2022/1/28

【髙田春奈】子供たちが“希望”を持てる社会をつくるためにできること

ジャパネットたかた創業者の髙田明氏から引き継ぎ、JリーグクラブのV・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任した髙田春奈氏。企業としての事業性を追求しながらも、地域とともに地域活性化や社会課題の解決を目指す髙田氏の連載をお届けします。連載最終回は、「子供たちが“希望”を持てる社会をつくるためにできること」をテーマにつづってもらいました。

なぜ「教育」を学ぶのか

 どんな組織においても人がそこに存在する限り「人事」が存在します。私は社会人生活を始めたとき、たまたま配属されたのが人事部でした。そこでは「研修」「労務」「採用」など、一通りの仕事を経験させてもらいました。
 退職後、人事コンサルティング会社を作り独立してからも、はじめに会社の理念や人材像を明文化し、研修制度を整える仕事から始めました。
 テクニカルなことやコンセプチュアルな部分から始まり、どういった心持ちで仕事をすればいいのかといったマインド部分についての研修も企画することが増えていきました。
 自分自身もメンタルヘルスやキャリアなどの資格を取得し、人間の面白さや奥深さを知るようになりました。一方で「固有の企業で活躍する人材」を育てるという社員教育では満たしきれないものが、社会においては大切なのではないかとも思うようになりました。
 なぜなら世の中には、働けなくても、働くことが嫌いでも生きている人たちがいて、その人たちも含めて、幸せを感じられる社会こそが重要だと考えたからです。
 35歳の頃に大学の教育学部に学士入学をしてから博士課程に所属している今まで約8年、教育学というものに関わるようになりましたが、教育とは「立派な何者かになることを目指す」ものではなく、「よりよく生きる」ためのものだという当たり前のことに気づかされ、自分の生き方にも大きな影響を与えてもらいました。
 V・ファーレン長崎の経営に関わるようになったのは2018年からです。教育について考える日々のなか、スポーツに関わる仕事に就いたことは、自分の学びを実社会で考える素晴らしい機会となりました。
 スポーツは勝ち負けを決めるわかりやすい世界であり、そのために必要なことを専門的な面で鍛えていくというシンプルな構造です。
 でも同時に技術だけでは勝てないことも立証されています。人の心の状況や仲間とのチームワーク、指導者の力など、人間的な部分が勝敗に大きな影響を与えるのです。
 かつ必ずしもただ勝つから嬉しいわけではない。そこに至るまでのプロセスや悔しさという感情さえも人々の人生を豊かにし、まさに「よりよく生きる」ことの大切さが感じられるのです。
 教育学を理論的に学ぶ中で考えたさまざまなことが、いま実践的な課題として与えられている状況をとても幸せに思いますし、結果を簡単に出せない難しさのプロセスそのものが、自分の人生を豊かにしてくれているのだと感じます。

「地域」だからこその「教育」

 「教育格差」という言葉でもしばしば指摘されるように、一般的に地域と都市部には教育環境という点でもその格差が存在し、地域は不利に働くことの方が多いと言われています。
 地方に住む方が情報の感度が低く、選択の幅が狭い。また高いレベルの教育を受けるチャンスに届きにくいということ、そしてその教育の差が生まれた結果、経済格差を生み出しやすいというのが理由です。
 しかし教育を「よりよく生きる」ものと捉えた場合、地域で育つということにもいくつか利点があるように思います。そしてその大部分は、都市部にはない「余白」や「非効率」の存在に起因するのではないかと考えています。
 それは具体的にどのようなことか。まず都市部にいると、選択肢ややるべきことが多すぎるため、その中で最もよいことを選ぼうとする効率性が重視されがちになるように思います。
 すなわち、高いレベルに効率的にたどり着くために、さまざまなものが削られ、「余計なもの」に費やす時間やゆとりがなくなってしまうということです。
 例えば受験を考えた時、どんな学校がいいのか、どうすれば志望校に最短でたどり着くのか、多くの選択肢の中から選び抜きます。その結果、それ以外のことをやる時間が軽視されてしまう、他の世界を見る余裕がなくなってしまうという状況になり得ます。
 相対的にいえば、地方には選択肢があまり多くありません。学習環境もそうですが、例えば部活動でも少子化に伴い、野球部ができればサッカー部は作れない、ということも、よく聞く話となりました。
 都会のように習い事の場所も多くはありません。もちろんそれは、選びたい子供からすれば残念なことではありますが、限られた選択肢の中で本来であれば出会わなかった人に出会えたり、知らない自分を発見したりすることもあると思うのです。そういう「予想外の人との出会い」や「近道を知らないからこその遠回り」は、新しい視点を与えてくれます。
 また、地域の別の魅力として、より多くの人に育ててもらえることがあると思います。「少子高齢化」といったとき、高齢者の存在は時に子供世代の負担ともとらえられます。しかし生き字引ともいえる高齢者と触れ合うことで育まれる視点もあるでしょう。
 例えば長崎では平和教育が大切な教育の一つですが、高校生平和大使をはじめ、若い世代の平和への意識は、周囲にいる年配の方々からの直接の話によるものが往々にしてあります。それは世代を超えた社会連携活動の促進という実利的な面だけではなく、「子供世代の心の育成」という面でも大きな影響を与えると思います。
 現代においてはセキュリティー上の問題で、なかなか近くの他者が子供に声をかけることは難しくなってきていますが、子供の教育は本来、親や学校だけではなく、多様な人たちとの出会いによって成り立つものだと思います。
 私自身、地元の学校に呼んでいただき講演をすることもありますが、普通の授業とは全然違う話をしてしまうリスクよりも、多様な視点の構築への貢献ができればと思って自由に話をします。色々な人と関わることで、この世界には色々な人がいるという当たり前のことを学ぶことができると思います。

子供たちのよりよい未来のために

 このような地域の偶然の出会いや多面的な教育という部分で、Jクラブの果たす役割も大きいように思います。スポーツの中でもJリーグは、地域に根差した活動が大きな特徴の一つです。
 社会課題と向き合い、多様な人物が介するホームタウンでの社会連携活動やスポーツ普及活動には、「教育」の要素が切っても切り離せません。
 例えばサッカー教室の巡回がきっかけで、サッカーを始める子が出たり、貧困や障害など何らかの困難を抱えた人が未来に希望を抱くことができたり。そもそもスタジアムという場所には、幅広い世代のファンサポーターが集い、そこでは職業や年代を超えて、ただ「同じものが好き」という繋がりだけで新しい関係性が生まれています。
 サポーター仲間が子育てに参加してくれる、などの広がりもあるかもしれません。それはまさに「教育」が「理想形の何者かを目指す」のではなく、「よりよく生きる」ものだからこその視点です。
 つまり私たちの存在そのものが、地域と共に、子供たちが生きる未来を創る役割を担っているのだと思います。
 アカデミーでお預かりするお子様の生活はもちろんのこと、各種団体と共に行う社会連携活動やスポーツ普及活動の中での子供たちとの時間が、彼らの未来や思考に少なからず影響を与えているという事実。
 親や教育機関だけに責任を負わせるのではなく、社会全体で子供たちを育てていくことは、今の時代だからこそ求められるものなのではないでしょうか。
そしてさらに大切なのは、子供の可能性を摘まずに、のびのびと成長してもらう環境をつくることだと思います。
 彼らの活躍や自由な発想が、また私たちに教えてくれるものも多いと思うからです。「世代を超えて、学びあう社会」ができれば、現代に潜む生きづらさも少しは軽くなるのではないでしょうか。
 これからもその社会づくりに少しでも貢献できるよう、学びの歩みを止めずにいたいと思っています。