2022/2/22

【京都】アパレル経験ゼロ。イタリアでのひらめきとは

ライター(すきめし企画)
横浜で生まれ、イタリアのミラノで育った大河内愛加さんが、ファッションブランドを立ち上げたのは2016年。ブランド名の「renacnatta(レナクナッタ)」は、使わ「れなくなった」服、着ら「れなくなった」服、作ら「れなくなった」テキスタイルや技術を活用していることから、つけられました。どこにもなかった新しい視点を見つけ、ビジネス展開し、京都の地でさらに発展させた過程を追います(全3回)。
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大河内愛加(おおこうち・あいか)さん
株式会社Dodici 代表取締役CEO
1991年生まれ。15歳のとき家族とイタリア・ミラノに移住。Istituto Europeo di Design ミラノ校広告コミュニケーション学科卒業後、メイド・イン・ジャパン専門のショールーム「JP HOME」勤務を経て独立。2016年2月にブランド「renacnatta」を立ち上げ、日本の着物地とイタリアンシルクのデッドストック(未使用の状態のまま眠っていた商品)を組み合わせたスカートや金彩を施したイヤーアクセサリーなどを製造・販売。さらに、2021年にはアップサイクルブランド「cravatta by renacnatta」を立ち上げ、紳士向けの商品も展開。現在は京都とミラノとの二拠点生活を送っている。2021年に京都府主催の第9回京都女性起業家賞にて京都府知事賞優秀賞、京都信用金庫主催の京信・地域の起業家アワードにて優秀賞を受賞。
*記事内の情報は取材時(2021年7月)のものです。
INDEX
  • 15歳でミラノに移住
  • 日本シックとイタリアかぶれの間で
  • 震災チャリティと「自分らしさ」
  • 顧客づくりはクラウドファンディングで

15歳でミラノに移住

ファッションの街であるミラノと、日本文化が凝縮した京都で二拠点生活を送る大河内愛加さん。ふたつの国の素晴らしい技術や後世に受け継ぎたい伝統が、互いに引き立て合う組み合わせを考え、ファッション性の高いアイテムとして販売しています。そこにあるのは、単なる衣類やアクセサリーではなく、「文化をまとう」ブランドです。
ことの始まりは、大河内さんが15歳のとき、2006年にさかのぼります。
IT関係の経営者だった大河内さんの父親は、昔からイタリアに住むのが夢。2人の子どもたちにクリエイティブな環境を与えたいという思いもあって、家族揃ってミラノへの移住を決めました。当時、デザイナーのような職業に憧れていた大河内さんは、5年制の美術高校に入学。夢のようなストーリーのように思えますが、現実は違っていました。

日本シックとイタリアかぶれの間で

「学校の中で日本人は私ひとりでした。好奇心から、同級生たちがガツガツと私に話しかけてきくるのですが、イタリア語ができない私はついていけず、すっかり人見知りに。常に泣き出しそうな状態で学校に通っているというのに、SNS『mixi(ミクシィ)』の向こうにいる日本の友達は、放課後にプリクラを撮ったりして楽しそう…。『ミラノなんていいな』と言われても、私の苦労も知らないで、と全部悪いほうにとらえていましたね」
それでも、少しずつ言葉を覚えて環境に慣れてくると、周囲との間の壁が崩れていきました。気持ちに余裕ができて、美術館や博物館だけでなく、身近な街並みや見慣れた風景の中や、日常的に着る服や使う小物などにも、イタリアの文化や歴史が刻まれていることに気づき、どんどん魅力に引き込まれていき…。
イタリアでの高校卒業後、お世話になったシスターと。「高校時代は、ちょっと生意気な少女でした」。
「日本に帰りたいと泣いていたのがウソのようでした。イタリアっぽいのを通り越して、もう“イタリアかぶれ”と言ってもいいくらい。高校生活も最後の年に入り、このままミラノで就職して、ずっとこっちで生きていくんだろうなと思っていたら。日本で大きな地震があったというニュースが飛び込んできたのです」

震災チャリティと「自分らしさ」

2011年3月11日に起こった震災の大きさを知り、母国のために何かできないだろうか?と考えた大河内さんは、その想いを手紙に綴って、通っていた高校の理事長のもとを訪ねます。もともと慈善活動に熱心だった校風もあり、理事長は「愛加の手紙を全校に配ろう」と応援。そして、校内に募金ボックスが設置されたのです。
「集まった募金を日本領事館に届けたことが、私にとって一種の成功体験になりました。私は日本人の代表なんだ、という自覚が芽生えてきたんです。イタリア人の陽気さや大らかなところを吸収しつつ、ちゃんと日本人らしさももっている自分になりたい。そう思うようになりました」
将来は広告関連の仕事に就きたいと考えていた大河内さん。その準備に、日本文化に触れながらマーケティングの勉強もできる場として、経済産業省が運営するメイド・イン・ジャパン専門のショールームでインターンシップを始めました。父親から「日本文化に興味があるなら」と助言されてリサーチし、現地を訪ねて直談判して得たポジションです。
「代表アドレス宛にメールをしても返事がなかったので、ショールームにいた人に『無給でもいいから働きたい』と訴えました。すると、イタリア語が話せる日本人を探していたところだと言われて。私、昔からラッキーガールなんです」
ショールームを訪れる人たちとコミュニケーションをとるうちに、大河内さんは大きな発見をします。イタリアでみんなが称賛していたのは、見た目が和風のデザインであるということではなく、手に取る人の要望や信頼にしっかり応える「ジャパンクオリティ」なのだ、と。
高校卒業後もショールームで1年間働き、その発見は確信に変わります。加えて、イベントのオーガナイズやキュレーション(商品選び)、ECショップの運営などを任され、その時期の経験が、独立起業の礎となりました。

顧客づくりはクラウドファンディングで

その後、フリーランスとして日本関連のイベント運営やキュレーションを手がけた大河内さん。日本とイタリアの国交樹立150周年、そしてイタリアに移住して10年の節目となる2016年に、ブランドを立ち上げる決心をしました。誰かのサポートではなく、自分で何かを始めたいという気持ちが熟して、実を落とすかのように「アパレルの経験はまったくないのに、商品のアイデアがポンと頭に浮かんできた」と言います。
初めての商品はシルクと着物のデッドストックを使ったリバーシブルの巻きスカート。ワンサイズですが、着物や浴衣のように巻いてたくし上げれば、どんな体型の人でも着こなせる。身長150センチと小柄な大河内さんらしいアイデアです。
実は、かつて大河内さんが働いていたショールームでは、クラウドファンディングサイト「Makuake」に掲載されたプロジェクトの中から、日本製にこだわった商品を選んで展示していたことがありました。その経験をもとに、自分のブランド「レナクナッタ」でも「Makuake」を活用してみることに。
「まだファンがいない知名度のないブランドを新規のお客さまに見てもらうためには、交通量のあるサイトに載せることが効果的だと考えました。また、アパレル商品というよりもコンセプトを買っていただきたかったので、EC系のショッピングモールよりクラウドファンディングのほうが合うだろうだと判断しました」
クラウドファンディングサイト「Makuake」より。ミラノ在住の日本人パタンナーの友人に協力してもらいサンプルを制作。ブランド名の由来を書き添え、返礼品としてアピールした。
「日本とイタリアのテキスタイルの融合」「デッドストックを使い、着物に新たな価値を」「年齢とか流行り問わず、着てもらえるお洋服」などがアピールポイントとなり、目標金額の2倍を超える114万5800円を調達。その成果が広まって、有名百貨店などから問い合わせが入るなど、新たな展開にもつながりました。
巻きスカートの裏表。イタリアのシルク生地を落ち着いた濃紺やグレーの着物地と組み合わせることで、華やかさと繊細さが融合。
*Vol.2に続く。(※NewsPicks +dの詳細はこちらから)