていた会社を辞めて同居するようになった姉と和多屋別荘のウェブ制作やデザインを始めた。
 専門知識などなく、見よう見まね。それでも給料30万円をもらいながら、「こんなんじゃ生活できんわ」と不満を垂れていた。
 想定外だったのは、和多屋別荘の経営が急速に傾き始めたこと。嬉野では200人いた従業員の4分の1を解雇するほど逼迫していて、小原が働き始めた2年後、住居として使っていたマンションは売却、福岡の事務所は閉じられた。
 住まいを奪われたことに腹を立てた小原は姉と一緒に父親のもとへ向かい、本館と橋でつながっている離れの宿、水明荘を「自分たちに譲れ」と要求した。その場に同席していたコンサルタントのK氏は、父親にこう進言した。
「会社を取るのか、異分子を切るのか選んでください」
 その瞬間、小原は失笑した。口には出さなかったが、胸のうちで「あんた、なに考えとると? 息子って知っとるとよね?」とバカにした。
 その1週間後、父親から「会社を取るから、出ていってくれ」と言われたのは青天の霹靂で、小原は怒り心頭で和多屋別荘から飛び出した。
「もう親じゃない、この人とは死ぬまで会わないと思いましたよね。その時は、もう嬉野に帰るつもりもなく出ていきました」
 2000年、福岡に戻った23歳の小原は、姉と貯金を出し合い300万円で会社を設立。ホームページやチラシの製作、ネットショップの運営を始めた。しかし、技術も営業力もないまま起業していきなり仕事がうまくいくはずもなく、生活が苦しくなるのはあっという間だった。
 起業から3年後のある日、きょうだいの苦境を見かねた母親から、父親と顔を合わせるように言われた。
 その頃、なんとか経営を立て直していた父親は、小原に「経営の勉強をしにKさんのところに行け」と言った。Kさんとは「異分子を切れ」と父親に迫った例のコンサルタントで、「あり得ない」とあきれた小原は席を立った。
 しかし、その日の夜、苦楽を共にしてきた姉から真剣な顔で「多分、行った方がいい」と言われて考えを改め、K氏のもとに向かった。

経営再建に没頭する3代目への苦言

 旅館の再生事業を手掛けているK氏の会社で自分の甘さを実感した小原は、1年間、無給で馬車馬のように働いた。ところが、2年目に入る頃、父親とK氏の間でトラブルが起こり、やむを得ず独立。
 父親から助っ人として派遣された和多屋別荘の敏腕フロントマンと旅館再生事業を始めると、K氏のもとで学んだ手法を駆使し、独立から10年で、70の旅館に関与し再生させた
 この実績を買われて2013年、35歳の時、再び経営危機に陥った和多屋別荘の3代目社長に就任する。
 当時、借金は十数億円、各所への未払い金が3億5600万円あり、「いつつぶれてもおかしくない」と考えていた小原は、目の前の火消しに追われていたため、地域のことなど考える余裕はなかったと振り返る。
「うちはつぶれかけてるのに、観光協会に属してどうするの? 会合に行く必要もないし、行く意味もないと思っていましたね」
 そうしてわき目もふらず経営再建に没頭していた小原に、苦言を呈する人たちが出てきた。小原のことを幼少の頃から知っている、近隣の住人だった。
「社長として戻ってきたとは聞いた。でも町の会合に一切顔を出さないから本当に帰ってきたかどうかわからない」と言う人もいれば、「頑張ってるのは、ようわかる。とはいえ、あなたのところはこれだけ規模が大きいんだから、町になにかせないかんよ」と言う人もいた。
 小原は大学に進学して以降、長らく嬉野から離れていたし、和多屋別荘の後を継いでからも「外との交流なんて一切ない」状態だったので、気が乗らないというのが正直なところだった。
 しかし、「子どもの頃から世話になった人たち」の言葉を無視するわけにはいかない。未払い金の完済のめどが立った2015年の秋、重い腰を上げて書いたのが「嬉野茶時」の企画書だった。

茶農家の知り合いゼロから始まった「嬉野茶時」

  それは全国的に名を知られた銘茶地である嬉野のお茶と、400年以上の歴史を持つ肥前吉田焼、そして1300年前から湧出する「日本三大美肌の湯」という嬉野ならではの強みを活かすために、和多屋別荘と創業天保元年の老舗旅館、大村屋が組み、季節に合わせたイベントをしようという内容だった。
 イベントの肝となるのは、7人の茶農家。20代から40代の若手がこのイベントのためにオリジナルのお茶を用意し、自らお茶を淹れて参加者にサーブするという、茶農家にとってもこれまでにない取り組みだった。
 この話を聞いてふと気になり、「小原さん、若手茶農家の知り合いがいたんですか?」と聞くと、「まったくいませんでした」と苦笑した。企画を思いついてから、紹介してもらったそうだ。
「嬉野茶寮」(「嬉野茶時」は全体のプロジェクト名)と名付けたこの企画を実現するため、若手茶農家や肥前吉田焼の窯元と顔を合わせているうちに、小原は重要な気付きを得る。
知らなさすぎましたね。お茶のことも、肥前吉田焼のことも。よくもここまでなにも知らずに、お茶を出したり、器を使っていたなと思うぐらい。産地の文化や歴史、生産者の想いを何も表現できていなかったと痛感しました」
 2016年8月に開催された「嬉野茶寮/うれしの晩夏」は、大きな話題を呼んだ。手応えを得た小原と嬉野茶時のメンバーたちは、嬉野茶、肥前吉田焼、温泉の掛け算で、さまざまなイベントを開催。
 その反響は予想をはるかに上回り、2017年に入るとオファーを受けて嬉野以外でも開催されるようになっていく。2018年には、ANAインターコンチネンタルホテル東京で3日間、マンダリンオリエンタル東京では1カ月半にわたって肥前吉田焼の器を使った嬉野茶のイベントが行われた。

「茶農家イノベーション」を起こす

 舞台はどんどん大きく、華やかになっていったが、ある時、小原やメンバーは立ち止まった。
 当初は嬉野の強みである嬉野茶、肥前吉田焼、温泉を掛け合わせて新しい価値を生み、「もっと嬉野に来てほしい」という想いから始まったプロジェクトが、東京で打ち上げ花火を上げるような一過性のプロモーションのようになっていないか?
 ここで原点に立ち返り、改めて「お茶一杯のために、嬉野に来てください」というメッセージを込めて注力するようになったのが、ティーツーリズムだ。
 ティーツーリズムは、「嬉野茶寮」の活動がベースになり、2018年に始動した。茶畑に「至宝の一杯を提供する茶空間」を作り上げ、そこで茶農家自身が淹れたお茶を楽しむというものだ。
当初、茶空間は副島園の「天茶台」のみだったが、2018年春から2019年春にかけて、ほか3カ所に作られた。
 所要時間60分、3杯のお茶と2つのお菓子付きで、ひとり1万円。この特別感のある体験が、旅行者を惹きつけた。
「コロナ禍でオープンエアーの体験が求められるようになったということもありますが、この2年間は、空前のティーツーリズムブームです。
 例えば、30年以上前から無農薬で有機栽培し、日本で極めて珍しいオーガニックティーを作っているきたの茶園はGoToトラベルがあった2020年の11月と12月、50人のお客さんを迎えました」
 ティーツーリズムの盛況を目の当たりにして、「今まさに、茶農家イノベーションが起きている」と確信した小原は、嬉野茶時のリーダーとしてさまざまなアイデアを出し、サポートした。

1セット30万円のプログラム

 例えば昨年8月、ピエール・エルメ・パリとコラボして、ティーツーリズムのラグジュアリープログラムを開発。きたの茶園でのティーツーリズムを合わせて1セット30万円で販売したところ、10セット売れたという。
きたの茶園のオーガニックティーのために作られた李荘窯の茶器類一式、きたの茶園の嬉野茶を使ったオリジナルマカロン3種類、李荘窯によるマカロンボックス(このボックスを日本のピエール・エルメに持参すると1年間、いつでもマカロンを詰めてくれる)
 また、小原のいとこがオーナーを務める嬉野の温泉宿、和楽園では、昨年9月、嬉野茶時のメンバー、茶屋二郎の松田二郎氏のお茶を味わえる「茶屋二郎 the BAR」がオープンした。
 同じくオーガニックティーを作っている田中製茶工場の田中宏氏は、嬉野の酒蔵、井手酒造で冬の時期に酒造りも手掛けている。このとても珍しい二足のわらじをプロモーションに活かそうと、和多屋別荘お抱えの大工の手で、井手酒造の売り場に田中製茶工場の本店を出そうという話を進めているそうだ。
 小原は和多屋別荘の経営と同時進行で嬉野茶時のメンバーの活躍を後押ししているのだが、「なぜ、そこまでやるのか?」と疑問がわく。その疑問に対して、小原はこう答えた。
「異業種なので、もったいなさや可能性が見え隠れすると、世話を焼きたくなるんですよね。僕はただポンッとアイデアを口にするだけで、『それやっていいですか?』とどんどん動き出す方が多くて、その方が真剣にやられると、割とうまくいったりするという感じです。
 それに世話を焼いた分、うちにもメリットがありますよ。今うちは5人のお茶農家さんとアライアンスを組んでいて、恐らく日本で一番、お茶農家さんが淹れる特別なお茶を出せているはずです。だからうちは『一杯のお茶を求めて旅に来てください』と言えるんです」
 2015年11月に未払金を完済した後、和多屋別荘は見事にV字回復を遂げた。それは従業員との信頼回復から始まった社内改革の成果だが、小原が嬉野茶時の活動を始め、積極的に地域に関与するようになった時期とも重なる。
 嬉野茶時がヒット企画になったことで仕掛け人として注目され、ビジネスメディアや旅系メディアに取り上げられるようになって、交友関係が広がったことも大きな追い風となった。

温泉宿にサテライトオフィスを

 嬉野茶時をきっかけに、小原と和多屋別荘を追い続けていた某誌の編集長から、「ECでお茶を売るつもりない?」と、イノベーションパートナーズの本田晋一郎氏を紹介されたのが、2018年のこと。
 本田氏はWOWOWでプロモーション、CM制作、イベント運営等に携り、2008年にクリエイティブプロダクションを立ち上げた後は大手クライアントの広告・プロモーション制作を担当するだけでなく、映画の銀魂シリーズなどでエグゼクティブプロデューサーを務めた人物だ。
 2019年のある日、和多屋別荘を気に入り、常連になった本田氏から「ここの空間にオフィスあったら面白くないですか?」と言われた小原は、「いいですね」と快諾した。
 それから、佐賀県の企業立地優遇制度を利用した「温泉宿にサテライトオフィス」プロジェクトが本格始動し、2020年3月に佐賀県と和多屋別荘、イノベーションパートナーズで立地協定を結んだ。
 この直後に新型コロナウイルスのパンデミックが直撃したため、「コロナ禍の空室対策」と捉えられがちだが、1年以上前から動いていたプロジェクトだった。そもそも、小原はなぜサテライトオフィスを設けることに賛成したのだろう?
「普通の宿は、従業員と何泊かして帰るツーリストしか敷地のなかにいないんです。宿の人間にとっては、雇ってもいない人間が館内を自由に歩き回っているなんて異物でしかありません。
 でも、嬉野茶時を通して、『お茶農家はこうじゃないとだめ』とか、『旅館はこうじゃないとだめ』という一択で生きることが自分たちの首を絞めていると見えてきたので、このコラボでもなにかチャンスが生まれるかもしれないと思いました」

旅館を『泊まる』場所から『通う』場所へ

 この決断が、窮地を救った。2020年4月、オフィス用に改装した和多屋別荘内の1室をイノベーションパートナーズがサテライトオフィスとして利用し始めた。
 嬉野川に面した心地よいオフィスの賃料は70万円。しかし、嬉野市に住民票を置く人材を3人以上雇用すると、家賃の半分は佐賀県が、4分の1の17万5000円は嬉野市が補助するため、実質的には月々17万5000円で、温泉に入り放題のオフィスを利用できる
 コロナの第一波とタイミングが重なり、和多屋別荘もオープン以来、初めての休業を余儀なくされた。
 終わりの見えない緊迫感のなかで、小原が「うちの宿はこんなふうに終わりを迎えるのか」と半ばぼうぜんとしている時に、イノベーションパートナーズの社員たちは、嬉野で人材を採用しようと前向きに動いていた。
 その姿を見て感じるものがあった小原は、4月27日から5月5日まで9日間、誰にも相談せずに新たな事業計画を立案。
 それが、従来の収益を支えていた団体旅行、婚礼の取り扱いをやめて、「旅館を『泊まる』場所から『通う』場所へ」と生まれ変わらせる「Reborn Wataya Project」だ。
「通う場所」にするためのベースとなるのは、温泉、嬉野茶、肥前吉田焼である。
「その3つこそ、嬉野の普遍的な強みです。GAFAのような存在で、コロナでもまったく揺らがない強さがある。この3つが嬉野のすべての源で、我々はこの上で生かされていると考えています。
 その豊かで魅力ある土地に2万坪の土地と建物があるのだから、私は敷地の管理人としてそれを宿というよりひとつの不動産と見立て、幅広く有効活用しようということです」
 2万坪を不動産と捉え、嬉野と温泉宿の魅力をリーシングに活かす。この発想の転換によって、冒頭に記したようにピエール・エルメの常設店と嬉野の茶農家の本店が同じフロアに入居するという和多屋別荘ならではの景色が生まれた。
 小原は将来的に、現在16軒ある飲食店やショップを20軒から30軒まで増やし、サテライトオフィスとして利用する企業を10社から15社誘致して、宿の従業員以外に常時100人前後が和多屋別荘内で働いているような状況を目指している。
 また、かつて宴会が催されていたような広い部屋はギャラリーや劇場などアートスペースや、ヨガ、トレーニングジムなどのスタジオ、イベントスペースとして貸し出すことも想定している。

雇用、交流、創発を促す町の複合施設へ

 従来の和多屋別荘は1泊2食付きのプランが大半で、旅行客は宿のなかで温泉と食事を楽しんで帰った。通う場所に進化することで、雇用、交流、創発を促す町の複合施設になるのだ。
 和多屋別荘と肥前吉田焼窯元会館で購入可能な上質なお茶をテイクアウトして町歩きを楽しむ「歩茶(ほちゃ)」、嬉野市内の自転車店と組み、レンタサイクルで町と茶園を巡る「茶輪(ちゃりん)」(和多屋別荘内にもサテライト店舗を設置)など、宿泊者、オフィス利用者、施設利用者が町を回遊するプログラムも始まった。
 2021年5月、嬉野観光協会の副会長に就任した小原は今後、これまで以上に町への働きかけもしていきたいと語る。
「町の看板に『お茶と温泉と焼物の町』と書いていなければ、お茶と温泉と焼き物が有名だと知っている旅行者はひとりもいません。これまで、それぐらい表現してこなかったんですよね。
 だから僕は、その看板と標語をぜんぶなくしたうえで、町を挙げて嬉野ならではのお茶と温泉と焼き物を体験できるようにしたいんです」
 小原はいま、日本全国約1700市町村の歴史、伝統、文化、暮らしなどの豊かさを可視化した新しい指標「ローカル株式価値」を作ることができないかと構想している。
 少子高齢化が進み、経済活動が小さな町でも、ローカル株式価値を高めることはできる。アップルが300兆円、トヨタが30兆円と企業の時価総額を比較するように、ローカル株式価値が10兆円を超える地方の町がいくつも出てくれば面白い、と語る。
「株式という表現がいいかどうかは別にして、例えば、10兆円を超えるローカル株式価値を持つ市町村が15あるとしますよね。
 そうしたら、トヨタみたいな価値を持つエリアが日本には15もあるんだ、超豊かじゃんって思えませんか?
 僕は思想家ではないけど、これから経済とは異なる点に価値を認める文化資本主義が始まるとするなら、嬉野はそのロールモデルになりたい」
 小原は、嬉野モデルはほかの地域にも応用できると考えている。嬉野を支える地盤の一層目、普遍的価値が「お茶と温泉と焼き物」だとしたら、「約1700の市町村にも、なにかしら一層目に値するものがある」と断言する。
「視察に来る方たちには、『必ずあります』と答えます。しかも、答えは意外にわかりやすいところにある。恐らく皆さんが普段ボーッと見ているものがそれだと思います。
 まずは、うちの文化ってなんだ? ということを掘り下げるところから始める。その価値を最大化する取り組みを始めるのも、市長と気の利いた市民がひとり、ふたりいれば大丈夫です」
 小原は、文化資本主義のもとでローカル株式価値が10兆円に及ぶような地域がいくつも思い浮かぶという。
 2015年、渋々と嬉野茶時の企画書を書いていた小原は今、嬉野をその域に到達させるために、駆け回っている。