「女性には女性の、男性には男性のよさが」 NTT社長が入社式で
コメント
注目のコメント
「「私たちは女性と男性は違うと考えています。人間という意味ではもちろん一緒ですけれども、能力や特性の得意な分野が違うと思います」との見解を示した。
社員評価のあり方についても「女性が得意な分野で男性も測定してしまうと、男性にとってはビハインドになりますし、逆に男性にとってのみ得意な分野で、女性が苦手な分野を強く評価してしまいますと、それは女性にとってはやはり難しい。女性には女性のよさ、男性には男性のよさがある」と語った。」
OMG、30年間の発言かと思いきや昨日でした。こう言うの見てると早く世代交代になってほしいなと一層思います。何が問題なの?何も間違ってない。男性と女性は違う。それぞれの良さがある。それを活かせばいいだけ。
それで問題とかいうなら、ちょっと過敏になりすぎ。逆に発言すればするほど、女性の地位を下げることになる。「一般論として男性と女性の能力が違うといわれているが、我々はそうではなく、多様性を認めていくということを伝えようとした」
とはいえ「能力や特性の得意な分野が違うと思います」という発言をみると、これがポリコレ的な観点で批判を呼びかねない事に気がつけない点で頭を抱える一方で、ポリコレを別にしても多様性の捉え方が相当に明後日だと思います。
高校時代に読んだある生物学者の言葉で、その後フランスに移住して国籍や経歴が様々に入り交じった多様性の中で働き生活するようになって心底痛感している、個人的な物事の判断基準があります。
「集団内の多様性は集団間の差異に勝る」というものです。
今回の例に当てはめるなら、男女間で「能力や特性の得意な分野が違う」と性差の差異を主張したところで、男性女性それぞれの集団の中での能力や特性の多様性はそれを遙かに凌ぐのです。建前では無く、現実としてそうです。
そして性別や人種といった属性は生まれながらにして決まっているもので、そうした属性の集団にラベル付けをされてしまうと当人にはどうにもならないのです。
故に個人と相対するときはその人に付けられた集団のラベルを意識して排して向き合う必要があります。集団へのラベル付けによる陥穽は意識していないとそこら中に転がっていますから。この発言のように。
要するに男女で「能力や特性の得意な分野が違うと思います」なんて言明した時点でこの社長は新入社員個々人の多様性に向き合っていないのです。発言に擁護する点は見当たりませんね。きっちり批判されるべきだと思います。