2022/2/25

クリニック理事長の座を捨て起業家へ “菌”ビジネスで塗り替える健康の常識

NewsPicks Brand Design シニアエディター
 全身におよそ1000兆個。腸内には100兆個。
 我々の体の中には無数の常在細菌(多くの人の体内に存在する病原性ではない微生物)が存在し、そのバランスが健康を左右する。
 その“菌”に特化した事業を展開するのがKINS。
 医療法人で理事長を務めた経験を持つ下川穣氏が2018年に創業したスタートアップ企業だ。
 体内の菌の状態を最適に保つ“菌ケア”を掲げたサプリメントなどを販売し、この1年で急激に成長。
 主力サービスであるサプリメントの定期通販は1年以上継続率が約50%と、「一般的なサプリメントの顧客残存率は5〜10%程度と言われる」(下川氏)なかで非常に高い水準を誇る。
 さらに前年同期比の実績も同社の勢いを感じさせる数字が並ぶ。
 2021年よりペット(犬・猫)向けの菌ケアサービスを開始し、海外拠点も設立。
 将来的には、自社に蓄積されたデータを利活用し、保険や医療の領域にも事業を拡大していくという。
 “菌ケア”を軸に世界的なヘルステック企業を目指す下川氏は、どんな成長戦略を描いているのだろうか。
INDEX
  • 単なる「オシャレなサプリ屋」ではない
  • 競合との差別化を図る3つの強み
  • 「菌ケアのプラットフォーマー」として世界進出

単なる「オシャレなサプリ屋」ではない

──売上はもとより、継続率やクロスセル率も大きく伸びていますね。なぜでしょうか。
下川 一言でいえば、顧客ロイヤリティが高いということですが、それはおそらくユーザーごとのカスタマイズを徹底しているからだと思います。
 菌ケアの中で最も大事なのは腸のケアですが、世間のイメージは今でも「とりあえずヨーグルトや納豆」ですよね。
 ところが乳酸菌飲料をたくさん飲んだり、納豆を毎日1パックずつ食べたりした結果、お腹がパンパンに張って苦しくなってしまう人もいます。
 ガスを出す菌を過剰に摂取したために起こることです。
 つまり、一律に有効な菌ケアなど存在せず、人それぞれ、あるいは身体の部位によって最適な菌の摂取の仕方があるのです。
 我々は、サプリを定期購入したいただく際、常在細菌の検査キットを一緒にお送りしています。
 それを自社ラボで解析し、15,000人以上の検査結果をもとに分類した6つの菌タイプに振り分け、統計的に適切と思われるカスタマイズサプリを提案しています。
 それに加え、菌ケアの大切さやその効果、体質を改善するための食事法などもしっかり伝え、困りごとがあったら相談にも乗り、改善のための健康指導もします。
 これだけ個人に最適化されたサービスであれば、肌質や体質が変わる可能性が高まりますし、身体の悩みが改善されれば、人は感動を覚え、ブランドを信用する。
 継続利用やクロスセルは、やはり特別なユーザー体験があってこそ生まれるものです。
岡山大学歯学部を卒業後、都内医療法人の理事長を務める。3 年のクリニック経営を中心に、2500人以上の慢性疾患に対する根本治療を目指した生活習慣改善指導を実施。2018 年 12 月に株式会社 KINS を創立。
──事業はずっと順調だったのでしょうか。
 もちろん、そんなことはありません。創業1年後の2019年11月に初めて商品をリリースしたときのことです。
 当時“ちょっとオシャレなサプリ屋”くらいに見られていたせいか、広告を打ったものの、CPA(顧客獲得単価)5万円でも全く売れませんでした。ああ、終わったな……と思ったのをよく覚えています。
 ところが後日、できることはなんでもやろうとインスタライブを開き、新製品の魅力や菌ケアの重要性を伝えたところ、その日のうちに既存ユーザーの3割ぐらいが化粧品を買ってくれたんです。
 とにかく視聴者の熱量がすごくて、目の前にいる人たちの心が動くのがはっきり見えました。
 その後もインスタライブは大盛況。
 我々がただの通販ではなく、「菌ケアをすると身体が良くなる」という物語や体験を本気で届けようとしているところがユーザーの共感を呼んでいるのだなと実感しました。
 事業がうまく回りだしたのはこの辺りからです。

競合との差別化を図る3つの強み

──そもそもなぜ菌に特化したサービスを始めたのでしょうか。
 医療法人の理事長になったときのことです。
 そのクリニックでは慢性疾患の治療をしていて、私も歯の治療とともに生活習慣改善指導に携わったり、東京大学との共同研究に参加したりしていました。
 実際、腸内環境を整えるために、徹底的な検査と処方、さらに食生活を変える指導を行うと症状はみるみるうちに改善します。
 もう治らないと思っていた患者さんが、感極まって涙する場面をよく見ました。
 かく言う私も、理事長になったプレッシャーから半年ぐらい左耳が聞こえず、下痢も2年ぐらい続いていましたが、患者さんと同じことを実践してみたら、すっかり治ってしまった。
 まさに医者の不養生。この経験がKINSを始める大きなきっかけとなりました。
──医療従事者として菌の素晴らしさを広める選択肢もあったかと思いますが、なぜ株式会社に?
 医療法人のまま活動しても世の中を変えられないと思ったからです。
 現代人の食生活は、高脂肪、高糖質、低繊維になりがちです。特に食物繊維が不足すると腸内環境が悪化し、慢性疾患を引き起こすおそれもある。
 極端な言い方をすれば、そうした不健康な人がいなくならない限り儲かるのがクリニックのビジネスモデルですが、それで良いのか、と。
 目指すべきは病気で困る人がいない世の中です。
 誰もが予防に関心を払う社会を実現するには、患者を待つクリニックの数を増やすより、もっと効率が良い方法があるはず。そんな思いが起業を後押ししました。
──「予防」を面倒と感じる人も少なからずいそうです。
 おっしゃる通りで、普通の人が予防を実践するにはモチベーションが必要です。KINSが美容サプリメントや化粧品などを提供している理由もそれです。
 美容は女性を中心に世間の関心が高い。健康とも密接につながっているので、美の追求を通じて自然と健康も満たす、という設計が可能だろうと考えました。
──美容サプリは競合がひしめきます。差別化をどう図るのでしょうか。
 我々には主に3つの競合優位性があると考えています。
 まずは“菌”という強固な「軸」。美容や健康領域の通販は多々あれ、オリジナリティを生み出す「軸」を持つサービスは多くありません。
 次に医療的な背景に基づく「信頼性」。例えばスキンケアで言えば、大学病院の皮膚科と共同研究を進めるなど、医学的知見に基づく製品開発を徹底しているのが強みです。
 また、先ほどもお伝えした通り、我々は自社ラボを構え、ユーザーの菌の状態を検査した上で、商品を提供したり、健康指導をしたりしています。
 こうした個人に最適化されたサービスを通じてユーザーが満足する、すなわちこの「体験」が3つ目の強みです。
 KINSは単なるオシャレなDtoCではありません。

「菌ケアのプラットフォーマー」として世界進出

──KINSは「菌をケアすることを世の中の当たり前にする」をミッション(存在意義)として掲げています。KINSのビジネスがどうなったら、それを実現したことになるとお考えですか。
 強いて言えば、KINSの認知度が上がり、「菌ケアすることがいいよね」と考えている人が世界人口の何割かになったときだと思います。
──実現に向けた構想はありますか?
 現在は「菌ケア」プロダクトの製造・販売をメインにしていますが、次は国内に動物病院を、シンガポールと台湾に対人のクリニックを立ち上げます。
 菌ケアを通じて慢性疾患を防ぐ術を多くのドクターが学び、そのネットワークが拡大すれば、自然と菌ケアも広がっていくはずです。
 将来的には、事業の海外展開を加速させつつ、提携先も広げ、菌ケアのプラットフォームになることを目指しています。
──菌ケアのプラットフォーム、ですか。
 KINS、KINS WITH、動物病院、クリニックという、当社のそれぞれの事業からto Cにもto Bにもつながるエコシステムのようなイメージです。
 そのモデルを整理するとこのようになります。
 プラットフォーム化の鍵を握るのはデータです。
 KINSとKINS WITHには自社ラボでの検査やユーザーアンケートなどを通じて多様なユーザーのデータが集まっています。
 また、クリニックや動物病院では、血液検査やレントゲンなど医療機関のみが取得可能な貴重なデータが得られます。
 つまり我々の事業は、症状改善の体感が得られたデータや医療機関での検査データ、処方薬の服用データなどが継続的に蓄積されます。
 これらのデータはプロダクトの開発や検査の改良、事業間の相互送客などに活かしますが、今後はto Bにも活用していきます。
 例えば保険会社との提携です。
 我々が保険に加入する場合、人間ドックの検査結果が保険料に反映されることがありますが、犬猫には同じような精密検査がなく、保険料が一律で決まるケースが一般的です。
 ただ、当社が保有している犬猫のデータを活用すれば、保険会社はペットの個体ごとにリスクを判断し、ダイナミック・プライシング(需要に応じて価格を変動させる仕組み)を導入することが可能になるわけです。
──人間の保険でも同様のデータ活用ができそうですね。
 そう思います。さらに言えば、保険の商品名にKINSの名前が付されれば、保険経由でKINSに新規ユーザーが流れてくる可能性もあります。
 to B向けのデータ活用は、ユニークなデータが蓄積されるほど可能性が広がっていく。
 なのでこの先、動物病院やクリニックなどの提携先を増やし、患者様や利用者様の同意を得た上で、提携先のデータが当社にも共有される仕組みを整えていこうと考えています。
 最終的には、我々が保有するデータを活用して製薬会社との創薬につなげるところまで見据えています。
──ヘルスケアデータに関するビジネスには、Amazon、Google、Alibabaなどのテックジャイアントも参入しています。対抗策はありますか?
 KINSが保有するのは、菌に特化した極めてユニークな1stパーティーデータ(自社の顧客や社内のデータ)です。
 ひとりひとりのユーザーの相談に乗りながらデータを蓄積しているわけですから、こんな泥臭いことはテックジャイアントには難しいでしょう。
 私の経験上、現場でお客様と向き合って集めたデータでないと価値がありません
 私は今でもKINSユーザーの悩み相談に乗っていますし、インスタライブも続けています。
 お客様の反応や現場に対する肌感覚がないまま、データだけを見てビジネスをやろうとしても、まずうまくいきません。
 現場に出向き、生きたデータを泥臭く足し算し続ける。やがて掛け算をして、事業をスケールしていく。それがこれからも変わらぬ我々のやり方です。
──菌ケアのプラットフォーム化に向けて、3年後にはどんな組織の姿を思い描いていますか。
 台湾とシンガポールに続き、3年後にはアジアの複数国に拠点を構えている予定です。
 売り上げ規模は100億円くらい。ユーザー数は国内だけで15万人に達していて、上場も果たしていると思います。
 そんな未来に向けて、先日シリーズBで9.5億円の資金調達を行いました。これを契機に貪欲に売上を追求していきます。
 ……と言うと、医師を辞めて起業した人間なので、ビジネスの成功を追い求めていると思われるかもしれません。
 でも、そうではない。私たちのミッションは慢性疾患を世の中からなくすこと。壮大な課題に挑んでいます。
 それはビジネスで圧倒的な成功を収めないことには実現しないからこそ売上を本気で追求するのです。
 その高い目標に向かって今、組織を拡大しています。KINSのミッションに共感し、かつ成長欲求も高い、そんな仲間を増やしています。
 勢いよく成長しているので苦しいこともありますが、それと同時に自分たちのやっていることに間違いなく誇りを感じられる仕事だと思います。
 KINSがスケールすれば、世の中が大きく変わりますから。