世界で戦う和僑たち_re

震災復興と途上国支援、あなたならどちらをとる?

アフリカで活動するということ

2014/10/25

皆さんこんにちは。ドガです。連載一回目の記事「僕が13歳で単身、渡英した”2つの理由”」は600近いPickと、大変大きな反響を頂きました。読者の皆さんに感謝いたします。

前回の記事では僕の英国ボーディングスクールでの「日本人」としての存在意義について語らせて頂きました。この記事では、方向転換してもう少しセンシティブな話題へ移りたいと思います。

なぜ途上国で活動するのか?

僕は“途上国と先進国”、という区切りをきっぱりと付けるのが好きではなく、「これが世界的な経済格差を生み出している」とも言えると感じています。しかし、日本とアフリカ諸国を行き来しても明らかな“違い”は身に染みていつも感じます。

初めて行った途上国はインドでした。当時在学していたスコットランドの高校から、皮肉にも日本人の僕が英語教師として派遣されました。

派遣先は首都ニューデリーのスラム街。事前に調べたインドは、汚染やストリートチルドレン、犯罪や暴動は日常茶飯事の国、ということでした。しかし、僕が英語を教えることになったインドでも最大規模のスラム街の生徒は毎日走って教室に入ってきて、質問を聞いても全員手を挙げます。授業中は与えられた鉛筆とノートブックに必死にメモをとり、僕の授業も熱心に聞いてくれます。

インド (1)

インドで出会った子供たちと(写真:牧浦氏提供)

僕が今まで教科書やメディアから学んだ途上国の固定概念は、「貧しい=不幸」でした。しかし、インドで出会った生徒たちは常に満面の笑みを浮かべていました。その一方で僕の高校では授業をぶっちしたり、授業中にフェイスブックを開いて遊んでいる生徒が数多くいました。

貧しい人たちは限られたリソースで常に必死で何かを得ようとしているのに、先進国の恵まれた人たちはその機会を無駄にしている。しかも、明らかに先進国の人間よりも途上国の人たちの方が幸せでした。このパラドックスこそ、僕を途上国というフィールドに引き入れた最初で最大のファクターです。「貧しいから、可哀想だから助けてあげよう」などといった善意というよりも、この関心が今でも僕を強く駆り立てているような気がします。

途上国支援の目的は何なのか?

先進国が途上国を支援するのを”国際協力”と言いますが、現実の支援現場の実態と上記を踏まえるとこう言い換えられるのかもしれません。

幸せでない先進国の人間が、一方的により幸せな途上国の人々の生活を”支援”しようとしている。

一つ例を挙げます。

放置されたままの井戸

放置されたままの井戸(写真:牧浦氏提供)

これは見て分かる通り井戸です。某国際機関がインドの農村で井戸を掘り、ある一定期間キレイな飲み水を周辺住民は手に入れることができました。しかし、数カ月後に中のシステムが崩壊。それ以降この井戸はノータッチに放置されたままなのです。そう、誰も井戸の定期的なメンテナンス以外に修復方法などを習っていなかったのです。

これはよくある途上国支援の失敗のごく一例です。この業界でのキーワードの一つはズバリ‘’固定概念‘’。この地域では水が不足している→じゃあ井戸を掘ろう→皆キレイな水が飲めてハッピーだ→井戸が壊れた→……

「水不足」という問題定義は誰もができることですが、その解決方法を一方的に考え出し、短期的に結果を出したら終わり。残念ながらこれが未だに多くの国際協力の現場で見られる光景です。

一体「誰の」、「何のための」支援を行なっているのか。目的意識が自己満足で終わる。そもそもなぜ先進国が途上国を支援するのか。時事ニュースを見ているとむしろ先進国の方が問題は多いような気もしないでもない。

転機となった東日本大震災

2011年の震災以降、こんな議論が日本の途上国支援のあり方を考える場で頻繁に出て来るようになりました。

アフリカか東北、途上国支援と復興支援、どちらをとるか。

2014年度予算政府案では、復興予算が2兆円ほどなのに対し、ODA(政府開発援助)予算は約800億円となっています。数字だけ見ると圧倒的に自国の支援金の方が当たり前ですが多いわけです。多くの開発学者や政府関係者はアフリカ経済低迷期の20世紀末以降、同大陸の援助方法が最大での課題でした。しかし、東日本大震災のあと、問題のベクトルが変わり、日本と途上国、という関係性が再度見直されることになりました。

紛争や飢餓が絶えないアフリカの社会問題を看過するべきではない。家が無かったり、家族を失ったり、食べ物がない人たちを助けるのは人道。そういう意味では震災支援も人道的で見逃すわけにはもちろんいきません。日本人が収める税金の使い道は変わっていくべきだと思います。

例えば、東南アジアのラオスでは、日本国政府が「水道公社事業管理能力向上プロジェクト」という支援を行なっています。水道普及率の向上から、事業運営の効率化を図ろうとしています。これだけだとラオスのためだけの一方的な支援のように聞こえますが、中長期的な視点でみると、日本への可能性も広く秘められています。ラオスの都市部で水道が通り、二国間での関係性が深まることで外交面でのメリットがたくさん出て来た例は過去にもありました。

援助が世界総生産に占める比率は戦後減少してきており、この額を増やす(途上国支援の可能性を理解した上で)ためには国民の支持を得る必要があります。途上国側のニーズとメリット、それから先進国側のニーズとメリット、という相互利益を実現できる援助政策が求められてくると思います。

古い競争イデオロギーは必要ない

前述したように、僕を最初にこの世界に引き入れたのはインドで見た先進国と途上国のパラドックスです。僕は、途上国が先進国を追いかけるシステムでの途上国支援が嫌いです。と言うよりも、途上国に秘められた可能性に投資をする形が“真の国際協力”だと思います。

先進国が援助をして、途上国の貧困層が無くなり、経済が成長する……のではなく、途上国と先進国双方がお互いの良さを最大限に引き出し合い、恊働で、それぞれ同じスタンスのビジネスパートナーとして二国間同士の経済発展に繋げていく。

新興・途上国という新しい巨大マーケットで、あくまで同じ土俵でビジネスをする。この「先進国と途上国が恊働する」ということに対するワクワク感が僕を途上国というフィールドに引き入れている最大の理由、だということで終わらせて頂きます。

次回は、もっと具体的なミクロレベルでの僕のアフリカでの活動についてお話できればと思います。

ありがとうございました!

※本連載は隔週で土曜日に掲載します