2022/5/19

【提言】患者を治すのは、医者だけじゃない

NewsPicks Brand Design editor
 小売業やサービス業では、顧客視点にサービスを構築する姿勢は、もはや当たり前のものになった。一方で、その視点がなかなか浸透してこなかった業界が、医療・製薬業界だ。

 なぜ、医療・製薬業界では、顧客である患者視点が反映されにくいのか。どうすれば、患者中心のサービスを提供できるのか。

 その実現に向けてセールスフォース・ジャパンと協業し、製薬業界のDX支援プラットフォーム「Connected Health」を提供するのが、デロイト トーマツ コンサルティングだ。さまざまなステークホルダーが複雑に絡み合う医療・製薬業界を、どう変革するのか、話を聞いた。

「患者視点」が抜け落ちる日本の医療

──デロイト トーマツ コンサルティング(以下、DTC)で製薬企業のDXを推進する田尾さんは、日本の医療・製薬業界にどのような課題意識を持っていますか。
田尾 これまでの日本の医療・製薬業界は、一方通行のサービスでした。つまり「患者視点」が抜け落ちていたんです。
 たとえば、風邪をひいて病院に行った際、こんな体験をしたことがあるのではないでしょうか。
 まずは病院まで実際に足を運びます。予約は取れず、1時間ほど待合室で待機。やっと自分の番が来たと思ったら、診察時間はたったの3分。
 薬をもらうまでには、薬局でさらに待つ必要があります。薬に関するアフターケアもないため、服用は全て自己管理です。
 患者視点で考えると、決して良い体験とは言えないですよね。
 もちろん、質の高い医療が国民に広く提供される日本の医療体制には、大きな価値があります。ですが「患者視点」のサービス提供という意味では、改善の余地があると思うのです。
──なぜ日本の医療・製薬業界では、患者視点が育ちにくかったのでしょう。
田尾 日米を比較すると、民間の医療保険が主である米国では、医療費がかなり高額になるケースも多いため、患者自身が“顧客”であるとの意識を持ちやすい。
 一方で、気軽に低額で病院にかかれてしまう日本では、良いとは言えない顧客体験だったとしても、「まあこんなものか」と受け入れてしまうのではないでしょうか。
 さらに製薬業界の視点では、医師が処方箋を発行する医療用医薬品については、製薬企業は患者に対して広告宣伝ができません。
 結果、製薬企業にとっての顧客は患者ではなく、薬を処方する医師であるという認識が定着してしまっているのです。
早田 そんななか、患者視点を医療に取り入れ、患者の利便性を高めるには、データやテクノロジーの活用が欠かせません。
 ですが、患者視点が浸透してこなかった日本では、医療・製薬業界のDXもまだまだ“フェーズ1”という段階です。
 そもそも日本では、医療データの標準化がまだ進んでいません
 たとえば米国では電子カルテの作成に使う共通コードが疾病ごとに設定されているため、データを共有しやすい。一方日本では、同じ「胃がん」でも、A社とB社が提供する電子カルテでは、それぞれコードが異なります。
 よってそのデータを共有・活用しようとすれば、バラバラなデータを名寄せしなければならず、そこに膨大なコストと時間がかかる。
 今まさに産官学で連携してデータの標準化を進めていますが、その動き出しが遅れたことは、医療・製薬業界でいまだにデータをうまく活用できていない要因の一つだと思います。
 その差が表れた象徴的な事例が、新型コロナウイルスのワクチン接種プログラムです。日本はワクチン接種のシステムが整うのが、G7、主要7カ国の中で最も遅い国でした。
 一方でアイルランドでは、セールスフォースのプラットフォームを活用してシステムをわずか14週間で構築し、全国民が1・2回目の接種を受けられる仕組みが整備されたんです。

自社視点から、患者視点へ

──患者視点の医療・製薬を実現するために、どのような仕組みや行動が求められているのでしょうか。
田尾 小売業やサービス業のマーケターが“カスタマージャーニー”を描くように、医療・製薬業界でも患者が健康であるときから、病気を認識し、完治するまでのプロセスを示した“ペイシェントジャーニー”を描く必要があると考えています。
 ここまでは、製薬企業を中心に取り組んでいることが多いと思いますが、問題はその後の視点が、「自社は何をできるか」という思想になってしまうことです。
 結果として、予防から疾患の認知、情報収集や診断、治療、予後モニタリングなどのプロセスにおいて、サービスが分断され、サービス提供者も病院、製薬会社、医療機器メーカー、保険会社などバラバラです。
 そのため関わるプレイヤーが変わるたびに患者の体験は切り離され、一貫したサービスが受けられずにいます。
 その課題を解決しようと、私たちDTCは、患者と医療機関や製薬企業をつなぐプラットフォーム「Connected Health」を提唱しています。
「Connected Health」を活用して患者を取り巻く全てのステークホルダーをデジタルでつなぎ、各プレイヤーが取得したヘルスケアデータを一元化する。そのデータを用いて、最適なサービスとして患者に還元する。
 こういった取り組みを通して医療・製薬業界のDXを推進し、患者視点のヘルスケアを実現したいのです。
──コンサルティングファームであるDTCが「Connected Health」を提供する意義は、どこにあるのでしょうか。
渡邊 1点目は、患者の疾患ごとに固有のペイシェントジャーニーを設計できる専門性の高い人材が揃っていること。
 メンバーにはライフサイエンスに特化したコンサルタントや元医療従事者が在籍しているので、そのナレッジを活用し、患者にとって価値の高い顧客体験をデザインできるのが強みです。
 2点目は、デザインしたペイシェントジャーニーをEnd to Endで実現できること。
 患者中心の世界観をオペレーションとシステムに落とし込み、戦略策定からプラットフォームの構想、システム開発や実装まで、一貫したサービスを提供できる体制がDTCにはあるのです。
──DTCのプラットフォームは、セールスフォースのクラウド型患者情報管理ソリューション「Health Cloud」を活用して構築されています。両社が協業することで、どんな価値が生まれますか。
早田 ペイシェントジャーニーを設計する上で、重要なデータは2種類あります。
 1つは、病院内で保有されている患者の属性や症状のデジタルデータ。もう1つは、個人が保有・管理するPHR(Personal Health Record)で、ウェアラブルデバイスやスマートフォンアプリを通じてトラッキングされる日々の活動量や身体的なデータなどが含まれます。
「Health Cloud」は、この2つのデータを1つのプラットフォームに収められるのが特徴です。病院のデータとPHRを連携すれば、予防の段階で病気の兆候を感知し、早めの受診を勧めることも可能になります。
 ただし、それを実現するにはさまざまなステークホルダーを巻き込んでプロジェクトを進めなければいけない。医療・製薬業界だけでなく、自治体や保険業界との協業も必要ですし、テクノロジー企業とのコラボレーションが発生する場面もあります。
 その点、DTCには豊富なプロジェクトマネジメントの実績があり、立場の異なるプレイヤーを巻き込みながら、目指すビジョンに向かって取り組みを前進させる実行力がある。そこが弊社にはない強みであり、2社が協業するメリットだと感じています。
渡邊 我々コンサルティングファームは、ニュートラルなポジションで動けることも、強みの一つですね。
 もし同じことを製薬企業の主導で進めようとすれば、医師や病院と折り合いがつきづらいこともあるかもしれない。中立的な立ち位置にいるDTCだからこそ、色々な立場の人たちを巻き込めるのだと思います。

鍵を握るのはマインド変革

田尾 Connected Healthを活用した事例も既に生まれています。
 たとえば、パーキンソン病患者をサポートするプロジェクト。
 パーキンソン病は、体の動きに障害が現れる病気で、治療には体の震えや転倒の増加といった日常生活での変化を捉えることが重要となります。
 そこでこのプロジェクトでは、アップルウォッチなどのデバイスでモニタリングし、医療機関とそのデータを共有、正確な情報をもとに、適切なオンライン診療や服薬指導を提供しています。
 薬も自宅に配送し、わざわざ病院に行かなくても済む仕組みを構築しました。
 さらに別の事例では、患者ごとに最適なペイシェントジャーニーを設計したことで、患者の治療アドヒアランス(治療や服薬に対して患者が積極的に関わり、その決定に沿った治療を受けること)が20〜30%増加したとの報告もあります。
 治療や服薬への納得度が高まることで、薬剤の継続率にもつながるのです。
──患者の立場としてはぜひそんな未来を実現してほしいのですが、多くのステークホルダーが存在するこの業界。「Connected Health」の推進は、一筋縄には進まないのでは。
田尾 私たちが掲げるビジョンに共感できても、ROI(投資利益率)の観点から投資をためらう製薬企業は少なくありません。また患者データは機微な個人情報に当たるため、コンプライアンスの問題を懸念する企業もあります。
 この壁を突破するには、経営陣がコミットするしかない。企業の経営陣が「これは我々がやり遂げるべきチャレンジだ」と号令をかければ、現場も「どうやったらできるか」というモチベーションで動き出します。
 そのためにはDTCが経営層に働きかけ、強いコミットメントを引き出していきたいと考えています。
渡邊 製薬業界のDX人材不足も課題です。IT担当者はいても、既存ビジネスへの対応にリソースを取られ、新しいチャレンジに手が回らないのが実情です。
 この課題を解決するには、そもそも日本にDX人材が少ない現状を変える必要がある。そこでDTCとセールスフォースは、昨年から共同でDX人材育成プログラム「Pathfinder」の提供を始めました。
 一般から受講者を募り、技術的知識を習得してもらい、セールスフォースの認定資格取得や就労先を探す支援も行ないます。
 製薬会社が個別にDX人材を採用・育成するのは難しいので、私たちのような外部のプレイヤーが取り組みを推進する価値があると考えています。
田尾 人生100年時代を迎え、これまで通りの医療体制の維持が困難を極めているなかで、私たち一人ひとりが医療への向き合い方を見直すフェーズに来ていると思います。
 患者自身も主体的に自分の健康管理に気を配り、治療段階でも積極的に関与していく。自身のWell-beingに対するオーナーシップが求められているのではないかと。
 DTCのプラットフォームを通じて患者が自分のデータを提供し、その見返りとして病気を予防できる。より良い医療体験が提供されて、長い人生を健康に過ごせる。
 セールスフォースをはじめとしたさまざまなステークホルダーと協力し、そんな未来を実現したいと思います。