2022/5/13

【塩崎悠輝×東レ】世界80億人の「水資源」をまかなう方法とは

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 2050年には世界人口が100億人に迫る。地球環境がどれだけの人口を支えられるかは、日々の生活用水だけでなく、食料生産や産業にも必要な「水」の量によって決まる。
 現在、地上で活用できる水資源はどれだけあるのか。これから世界人口が増え続け、都市化が進むとすれば、浄水処理や最適配分によってそのキャパシティを増やすことができるのか。
 逆浸透膜技術で海水を淡水に変えるソリューションを世界に展開する東レの下山哲之氏と谷口雅英氏、国際関係や世界情勢を幅広く解説するプロピッカー・塩崎悠輝氏へのインタビューで、もっとも身近な資源「水」について考える。
INDEX
  • 世界に80億人分の水資源はあるか
  • 「海」を水源に変える技術
  • 「水」のコストをどこまで下げられるか
  • 誰もが安全な水を使うには?

世界に80億人分の水資源はあるか

── 日本にいると実感しにくいのですが、世界を見ると「水」が不足している。これは、どういうことなんでしょうか。
塩崎悠輝 水資源といっても、生活用水から産業用水までさまざまです。農業や発電にも水を使うし、鉄鋼を製錬するにも、半導体をつくるにも大量の水が欠かせません。
 水資源を効率的に活用するためには上下水道などのインフラ整備が必要なのですが、基本的に、ある国土で使える淡水の量は増やせないんです。
── 大雑把に分けると、地上に溜まる雨を使うか、地下水を汲み上げるかですよね。
塩崎 ええ。そこで今、多くの国や地域で問題になっているのが「都市化」による人口集中です。
 たとえばサウジアラビアは、この40年で3倍ほどに人口が増えました。ほかにも、シンガポールやイスラエル、インドネシア、カタール、クウェート、アラブ首長国連邦……本来、それほど多くの人が住める場所ではなかったところでも人口が増加し続けています。
 たとえ国土全体では十分な水があったとしても、1000万人が密集すると供給が追いつきません。上下水道などの水インフラが未整備な地域も多く、地下水を汲み上げて農業用水や生活用水を確保している地域では、塩分が地表に集まって農地に適さなくなる塩害が起きたり、地盤沈下が起きたりもしています。
 いずれも、ある地域に供給できる水資源は限られているのに、そのキャパシティを超える人口が集中していることが問題です。
下山哲之 サウジアラビアの国土の9割は砂漠です。
 かつては地下水を汲み上げて使ってきましたが、地下水汲み上げ規制や人口増加とそれにともなう農業用水需要によって、飲料水の取水源が不足してしまいます。また、オイルマネーによる工業化も進められており、そこにも大量の水が必要です。
 こういった背景があり、海水をろ過して真水をつくるという需要が生まれてきました。
 東レでは1968年にほかに先がけて逆浸透膜の開発を始め、安全・安心・安価な水を提供できるよう高性能の水処理分離膜を開発してきました。その「膜」が、サウジアラビアの海水淡水化プラントにも使われています。
東レの逆浸透膜は、サウジアラビア王国にある世界最大規模の海水淡水化プラント「ラービグ3」に採用された。造水量は1日に60万立方メートル(6億リットル)。東レグループ子会社の現地法人Toray Membrane Middle East LLCを通じて膜の生産と提供、運転技術支援などのサービスも提供する。
── 海水プラントから1日に6億リットルの真水を採れるとなると、人工的な水源が生まれたようなものです。今後、こうした技術によって水資源を増やしていけるんでしょうか。
谷口雅英 もともと人類は、人口の増加や集中とともに水処理技術を発達させてきました。
 最初は雨水・河川・湖沼水が山や土砂などによって自然にろ過された水を汲み上げていましたが、粒を揃えた砂で数十センチ~数メートルの厚みのろ過層をつくり、重力で不純物をこし取る「緩速ろ過」が広まりました。その後、凝集剤を使ってろ過しやすくしたり、加圧や吸引によってスピードを速めたりして「急速ろ過」が行われるようになりました。
 つまり、水処理技術の進歩によって、より小さな面積で、スピーディーに水を浄化できるようになったことが、都市への人口集中を可能にしたと言えます。
人口の増加や都市化にともない、より小さな面積で効率のよい水処理技術が求められる。海水淡水化にも使える「膜ろ過」は、歴史的に見ても新しい水処理技術だ。
 一方、降雨が少ない水不足の地域では、海水を真水に変えるために熱を加えて沸騰させたのちに凝縮させる「蒸発法」という技術が使われてきましたが、東レの逆浸透膜は、ろ過膜を通すことで海水中の塩分を取り除きます。より少ないエネルギーで、海水から飲料水を手に入れることを可能にしたんです。

「海」を水源に変える技術

塩崎 私は東南アジアやイスラームの研究が専門で、その立場から水問題や水ビジネス、それにかかわる技術に関心を持っています。こういった水資源の問題は、国際関係や安全保障とも絡み合い、周辺諸国との協調が求められるからです。
 いま海水淡水化プラントなどによる水の確保に注力している国には、中東湾岸諸国のほか、イスラエルやシンガポールが挙げられます。
 財政的な余裕がある国は、プラントへの設備投資も、上下水道などのインフラを計画的に整備することもできます。そうした国が大規模な投資を行うのは、水資源が国境をまたいで行き来する自国のライフラインだからですよね。
谷口 そうですね。イスラエルには1日数十万トンの海水を淡水化するプラントがいくつもあって、1000万人分の水を地中海の海水から生み出しています。
 一箇所にまとめることもできるでしょうが、安全保障上の問題もあって、あえてプラントを分散させています。
塩崎 そうした経済的に余裕のある国以外にも、エチオピアやナイジェリア、マダガスカルなどのアフリカ諸国では、これからますます人口が増え、水不足が深刻になると見られています。
 そこでお聞きしたいのですが、逆浸透膜を使った淡水化で、途上国にも手の届くほど安価な水資源を提供できるのでしょうか。
谷口 まず、設備規模の観点からお話しすると、逆浸透膜の特徴は、この筒型のエレメント1本から使えること。小規模な事業者や村などの単位で設置でき、大きな浄水場からの送水インフラなしで、その場で飲料水を得られます。極端に言うと、ボートに積んでプライベートユースのような使い方もできるのです。
 一方、直列・並列に組み合わせることで大規模なプラントにも対応できます。
 また、造水コストの面では、水資源に乏しく、エネルギー資源が豊富な中東では、海水を沸騰させて蒸留する「蒸発法」が一般的でした。
 蒸発法では、理論的に1トンの水をつくるのに600キロワットアワー/立方メートルほどの熱量を消費します。エネルギー効率を上げるマルチエフェクト(多重効用蒸発)方式などによって省エネにはなっていますが、それでも10分の1程度。毎時60キロワットアワー程度のエネルギーが必要です。
 その点、逆浸透膜を使うと、3~4キロワットアワー程度のエネルギーで海水を淡水に変えられます。
 処理する前の水質などの条件にもよりますが、逆浸透膜のエレメントを通してろ過するだけなので、最先端の蒸発法と比べても10分の1以下のエネルギーコストで済むんです。

「水」のコストをどこまで下げられるか

── エネルギーコストが下がると、水の値段はどれくらい下がりますか。サウジアラビアの水は、日本よりも高いと思うのですが。
谷口 必ずしもそうではありません。日本の水道料金も自治体によって全然違いますが、1立方メートル(1000リットル)あたりおよそ100~200円です。対して、中東などの海水淡水化プラントでつくっている水も、ほぼ同程度の値段に抑えられています。
 中東では発電に化石燃料を使いますが、そこで出てくる熱を使いながら、蒸発法で水もつくってきました。季節によっては水がたくさん必要で、電気が余ることも出てきます。その余剰電力を海水淡水化に用いることで電力単価は下げやすいと言えます。
 ちなみに、造水コストに占める電気代は、全体の3分の1くらい。設備費が同じく3分の1で、ほかにも人件費などのコストがかかっています。
塩崎 世界に普及させるには設備投資がネックになりますが、上下水道などのインフラが整備されていない国や地域にも導入できるでしょうか。
 たとえば、バングラデシュの東部には、ロヒンギャという人たちが100万人ほど居住している難民キャンプがあります。そういう地域のおもな生活用水は井戸水で、そのすぐ横にトイレがあったりする。不衛生な環境で、水がコレラなどの伝染病を媒介しています。
 こういった地域では凝集剤(水中に含まれる物質を凝集する薬品)を使って、最低限煮炊きして料理ができるような水を、非常に安価に普及させる方法が有効ではないかと言われています。
 もちろん長期的にはインフラがあったほうがいいとは思いますが、上下水道や淡水化プラント、再利用できるほどの浄水設備は、多くの国にとって高価な買い物です。
 また、インフラを輸出すること自体にも、管理や運営の持続性を考えるとさまざまな難しさがあります。
下山 そうですね。私たちは民間企業なので各国の政策までは立ち入れませんが、東レとして貢献できるとすれば、素材技術によって造水コストを少しでも削減できるように、より水を通しやすい膜を開発することです。
 また、その材料を適切に使っていただくために、前処理やメンテナンスも含めた使用条件の最適化に向けて、お客様であるエンジニアリングメーカーとも相談し、デベロッパーや行政などとも協力して技術を普及させていく必要があると認識しています。
 おそらく新興国でも、各国によるODA(政府開発援助)や世界銀行の融資など、ファンディングができる下地は少しずつ整ってきたと思います。ただし、新しい装置を導入しても現地の人たちが使いこなせなかったり、メンテナンスが不十分で設備の能力が発揮できていなかったりするケースもあるのではないかと考えています。
 そのようなケースにおいてどういったサポートができるのか。さまざまな地域の状況やニーズに合わせていかに解決すればよいか。私たちも常々考えています。

誰もが安全な水を使うには?

── 塩崎さんから見て、現在、世界で起こっている水資源問題の難しさはどこにあると思いますか。
塩崎 それに答えるには、いろいろなことを話さないといけませんね(笑)。大きな観点では、今さまざまな国が抱えている水資源を巡る争いを、国際社会が協調して解決していけるのかが気になっています。
 先ほどイスラエルやシンガポールを例に挙げましたが、イスラエルの場合はおもな水源がヨルダン川で、その源流のあるゴラン高原を巡って、シリアとの領土争いが起こっています。
 隣国のヨルダンには国民より多い人数のパレスチナ難民やシリア難民が居住していて、たとえイスラエルだけが淡水化プラントで水資源を確保できたとしても、周辺地域に行き渡らなければ将来的な紛争の火種を残すことになります。
ヨルダン北部にあるザータリ難民キャンプ。2011年のシリア内戦から逃れたシリア難民の居住者は、2013年に20万人を超えた。(写真:U.S. Department of State, Public domain, via Wikimedia Commons)
 また、シンガポールは1965年にマレーシアから分かれてできた国ですが、今でも淡水はマレーシアから運んでくるしかありません。イスラエルほど危機的ではありませんが、マレーシアの財政が厳しくなれば、水の値段を2倍、3倍に上げたり、水の供給を外交の道具として使ったりする。これは、過去に起こったことです。
 これらの国にとって、淡水化や水資源を再利用する技術は生存のためのインフラであり、周辺国家にとっても国際関係や安全保障に直結する問題です。
 もうひとつの懸念は、自国の政府だけでは水インフラを整備できない国が、世界にはたくさんあることです。
 長期的に都市を機能させるには、水源だけでなく安定的に水を供給するインフラを敷設し、管理しなければなりません。でも、都市圏を含めて3000万人が暮らすインドネシアの首都ジャカルタでは、上下水道の整備が不十分で、頻繁に下水道にゴミが詰まって洪水が起こるような状況です。
インドネシアの首都ジャカルタでは、大雨に加えて地盤沈下や下水のゴミ詰まりなど複合的な要因でたびたび大規模な洪水が起こっている。(写真:iStock / AsianDream)
 上水道もない地域が多く、地下水をみんなが汲み上げた挙げ句に地盤沈下を起こし、別の島に首都を移転する計画が持ち上がっているほどなんです。
── 首都を移転するより、上下水道を整備するほうが安上がりではありませんか。
塩崎 私もそう思います。なぜ将来のためにお金をかけて、上下水道を整備しないんだろう、と。
 もちろん、首都移転には交通渋滞や地価高騰など、ほかの理由もあるのですが、東南アジア、中東、アフリカなどの国々を見ていると、少なくとも国単位では中央集権的なインフラを整備できない国のほうが多い。
 突き詰めると社会のあり方の問題で、政治や統治、もっといえば家族関係や部族社会のあり方から変えていかないといけないような課題に行き着きます。
 そのような社会があることを踏まえて「適正技術」を考えていかないと、世界の人々に水へのアクセスを届けることはできない。そこが難しいんです。
下山 おっしゃるとおり、中央集権的な水インフラを構築するのが一番効率がいい。ただ、そうなると給水管や配水管などの整備にも莫大な費用がかかります。
 そのネットワークがまだ十分にできていない国では、通信インフラを固定電話ではなく携帯電話で構築したような、中型・小型の設備を点在させていくような新しい水インフラが必要かもしれません。
 SDGsでも「安全な水の供給」が目標のひとつに掲げられていますが、東レも自社の水処理膜によって創出される年間造水量を2030年度までに3倍に増やす(※2013年度比)という数値目標を掲げています。
 我々の先端技術がまず実装されるのは設備やインフラに投資できる国々になりますが、そこで磨かれた技術や素材は、より経済的なソリューションを広く世界に普及させる足がかりになります。
谷口 本来人が求める水の質は、アフリカでも日本でもそこまで変わりません。塩崎さんがおっしゃったような「適正技術」を考えるうえで、地域分散型の小規模な設備から考え始めることは有効で、膜の技術はそれに適した技術だと思います。
 水道が引けない地域はたくさんありますし、日本の地方都市でさえ、大型の下水処理場に集めて処理しているとは限りません。大規模な設備投資が難しい地域へ、運用コストを抑えて水処理設備を導入するニーズは世界中にあります。
 安定的に運転するには装置の自動化やメンテナンスの簡略化も必要ですし、私のような技術者から見ると、逆浸透膜自体の性能にもまだまだ追求の余地があります。
 不純物を除去し、海水を淡水化するといっても、まだ除去率は99.8%。十分に飲める水にはなるものの、さらに水質をよくするイノベーションが起これば、より小さなエネルギーでより多くの水を通す技術の向上につながります。
ただし、ここから0.1%性能を上げるためには、何らかのブレイクスルーが必要です。
下山 水資源のような社会課題には、民間企業としての事業展開を考えるだけでなく、社会の公器としての意識を持って解決に取り組むべきだと考えています。
 水をつくる性能や処理効率が高まるということは、その分、水資源のコストが下がるということ。東レとしては素材技術の追求を続けることで、世界の誰もが安全な水にアクセスできる未来に貢献していきます。