【史実】世界を揺るがせた「7つの悲劇」とその後
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「世界を揺るがせた」暗殺というのは、すでに大功績をあげた人物が突然殺されるから、世界が揺らぐわけですね。
ある意味、すでに役割を終えた人物が殺されてしまったケース、ともいえます。
功績を挙げる途中であった人物の暗殺でしたが、世界史的な悲劇を引き起こした例を挙げてみたいと思います。
1.オーストリア=ハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナント(1914年)
第1次世界大戦を引き起こした暗殺事件、通称サラエボ事件ですが、結果的に2000万人が死亡し、オーストリア=ハンガリー帝国も解体しました。
2.イスラーム共同体の第4代カリフ、アリー(661年)
イスラーム共同体が、創設から40年にして、スンナ派とシーア派に分裂することを決定づけた事件です。
多数派のスンナ派はシリアでウマイヤ朝を成立させ、少数派のシーア派(アリーの党派)は各地に潜伏しながら、イランなどで王朝を成立させていきました。
スンナ派とシーア派の対立は、現在に至るまで数えきれないほど繰り返されて、犠牲者が何千万人なのかも数えきれません。
3.セルゲイ・キーロフ(1934年)
ロシア共産党政治局員であったキーロフは、当時スターリンに対抗しうる唯一の共産党指導者でした。キーロフが暗殺されたのをきっかけとして、スターリンは全権を掌握、キーロフ殺害の「陰謀の黒幕」を摘発するという名目で、「大テロル」とも呼ばれる大粛清を開始しました。
死者は1000万人にのぼりますが、その内訳の多くが共産党や軍の指導的位置にいた人々でした。
(番外編:近代日本)
「世界を揺るがした」というほどではないですが、近代日本にとって大きな影響のあった暗殺となると、
1.大久保利通(1878年)
48歳でしたから、あと20年は日本を独裁的な権力で指導しえた人物でしたが、結果的に、伊藤博文らでつながざるをえなくなりました。
山形有朋の陸軍が政治的に台頭する余地をつくってしまった事件でもあったでしょう。
2.永田鉄山(1935)
いわゆる統制派の中心人物で、51歳にして、陸軍省を掌握していました。東條英機は彼の子分でしたが、永田が暗殺されたことで、第2次世界大戦まで、何のヴィジョンも無い東條が指導せざるをえなくなりました。
永田の指導下であれば、日中戦争も第2次世界大戦も、多少はましになっていたかもしれません。これまでに出ている情報を見ると、どうやら今回の事件はいわゆる「思想犯」ではなく、宗教絡みの私怨に近いものが背景にあったように感じられます。
事件当日の奈良県警の応対を見ても、多くの時間は刑事部長や捜査1課長が説明していて、警備部公安課が出てこないあたりからも、そうした雰囲気はありました。この辺りは今後の捜査や裁判も注目を集めることになりそうです。
歴史を振り返ると、洋の東西を問わず数々のリーダーが暗殺者の犠牲になってきたという一面があります。もちろん動機は様々で、軍事クーデターもあれば、私怨に近いものもあります。そして、その事件の後は多くの場合、政治的な混乱もつきものでした。
そうした嫌な展開が決して起きないためにも、今後の国政に注目したいです。この特集の最初の記事(https://newspicks.com/news/7292221)で専門家の方が指摘していたのが「安倍派がどうなるのか」「保守層の受け皿がどうなるのか」でした。昨日のジェラルド・カーティス先生の「これからが、日本の選択だ」(https://newspicks.com/news/7297701)という言葉も、聞いた時にはゾクッとするものがありました。日本政界にさらなる混沌が訪れないことを願うばかりです。犯人の動機がなんであれ、リスクをとって発言する人間が暴力で口を開くことのできない社会になってしまうなんて考えられません。留学していて平和が前提の日本という国から来たことが何よりの誇りだったので、今でも政治家の暗殺みたいなものが日本で起こったのは信じられませんが、世界での安倍さんの評価がこういう形で見えて偉大なリーダーだったのだなと尊敬します。