石原慎太郎氏が死去 89歳 東京都知事や運輸相など歴任
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石原慎太郎元東京都知事は自分の国は自分で守るという当たり前のことを主張していた。戦前までの日本ではそれが出来ていた。もちろん戦後冷戦終結までは旧ソ連、その後は中国の脅威があり一時的にアメリカに頼らざるを得ないのも分かる。ただ今が非常事態であり「自存自衛」こそが本来の姿ということを忘れてはならない。そのことを教えてくれたのが石原慎太郎氏だった。
ありがとうございました。安らかにお眠りください。
注目のコメント
衷心よりご冥福を祈ります。
異人、変人、夷人、なによりも偉人です。
石原慎太郎さんが東京都知事になったのは1999年4月でした。東京都は財政破綻寸前だった。
財政再建を果たした功績は大きい。公務員の賃金を下げるのは当時タブーでしたが果敢に労働組合と交渉した。さらに民間の会計制度を導入し都政の無駄な支出を徹底して削減した。
そして現在のカーボンニュートラルを先取りするCO2削減の取り組みを開始し、自動車メーカーの総反対を押し切り、政府が躊躇したディーゼル車排出規制を断行した。
2016年東京五輪招致ではゴミ集積場の100ヘクタール(皇居と同じ大きさ)の中央防波堤に植林し「海の森公園」をつくって都心のヒートアイランド現象をやわらげる努力もしている。2020招致はその環境に優しいという理念を継承することができた。
狭くて不潔な築地の中央卸売市場を近代化させるための豊洲移転も実現に向けての礎(いしずえ)を築いた。
副知事としてつかえ何よりも楽しかったのは作家同士の文学談義でした。天才三島由紀夫との体験的交流エピソード、あるいは露悪的な太宰治の悪口などよく笑いあったものです。
日本には個性的なリーダーが少ない。石原慎太郎は小泉純一郎と並び稀有な存在でした。大ショックだ。僕は作家になりたくて彦根から東京に出て来たが、石原慎太郎さんの「太陽の季節」を読んでそのリアリティ、そして従来の常識をぶち破る凄まじさに圧倒され、作家になる事を挫折せざるを得なかった。その石原さんが政治家になってから初めてお会いし、政治家としての石原さんと考え方は大きく違い何度も大討論をしたが人間としての石原さんを心から信頼していた。とても魅力的な人だった。
驚きです…。私が都議会議員だった際には百条委員会に出席され、若造の強気で失礼な追及にも真摯に対応して下さったことは感謝に堪えません。お手紙は受け取っていただきましたが、直接謝罪をしたかったです、心より哀悼の意を表します。