2022/4/5

【核心】アメリカは本当に、日本を守ってくれるのか?

NewsPicks編集部
アメリカは本当に、日本を守ってくれるのか?
ロシアによるウクライナ侵攻によって国際秩序が揺らぐ中、このシンプルな質問は、日本の安全保障にとって重要だ。
第2次世界大戦が終結した1945年、日本はGHQによって武装解除され、平和国家として歩み始めた。
「軽武装、経済優先」の掛け声のもと、アメリカの安全保障の傘に入りながら経済への投資を優先させ、世界有数の経済大国として成長を果たした。
戦後77年、日本の安全保障はアメリカによって守られてきたと言っても過言ではなく、多くの日本国民は、日米安全保障条約の「防衛義務」を疑うことはなかった。
しかし今、世界でアメリカのプレゼンスが低下し、グローバルに軍事力を張り巡らせる力を失いつつある。
アメリカ世論も国外での戦争に反対する声が多く、「アメリカの国益」をシビアに分析し、参戦への判断に対しては慎重になっている。
そうした中、日本に有事が起きた時、アメリカは本当に守るのか。日米安全保障条約の条文を読みながら、改めて考えてみたい。
防衛研究所の千々和泰明氏(戦史研究センター安全保障政策史研究室主任研究官)による解説をお届けする。
INDEX
  • 日米の「思惑」が一致
  • 解説:旧日米安保
  • 高まる日本の「対米」不満
  • 解説:新日米安保
  • 「日米安保」2つの盲点
  • 平時と有事で「負担」が逆転

日米の「思惑」が一致

ウクライナ情勢を受けて日本でも安全保障の議論が広がる中、「日米安保」という単語を聞く機会が増えました。
日米安全保障条約が戦後の安全保障の根幹であることは、多くの日本人の共通認識でしょう。
ところが、その成り立ちについて正確に理解している人はそう多くはありません。本稿ではその歴史から内容まで、改めて日米安保条約をひも解いていきます。
すべてのきっかけは、1945年の2月に開催された連合国の首脳会談。クリミア半島南部のヤルタという場所で開催されました。
アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルト、イギリス首相のチャーチル、ソ連の最高指導者スターリンが集まり、戦後構想が話し合われました。
当時、すでに第2次世界大戦は終盤で、ドイツと日本の敗戦は確実な情勢。そこで戦後の国際政治体制として、米ソが協調して、ドイツと日本を厳しく監視していくことを決めました。
しかし、第2次世界大戦の終結後、米ソ間での対立が深刻化。アメリカはドイツと日本を抑え込むのではなく、むしろソ連の膨張に対峙する必要に迫られました。
そこで西ドイツ(当時)と日本を西側陣営に引き入れるという路線転換をしていきます。共産圏に組み入れられないよう、アメリカは日本の安全を確保するようになりました。
同時に日本では、当時の吉田茂政権が吉田ドクトリンと呼ばれる「軽武装、経済優先」の方針で戦後の復興を進めていきます。
そうした両者の考えが一致し、1951年9月8日に最初の日米安全保障条約(旧)が署名されました。サンフランシスコ講和条約署名と同日の出来事でした。
旧日米安全保障条約に署名する、吉田茂元首相(写真: Bettmann/Gettyimages)

解説:旧日米安保

旧日米安保条約の内容は、特異なものでした。