2022/7/4

【無料公開】性加害・ハラスメントを引き起こす4つの特徴

NewsPicks編集部
注:6月29日に無料公開いたしました。
今年に入り、告発が続く、映画業界の「性加害」の問題。
プロデューサーや、監督などを頂点にできている業界の権力構造が、暴力を助長し、常態化させていたことが明らかになり始めている。NewsPicksはこの問題に対し、その構造を変えていくための取材を開始し、これまで2つの記事を掲載した。
1本目は、原作者として映画制作に関わる小説家から、当事者の周りにいる人が取れるアクションについて考え方などを聞いた。
2本目は、性的なシーンの撮影現場に立ち会うインティマシー・コーディネーターという専門職について取り上げた。
本日、お届けする記事では、被害当事者を中心に立ち上がった「映像業界における性加害・性暴力をなくす会」の代表者が登場。ともに映画監督である呉美保さん、加賀賢三さんに、映画業界で、性暴力やハラスメントが常態化した背景について語ってもらった。
性加害やハラスメントは、映画業界だけの問題ではない。起こりやすい状況をここで理解していこう。
INDEX
  • 当事者が声を上げはじめた
  • フリーランスが多い業界の難しさ
  • ルールは、権力者次第
  • 「人望」で集う組織の危うさ
  • 現場の歪みがもたらすもの
  • 美談、根性物語に気をつけよう
  • 被害者を支える行動とは
  • 二次加害につながる行動

当事者が声を上げはじめた

──声明を出された経緯を教えてください。
 3月に週刊文春の報道が出ました。
週刊誌の報道が出ることによって、二次加害が起こる恐れがあります。告発された性被害者の尊厳や立場を守るために、被害当事者を中心に「映像業界における性加害・性暴力をなくす会」として、声明を出そうとしました。
ただ、当事者団体の難しいところは、声明を練っていく中で、精神的に消耗する人や、声明に名前を連ねることで、ダメージを受ける場合もあるということ。つまり危険を伴うわけです。
加賀 実名を出すことに関しては懸念する声もあり、急がずに慎重に進めていくことになりました。いろんな人にお声がけをして、映像業界としての問題ととらえ、当事者を含め支援者からなる当事者団体として、4月27日の発表になりました。
 私が声明に参加したのは、脚本家の港岳彦さんから声をかけていただいたのがきっかけです。
私も数年前に、報道と似たような相談を女性スタッフから受けたことがありました。加害者である監督とは、プロデューサーが一緒だったので、そのプロデューサーに相談内容を伝えましたが、苦笑いをされただけで終わってしまいました。
ほんの数年前のことですが、まだまだそのあたりの感覚が鈍感な時代で、自分自身もどこか麻痺していたのでしょうね。
ただ、何もできなかったモヤモヤはずっと消えませんでした。「なぜあの時自分はもっと向き合えなかったのか」という反省が心の中にずっとありました。
被害者の方が、自ら覚悟と勇気を持って声をあげる会だということが、私がこの会に参加する大きな決め手になりました。
(写真:EvgeniyShkolenko/iStock)
私は、医療の専門家ではないので、医療的なケアができるわけではないし、性暴力やハラスメント、そしてジェンダー平等について大々的に何かを発信できるほど知識は持ち合わせていません。
でも、被害者の方々のそばにいて見守ることや、話を聞くことはできるのではないかと。
会の皆さんは初めましての方ばかりですが、参加している全員が、真摯にこの問題に向き合っています。その姿を見ていると、今必要な場所だと、強く感じます。
会のメンバーは、入れ替わりもあります。皆さん心のバランスの取り方はそれぞれでいいのです。自分としては、できる限りここに居続け、学び続けたいと考えています。

フリーランスが多い業界の難しさ

──麻痺していたとおっしゃいますが、映画業界ではなぜ普段から暴力的なことが起こりやすいのでしょう。
 例えば、年配の方の中には冗談半分で配慮に欠けた言動をされる人がいます。これは他の業界も含めて、社会の問題でしょう。
そのような環境の上で、さらに映画業界が特異なところは4つあると思います。
1つ目は、会社組織ではないフリーランスの集まりだということですね。
フリーランスなので、撮影チームはその場に集まって、撮影が終わればその場で解散してしまいます。すなわち問題が起きても、それを処理する能力やシステムがありません。
(写真:sippakorn/iStock)
 ──通報する窓口もないのでしょうか。
 制作プロダクションや配給会社など企業が絡んでいるので、そこが現場の信用を担保しているように見えます。ただ問題を起こしたのが会社員であれば、制裁を科すなどの対応はできますが、フリーランスのスタッフに対してなんらかの処分を下す仕組みはありません。
──加害者がフリーランスだと、責任を取らせられないと。そうなると、問題行動を起こしがちな人材かどうか、可視化されにくいですね。
 そうですね。スタッフ間での噂など、口コミ頼みになります。
加えて、被害者側の話についてですが、今この業界で起きていることをどう思っているのか、第一線で活躍している俳優何人かに聞いてみたのですが、そもそも問題が起きていることや噂さえも知らなかった人が多かったです。寝耳に水という感じで。その人たちは、間違いなく、守られてきたわけです。
──マネジメント会社の力ということでしょうか。ハリウッドで起きたMeTooでも、加害者と仕事をしたことがある人の中に、全く噂を聞いたことがない人もいました。
 マネジメント事務所の力は大きいと思います。あとは立ち位置もあろうかと思います。もちろんその人たちは全く悪くはなく、むしろ守られていてよかったと思います。
今SNSで声を上げている人たちの多くはフリーランス、あとは、事務所に所属していたとしても、そこで声を消されてしまったり、逆に事務所スタッフからの被害を受けたりした人ですね。そういう人たちが、やっと声を上げられるようになったのはSNSの力だと思います。
(写真:P. Kijsanayothin/iStock)

ルールは、権力者次第

加賀 業界のガイドライン的なものがないのが2つ目です。撮影現場ごとに考え方やルールが異なる場合があります。現場に馴染むためには、それぞれのルールや雰囲気に順応する必要が生じてくる。
現場に馴染まなくては、と前のめりで過剰に頑張ってしまうような構造もあると思います。
──この撮影組織では「当たり前」と言われてやったけれど、他の現場を経験したり、他の人の話を聞いたりして、「あの時の行動は、問題だったのではないか」と気づく。気づいた時には、その撮影組織は解散してしまっているから、どうしようもなくなると。
 そうですね。映画業界では、監督の名前で通称「〇〇組」と呼ばれます。
作品の毛色によっても変わりますが、監督やプロデューサーが空気を作り出すので、その方たちがどんなやり方をするかで場のルールが決まります。
加賀 「ここでは当たり前なんだよ」と言われると、当然と思い込まされてしまう。それこそ、現場に馴染もうとする努力が「エントラップメント型」と呼ばれる地位・関係性を利用した性暴力にもつながってしまう。
また無分別に「当たり前」を受け入れてしまったら、今度はその「当たり前」を強いる側にも回ってしまいます。
(写真:doomu/iStock)
──映像業界でエントラップメント型の性暴力が多いことは、声明でも指摘されていましたね。
加賀 性暴力が起こるパターンは他にもあると思いますが、エントラップメント型は業界の構造を利用しているケースも多いです。それならば業界として対策を立てたり、働きかけをしたりできるのではないかと考えました。
 キャスティング権などを握ることができる立場の人は、被害者のある種の弱みを握った状態になりやすい。有無を言わせない空気が出来上がってしまうと、問題行為が起きやすくなります。
加賀 それでも、相手のことを一人の人間として尊重しなければならないと自覚していれば、一度立ち止まることができるはずです。
だから、撮影現場のルールのすり合わせのようなもの、働き方のガイドラインのような、目線を合わせられるものが必要ではないでしょうか。

「人望」で集う組織の危うさ

──「この監督だからついて行きました」というような、インタビューを見ることがあります。撮影現場において、人望があるかどうかは、監督として生き残れるかにつながる大事な要素なのだろうなと思っていましたが。
加賀 それが、先程の話につながるわけです。組織について語る時に、人間性を持ち出すのは危険です。
要は「あの人がいいから成り立っている」というのは、翻って個人の特性に組織が委ねられているということです。
これを前提にするのは、組織論としては不合理です。個人の問題だけでなく、構造の問題にも目を向けるべきです。
 人間には一人ひとり人格があり、それで様々な人が生業を得ていますので、一概に否定されるものではないですが。
ある人の人望に依存して成り立つ組織ではなく、どんな相手、どんなキャリアだとしても、人間として尊重し合える人たちが、現場に集う。
ここを成熟させていくことで、「この人がいたから現場がいい雰囲気になってよかった」と言えるようになったら、とても素敵だなと思います。実際そういう現場もたくさんありますので。
──リスペクトするとは、どういう行動をすべきなのか、わからなくなっている人もいるのではないでしょうか。
 キャリアを重ねている人ほど、自負が邪魔をしてしまうのかもしれません。
よく「昔はOKだったけど、今はNGになっちゃったよ」と悔しそうに言う方がいますが、昔もダメだったことが今、気付かれ始めているのです。
私自身も撮影現場で時間に追われ、イライラが態度に出てしまったり、もしかしたら過去に誰かを追い詰めてしまったりしたことがあるかもしれません。
誰もがハラスメントの加害者もしくは被害者になりうる可能性を自覚することが、大切なのかなと。
(写真:A-Digit/iStock)
──映画業界で大きな存在感があるのは、メジャーな映画配給会社です。これらの企業が、音頭を取って、リスペクトトレーニングなどやっていくという方向へと向かわないのでしょうか。
 大企業が、やると言い出すことはあり得ますが、インディペンデントの映画も多いです。インディペンデントは大手と比較して、より予算が少ないので、業界全体まで、浸透させるのはなかなか難しいとは思いつつ、前向きに願いたいことです。
──インディペンデント映画で、問題が起きやすいのでしょうか。
 そうとも言い切れないです。すべての映画制作の現場を見てきたわけではないので、一概に言えませんが、現場次第だと思います。
加賀 現場は技術職の集まりでもあります。専門的なことなので、立ち入れない部分もあり、職域の隔たりもある。それは、映画に限らず、専門職が多い業界で言えることではないでしょうか。
だからこそ、ローカルルールのすり合わせみたいなことが必要で、データを取ったり、第三者機関による実態調査をしたりする必要があると思います。

現場の歪みがもたらすもの

加賀 権力を持っているのは監督やプロデューサーという固定観念で語られがちですが、撮影現場によって、誰が権力を持っているかは、一定ではありません。
例えば、座長(主演)が有名俳優で、逆らえないという現場もあります。
撮影監督や助監督がイニシアチブを取っている場合もある。
ネームバリューを持っている監督であれば、プロデューサーが監督にアゴで使われている場合もあります。
(写真:powerofforever/iStock)
どこが力を持っているかは、本当にまちまちです。
そういう構造なので、現場でマウント合戦が起こる。みんな舐められないように牽制し合う状況も考えられます。
そうなると、問題行動が起きやすい。自分の助手にわざと強く当たって見せて、「自分は力を持っている」と誇示する人もいるように感じます。
 ここに紐づくのが、お金(製作費)の問題ですね。
スタッフ同士がマウントを取り合ってしまう要因のひとつに、限られた予算と時間の中で、撮影を仕切らなくてはならないということがあります。
最後まで撮り切るという目標に向かって力業で撮影するしかない。予算がないと、気持ちも疲弊するので、立場が弱い人に皺寄せが行きやすい。
問題行動が起きやすい現場は、予算に苦しめられている場合が多いように見えます。
何度も言いますが、全ての映画制作の現場を見ているわけではないので、決して断言することはできないのですが。

美談、根性物語に気をつけよう

加賀 3つ目の映画業界の特徴。あくまで僕の印象ですが、脱ぐことや、濡れ場を演じることがやる気や根性を証明しているように語られやすいことです。
よく映画の記事でも、脱いで濡れ場を演じたことを「体当たりの演技」「役者根性を見せた」などと書かれがちです。メディアがそういう言葉を使うことも、俳優の本意ではない行為へと向かわせているでしょう。
4つ目は、特殊な業界だから、無理をして当たり前、モラルや常識を踏み越えてこそいい作品が作れるという精神性を持っている人がいることです。暴力もありました。
 20年ほど前になりますが、ある映画のメイキング映像で、制作スタッフを監督が殴っている映像が入っていたものもあります。
──公に見せていいものと思っているということですよね。
加賀 美談になりえると思ったのでしょうかね。
 もしかするとメイキングディレクターが暴力行為に対する告発のつもりでつないだのかなと、当時は前向きな解釈もしてみましたが、いずれにしても相手を一人の人間として尊重できていないから起きていることには違いありません。

被害者を支える行動とは

──今後、行政への働きかけや、法的な対応などは考えていますか。
 行政へのアプローチについては、何ができるか議論しているところです。法的なアプローチについては、多面的に捉えて、考えていきたいと思っています。
加賀 映画業界で起きているエントラップメント型と呼ばれる性加害については、現在の刑法では取り締まることが難しい。
現在は、暴行・脅迫などが、強制性交等罪の構成要件になっているのですが、性的同意の有無を構成要件にするべきという意見もあり、今国会で議論されています。
この会がどういう働きかけをするかは慎重に探っているところです。
明らかに性加害だと、被害者・加害者ともに認めているケースでも、立件できない例はあります。
旧強姦罪の構成要件が見直され、強制性交等罪が施行されたのは2017年のことです。それまでの旧法が定める被害者は現行法より限定的なものでした。しかも、被害者側の告訴がなければ、起訴できない親告罪でした。
今後もし、法改正によって犯罪の対象が拡大されたとしても、そこからこぼれ落ちる例も出てくるでしょう。
声明にも書いていますが、法律上の判断に関わらず、被害は被害で、被害者の心は傷ついています。法の示す範囲までが被害者を定義するものではないということは知っていただきたいです。

二次加害につながる行動

加賀 エントラップメント型のように、性暴力を類型化して、対策を練ろうという話も進展していくでしょう。それはとても重要なことで、やっていかなくてはならないことだと思います。
一方、対策や類型化が繰り返し語られることで、過去起きたことについて「あの時、こうすればよかったのではないか」という見方が出てくる危険性も考えられます。ただ、被害者は皆、起きたことの結果を生きています。
現在、我々が持っている知見から過去を振り返って、「あの時、こうすればよかった。被害者にも落ち度があったんじゃないか」などと、過去の被害者の立場を悪く言うことにつなげないでほしい。それは、その時に見えていなかった選択肢だったかもしれないわけで、アンフェアです。
(写真:tadamichi/iStock)
 性暴力を受けた人は、その時の体験が一生ついて離れず、苦しみ続けるそうです。
「心を殺された」状態だそうです。それを気軽に「過去の自分自身による落ち度」程度に捉えないでほしいですし、被害者にとっての決死の告白を疑いの目で蔑ろにしないでいただきたいのです。
毎日生きていたら笑うことはあるし、面白いこともあるけれど、性被害の記憶は、その片隅にはずっと残り続けるもの。それくらい本当に罪深いことです。
加えて、被害者は女性に限りません。男性から女性もあるし、女性から男性も、男性から男性、女性から女性など、全てあります。
加賀 どんな立場であれ、どんな属性であれ、どんな人格の人であれ、被害に遭うことはあります。
報道を含むメディア表象によって、社会が被害者に「被害者らしさ」という呪いをかけているようにも感じます。例えば、内在化したルッキズムやセクシズムなどによって、現実の被害を等閑視してしまう危険性です。
そのような固定されたイメージは、被害当事者が自らの声を押し殺してしまう圧力になり、さらには第三者による曲解や勝手な理由づけによる二次加害に結びついているようにも思えます。
被害者がそういったことに囚われることなく声を上げられる、被害が可視化される社会になってほしいと願っています。
この会に関しては、活動することが難しいタイミングもあります。すぐに実行できないこともあるでしょう。
それぞれのペースで、コンディションを尊重しながら、この時代にSNSなどで伝え続ける。それが1人から2人、3人と増えていく。スピードは遅いかもしれないけれど、続けていくことが大事です。
問題意識を持っている人や、声を上げたい被害者の方もまだまだたくさんいると思います。
声を上げることにはリスクが伴うことも多いので、率先して背中を押すことはできませんが、我々が声を上げ続けていくことで「声を上げることのハードル」を少しでも下げられたらというのが、この被害当事者団体としての一つの願いでもあります。